「
借りた傘 いらぬと言われ 困惑す 吾もいらぬと 言うに言われず」、「枯れ枝を 束ねて嬉し その形 これも手間かけ 自作のつもり」、「店じまい 見るはさびしき 日は暮れて 客足途絶え 自販機灯り」、「目を見ずに 言葉交わすや 女店員 思い隠して なおさら通じ」

2月13日に枯れ枝の回収があった。3月のいつだったか忘れたが、新年度の区役所からの不用品、資源ゴミの特別回収日を伝える用紙が配布された。それによると今日で、しかもこれまでは自治会館前と近くの公園の2か所で同時に受けつけていたのが、1か所のみとなった。枯れ枝はひとりで抱えられる嵩と重さのものが2束までで、 それは以前と同じだが、回収場所がひとつでは2束しか出せない。家内に2束を運ばせていたことをせずに済むのはいいが、これまでと同じように庭木を剪定し続けると2束は長らく放置せねばならない。今日の写真は午後2時からの回収の直前に家の前で撮った。上の束は1年前から隣家の裏庭に置いていたもので、雨がなるべくかからない場所を選んではいたが、白い黴が生えてどの枝も脆くなっていて、持ち上げて別の場所に移すと、羽根蟻が10匹ほど舞い上がった。白蟻だろうか。動きが割合鈍かったので手当たり次第に軍手をはめた両手で叩いたり、踏んだりし、見つけたものは全部殺した。枯れ枝は1年でそのように腐る。枯葉を土の上に積み、その上に真っ黒なシートを被せた状態では、風化はもっと早いかもしれない。それはともかく、もう1束を仕上げようとして今月に入って作業を始め、まず椿の木を剪定したことは先日書いた。そして隣家のネコヤナギやコブシ、名前の知らない木の枝をわずかに切り落とし、葉を全部むしった枝を集めた。これは断続的に作業し、10日ほど費やしたが、まず椿の枝を紐で緩く束ね、その隙間に順次他の木の枝を差し込み続けて結束状態を強固にする。その作業が面白い。紐はほとんど伸びず、枝の差し込みは2本巻いた紐の片方で束に納まっている状態でも外れる心配はほとんどない。つまり長い枝である必要はなく、束の長さの4分の1程度のごく短いものでも紐の下、あるいは束の隙間にねじ込めば外れない。しかし去年から放置していた束では駄目で、脆くなっているので下手に触るとぽろりと束から外れる。これは枯れ枝がまだ柔軟性を保っている間に束ねる必要のあることを意味し、人間でも同じことが言えるのではないか。小中学生なら先生の言うことをよく聞いて先生の思惑どおりに束ねることが出来るが、高齢になるにしたがってそうは行かない。柔軟性がなくなることは硬化することで、脆くなることでもある。年齢を重ねると涙もろくなるのは本当かどうか、筆者は昔のことを何気なく思い出して胸に迫るものを感じることがよくある。あの人と会っておきたいと思っても居場所がわからず、ネットで調べても同じ名前がない。死んだかもしれないが、そう思うのはさびしい。
