先月30日に兵庫県立美術館で見た。連休中であったためか、観客は少なく、しかも若い人ばかりであった。

アメリカ美術の大家を一括して見るにはいい機会で、美大芸大の先生たちは積極的に見ることを勧めたことだろう。紹介されていた画家の多くがすでに日本で個人展が開催されているので、フランス近代美術展といった月並みなものを見ている気がした。地方美術館でもアメリカ美術を収集している場合が多く、今回ほどの規模ではないにしても、似た感じの常設展はある。絵画と彫刻が46点展示されたが、大きな絵が多いためにこれ以上は無理であったのだろう。だが、大きくても小さくても1点は1点だ。それはいいとして、この程度の点数が見るのにはちょうどよい。ホイットニー美術館の収蔵品だけで構成されたものは関西では初めてではないだろうか。同館は12000点以上を収蔵し、今後数年おきに日本で展覧会があるかもしれない。何でもアメリカ寄りになるなという声が日本にある一方、切ろうにも切れない縁のために、アメリカ美術は日本では今後も歓迎され、買い集めて展示する美術館は跡を断たないだろう。そして日本の美術家もアメリカ的な美術のあり方に相変わらず感化され続ける。アメリカは世界一の経済大国であるから、世界をリードする美術が生まれるのは当然だが、日本はその点買うばかりで、日本の美術家の作品が世界中の美術館にコレクションされることは一向にない。日本の江戸時代の絵だけが歓迎される事情を深刻に考えた方がいいが、今や日本のアニメが世界を席巻し、そこに狙いを定めてアニメの源流がたとえば『鳥獣戯画』や『北斎漫画』にあるとして、どうにか芋蔓式に日本の古い美術と今がしっかりつながっていることを宣伝したい向きもある。だが、そういう見方が世界的認知を得たとして、『鳥獣戯画』や『北斎漫画』とアニメ以外の、たとえば現在の日本の絵画が注目されないならば、さっさとアニメを奨励して美大芸大で徹底して教えた方がよい。それほどの思い切った国策がなければ世界にとって日本が100年、200年後にどういう美術を生んだかの記憶が人々に刻まれることはない。アニメにしても中国や韓国がどんどん追い上げ、国が積極的に援助しているというが、国際的市場を牛耳るにはそれほどの政策が必要だ。
アメリカ美術が国策だけによって世界中の美術市場を席巻したとは言えないだろうが、歴史的にヨーロッパと深くつながっているアメリカのことであるし、ヨーロッパで商売のノウハウが蓄積されたアメリカの画商の力の大きさやその政治力は、日本に比べてはるかに国際的売出しを得意とするものであるはずで、また芸術保護を人生の目的と考えるような、日本とは桁違い大金持ちがたくさんいることや、そうした人々に対する税制免除の法律や条例を完備して美術品を受け入れて広く公開することが日本以上に明瞭的かつ誰しもよく知るようなシステムとなっていることからすれば、日本はあまりに特殊で閉鎖的であるだろう。だが、アメリカにも保守思想はあるし、たとえばホイットニー美術館にある作品も初めからアメリカや世界が認めたものではない。ガートリュード・ヴァンダービルド・ホイットニー(1875-1942)は、彫刻家で多くの芸術家の友人があって、画廊を持って1929年までに500点以上の同時代の作品を集めた。それらをメトロポリタン美術館に寄贈しようとしたが、断られたために自前で美術館を1930年にニューヨークに創設し、翌年開館した。その後2度移転したが、今では誰でも知る存在になっている。同じように考えて、日本の前衛芸術作品をせっせと買っていつかそれらが有名になることを夢見る人が日本にも何人もあると思うが、何せ経済規模が比較にならないし、集めたものを世界的有名にするには戦略がいる。だが、欧米に買ってもらえずともかまわないと開き直りも出来るし、日本のみで通用する価値があってもよい。だが、現在の中国絵画は積極的に買う欧米の画商がいるために、すでに国際的名声を得ている画家が何人もいる。それを思うと、やはり日本は何かがおかしいのか、あるいは下手なのだろう。そのうち中国現代絵画が今回の展覧会のように頻繁に日本で開催される時代が来るだろうが、その時、中国が現代日本画家展を同じように扱っているかどうかだ。韓国も中国と同じくすでに独特の創造世界を構築しつつあるが、それは現代的でありながら、伝統と強烈につながった個性が顕著であるからだ。日本もそうであるはずだが、目下のところはアニメに代表される造形にしかそれはないと思われている。そのアニメも本当は簡単に言えばディズニーを粗末に模倣したものから出発した。結局日本の造形はすべてアメリカ色に染められてしまい、昔の伝統は表面上だけがつながったように見せかけているだけかもしれない。それならばそれでアメリカ亜流として世界に売れればいいが、その気配もないところに、まだ亜流にもなれていない悲しさがある。
筆者はアメリカ美術はあまり好きではない。オキーフやホッパーなど、それなりに面白いと思う画家はあるが、ウォーホルやリキテンシュタイン、シュナーベル、バスキアといった画家はほとんど感心しない。ロスコにもさほど熱くなれない。ロスコならばまだジョセフ・アルバースの正方形シリーズのはっきりとした描かれた方がいい。ロスコは日本でも人気の高い画家だが、宗教的感覚に満ちるその作風が果たして今の宗教心とは無縁の日本の若者に本当に理解出来ているものだろうか。ロスコの思う絶対絵画といった考え自体が日本人にはかなり異質なもので、筆者は正直なところ重苦しいその絵を見るくらいなら、まだルネサンスやバロックの宗教画を見ている方が心が落ち着く。ウォーホルはカリスマ的に若者にはよく知られて好感度の高い画家だが、今回出品の「二重のエルヴィス」はほとんどまともに見ずに素通りした。ウォーホルで思い出すことは、筆者が初めて油絵具でキャンヴァスに絵を描いた17、8の頃、瓶がずらりと並ぶ棚を描いたことがあった。なぜそんな絵を描いたのか自分でもわからないが、キャンヴァスいっぱいに同じ形の瓶を10本ほど並べた段を上下に数段に描いた。それから1、2年してある美術本を見ていた時、数年前のウォーホルの絵にそっくりなものがあることを知った。それはコーラの瓶をたくさん並べたもので、筆者が自作に込めた思いとは違った印象を受けたが、表面的にはよく似ていた。70年代初め、ウォーホル展が神戸のそごうか大丸で開催された。確かウォーホルは来日してオープニングに酒樽を割る儀式もした。その時にウォーホルが撮った有名なフィルムも全部上映され、何本かを少し見もしたが、筆者にとってウォーホルはその時の展覧会で卒業となった。リキテンシュタインには一時関心があって本も読んだが、どういうわけかあまり好きにはなれない。今回はマティスの金魚鉢を描いた名画をそのまま平面的彫刻にした着彩ブロンズ作品が来ていた。この作品より10年近く遅れるが、トム・ウェッセルマンによく似た彫刻シリーズがあって、そっちの方が筆者には面白い。バスキアはかつて映画が作られ、封切りで見たことがある。80年代のニュー・ペインティングの代表として歴史に刻まれて行くだろうが、壁の落書き同然に見えてどこが面白いのか。シュナーベルも同じような感じがあって、アメリカの画商が売り込みに成功しただけに思える。同時代ではまだ音楽の方に収穫があった。
展示は4つのセクションに分かれていた。「移民」「都市」「消費」「記憶」で、「移民」ではロスコ、バーネット・ニューマン、アルバース、それにアドリフ・ゴットリーブ(1903-74)、フィリップ・ガストン(1913-80)、ハンス・ホフマン(1888-1966)で、いずれも5、60年代の作品が展示された。ゴットリーブやガストン、ホフマンは知らない画家だったが、ホフマンの「黄色いオーケストラ」はノルデやペヒシュタインのドイツ表現主義を思わせる色合いやタッチをしていた。つまり、あらゆるヨーロッパの絵画の要素がアメリカに雪崩込んだわけだ。ゴットリーブの「凍てついた音、ナンバー1」(1952)は、1点だけなので何とも言えないが、日本人好みの抽象画ではないだろうか。よく古代文字を描いたそうだが、この絵もそういうシンボリスティックなところがあって、色彩も赤と黒と白を基調にし、どこか小倉遊亀の晩年の静物画をもっと純化したような、土俗的とも言える強固な単純さが印象的だ。「都市」のセクションではジャスパー・ジョーンズ、ステラ、リキテンシュタン、ラウシェンバーグ、ホッパー・デヴィッド・サーレらの有名どころに、ジャック・ピアソン(1960-)、エルシー・ドリッグス(1898-1992)、ジョン・カリン(1962-)といったあまり知られない作家が混じっていた。ピアソンの「欲望、絶望」(1996)は面白い。写真家だが、全米旅行で集めた広告看板文字を集めて「desire」といった単語に並べている。廃品を利用した一種の絵画的彫刻で、文字を使用しているところは、たとえば今回出ていたジャスパー・ジョーンズの「0から9の重複」(1961)にだぶる印象がある。高齢で亡くなったドリッグスは今後評価が高まるかもしれない。「ピッツバーグ」(1927)はいかにも時代を感じさせる作品で、工場の並ぶ煙突をモノクロ調で描く。オキーフと比べてどうなのか、他の作品も見たい気にさせた。カリンは写実画を描く代表として選ばれたのだろう。「痩せた女性」(1992)は、ホッパーとはまた違って現代の孤独のようなものを伝える。サーレ(1952-)もニュー・ペインティングの画家だが、「田舎町のセクスタント(六分儀)」(1887)は大きな絵で、画面が上下3つずつに分割されて、それぞれに人形や女性のトルソを写実的に描く。色彩もカラーの部分とモノクロ部分が同居し、映画やTVの影響を感じさせる。ウェッセルマンにもエロティックの要素はあるが、サーレのこの絵でのそれはもっと質が違って場末のストリップ小屋の暗い印象がある。
「消費」セクションのオルデンバーグ、ヘリング、ウォーホル、リキテンシュタインは有名人で説明することもない。ウェイン・ティーボー(1920-)の「パイ・カウンター」(1963)はとてもよかった。パイをミニマル的連続模様のように描いて油絵具の質感がよく出ていた。題材はいかにもアメリカで、またその構図もそうなのだが、絵具をぐにゅぐにゅと盛っているところはまるで本物のパイのおいしさが伝わるようでもいて、好きな絵だ。同じような絵具の質感を出して風景画を描くドイツの若手の油彩画家がいて、80年代に京都ドイツ文化センターで個展を開催したことがある。それを即座に思い出す。「記憶」のセクションではまずリージョナリズムのトマス・ハート・ベントン(1889-1975)の「主は我が牧人」(1926)があった。テンペラ画で、老夫婦を描く。色彩は地味だが、モデリングにごく初期のミロに通ずるような確かな個性がある。アメリカ絵画で忘れてはならないのはこうした独特の写実画を描く地域主義の画家たちで、ベントンはその代表だ。アメリカ美術の総花的展覧会でたまに彼の作品はやって来るが、大規模展の開催が期待される。今となっては前時代的な作風に見えるが、こうした土地に根ざした地道な絵画も含めてアメリカ絵画があるわけで、若宮テイ子さんが一時アメリカに住んだ時、最も興味を抱いた画家がこのベントンだと言っていた。ジョン・ステュアート・カリー(1897-46)の「カンザスの洗礼」(1928)も同じく地域主義で、アメリカ中西部の暮らしにアメリカ美術のアイデンティティを見出したという。これも日本ではほとんど未紹介の分野であろう。ベントンほどの個性は感じられなかったが、こうした写実的な絵を歓迎した中産階級が多くいたはずで、それもまたアメリカの本当の姿だ。オキーフ、ポロック、ジム・ダイン、バスキア、シュナーベル、ヘリングと、ここでも馴染みの名前が並んでいたが、ヘレン・フランケンサーラー(1928-)、エリック・フィッシュル(1948-)、アレックス・カッツ(1927-)も目を引いた。カッツ展は80年代にあって見たが、好きな画家だ。ミルトン・エイヴリー(1885-1965)は「砂丘と海2」(1960)が来ていた。ゴットリーブやロスコなどの抽象画家の先駆者に影響を与えたそうだが、単純な絵であまり印象にない。ジョエル・シャピロ(1941-)は「無題(平原の風景)」(1975、6)というブロンズの彫刻で、ミニチュアの家がぽつんと平たい板の中央に建っている。ロス・ブルックナー(1949-)はエイズの危機に初めて反応した画家で、「カウント・ノー・カウント」(1989)はそう言われて見ると、それなりに病気の浸食を感じさせて不気味であり、また希望の光が暗闇にぽつんぽつんと浮かんでいるようにも感じられる絵であった。