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●実体の影の実体感覚
ィキペディア 自分で載せて 満足し 肝心の作 どれも価値なし」、「影だけの 価値はあるぞと 日は照らし すぐに燃え尽き 墓石の下に」、「わが影の 地面に落つる 昼下がり 背に日を受けて 心明るき」、「西日差し 壁の影絵の 庭木には 手入れ尽くした 無駄なき形」
●実体の影の実体感覚_d0053294_17471132.jpg 影には実体を伴なう。死んで骨になればそれを日にかざすと影が生ずるから、死んでも骨という実体があればそれをありがたがることは理解出来る。釈迦の骨を舎利と呼んで大事にすることはそうだ。実体とは何かとなれば受け止める人次第で、思い浮かべて気分よくなるもの、自信をつけられるものに対して、あるいは全く反対に恨みを抱く対象に、実体と同じように強固な思いを抱く。そういうものがなければ人間は生きて行くことは出来ず、さまざまな集団やそれを存在させる信条や決まりがある。数日前、近所の老夫婦のまだ元気であった80代のご主人の家の戸口に見慣れない高齢男性がいて、その家のご主人の息子さんであることを知った。昔から息子さんがひとりいることは聞いていたものの、その時に初めて顔を見た。やって来た理由は父親が亡くなったからだ。ご主人の姿は半年ほど見なかったので病死したのだろう。奧さんは数年前に認知症がひどくなって施設に入っていると聞いたが、先にご主人が逝かれた。元気そうに歩いている姿を見たのに、命が消えて不思議でない。それは80代半ば以降の年齢に限らない。ご主人は車に乗らなかったので、やや離れたところにあるガレージを庭代わりに植物の鉢で埋めていた。それらは手入れされないままで、息子さんが両親の住んでいた家を売りに出すと、不動産屋がそれらの鉢を撤去する。亡くなったご主人は長年ホテル勤務をしていた。退職後は地元に馴染まず、それで筆者もほとんど言葉を交わしたことがないが、背中を丸めて早足で歩く姿は鮮明に覚えている。それは筆者の頭の中だけにある「影」と言ってよく、認知症になればそれは消えるだろうし、そうでなくても思い出してもほとんど意味を持たない。そういう記憶をゴミや埃にたとえていいかもしれず、ではそうではない記憶とは何かとなれば、人生の中で最も輝かしいものであるはずだ。そのことを改めて思えば今この瞬間が何とかけがえのない素晴らしいものであるか、またそうなり得る可能性に満ちていることに気づく。しかしその気持ちは先の80代後半の年齢で死んだご主人も持っていたはずで、それどころかどんな人、どんな生命も持っている。そして生には縁というものがあって、短いその生きている間に特に馴染む人や物があり、それら実体は実際に会ったり所有したりする一方、記憶すなわち「影」として頭の中に留まり、それも実体として思えるから、人間世界に限らず、生命には質量のある実体よりも「影」の存在がはるかに大きく、意味があるのではないかと思うことがよくある。
●実体の影の実体感覚_d0053294_17480179.jpg
 もちろん親しい人と実際に会って話すことの楽しみが一番だが、親しくなりたいと思ってもそのような仲になれるとは限らない。相手が言葉の通じない外国人、あるいは有名人、またとっくの昔に死んだ人である場合は特にそう言える。それでも憧れがあれば、釈迦の骨のように、本人を思い出すよすがとなる実体的な影を欲し、それでたとえば絵画や音楽などの作品、つまり「影」と言ってよい実体を通じて作者の人柄を想像し、そのことの積み重ねも人生の意義あることとなる。となれば筆者はブログを通じて自分の「影」を生産していて、たまたまにしろ、あるいは以前からにしろ、この文章を読む人は筆者の「影」と対話していて、そのことがそれなりに縁のあることは否定出来ず、前の段落の最後の「質量ある実体よりも云々」をなおさら思うのだが、接してすぐに忘れることに比べて、意識にそれなりに留まる「影」としての作品は案外少ない。というより稀だ。さて、今日の最初の写真は3月21日に家内と下鴨神社の糺ノ森で開催された手づくり市の帰り、同神社の「一の鳥居」の少し北の東側で撮った。西日はまだ高く、庭木の松の影を土壁に落としていた。松はよく手入をされ、影となった松の木も絵の趣がある。この影は天気がよく、また西日の傾きによって生じ、さらには筆者のように着目して撮影する人は稀であろうから、筆者という実体が松のたまたまの影に出会い、さらにこうして投稿し、またこの文章を読む人は何重もの縁が重なってのことだ。その深いとも言える縁の影は不思議で面白く、生とは何か、死とは何かを考えさせる。生きている筆者はこの文章という影を量産し、それは筆者の肉体が消えてもまだしばらくはゴミか埃かわからないにせよ、実体の影としてネット上に残る。影は実体あってのものだが、実体の代用に見えつつ、影そのものが実体と認識される作品は出会いの縁の積み重ねによってより長生きし、他者の人生を彩りもする。今日の2枚目の写真は昨日の午後、嵯峨に買い物に行った帰りに見かけた壁面の影で、これまで長年その道を歩いているのに、このような影に出会ったことは初めてだ。あるいは初めて気づいた。壁は本来真っ黒だが、西日のために白っぽく見え、道路を挟んで西側の古い家の庭木の影を生じさせている。この光景を見かけたことで、「影」について考え、また最初の作品を使う機会が生まれた。最初の写真だけでは出会いは少ないと思えたからだ。しかしつい先ほど、以前撮影しながらブログに使っていない影の写真があることを思い出した。それを3枚目に掲げる。3年前の11月23日、家内と茨木の万博公園内の「みんぱく」に行くため、東口から入って数分歩いたところだ。この影から筆者の服装を想像することは難しいだろう。それが面白いと思った。筆者も手製の帽子はわかるが、どういう上着であったか覚えていない。それで残ったのは影としての写真のみだ。
●実体の影の実体感覚_d0053294_17490230.jpg


by uuuzen | 2026-04-28 23:59 | ●新・嵐山だより
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