「
Lサイズ 腹だけピタリ 気にするも XLを 知りて安心」、「毎年の 工事に慣れて 気にならず 重機含めて 嵐山かな」、「毎日の 枯山水の 手入れとは 少しは似るか 河川の工事」、「遠慮せず 重機走るや 桂川 黒子と思い 見て見ぬふりを」
3月9日以来の本カテゴリーへの投稿だ。毎年同じ場所を同じ工事をし続けているので関心がほとんど失せた。嵯峨のスーパーに行くのに必ず渡月橋を往復し、橋の上から下流を眺める。パノラマ写真にするには3,4回シャッターを切って写真を左右につなぐが、加工した写真は雄大さを表わすことは出来ず、縦の寸法が小さくなって細部がよくわからない。スマホでは指で簡単に拡大出来るが、パソコンではサイズが固定され、写真の面白さと言うか、筆者の工夫が伝わりにくい。それでも何枚かに分けた写真より、1枚の横長写真の方が渡月橋の中央辺りに立って首を左右に振りながら見下ろした景色の味わいは伝わるだろう。それはともかく、3月以降のこの9か月、工事は渡月橋のすぐ下流だけでなく、200メートルほど下流に重機が土砂を運び、あるいはその付近の土砂も浚渫しているのか、次々にやって来るダンプ・カーに土砂を積んでいた。その間近に行って写真を撮るのは面倒なので遠くから眺めるだけだが、数年計画で河床の整備を行なっていることがわかる。渡月橋のすぐ下流では蛇籠を敷き詰め、もっと下流では土砂の浚渫といったように、川の流れはつながっているから、一か所だけの工事では別の場所にやがて不具合が生じるのだろう。渡月橋の下流2,30メートル辺り、しかも左岸からの嵐山の眺めが絵はがきにもなる代表的な景色だが、それを観光客がいつ来ても満足するものにするには、有名な庭園と同じく、手入れをし続ける必要がある。それは松や楓、桜その他の樹齢を重ねた貫禄のある樹木も含めてのことだが、残念ながら渡月橋近くの松は数年に1本は切り株にされていて、代わりの木が植えられない。植えてもすぐに成長出来ず、嵐山を背景にした渡月橋を収めた写真は観光客が気づかない間に変化している。松やその他の木が少なくなればもちろんさびしいが、渡月橋と嵐山が却って見通しやすいという意見もあるだろう。その点は有名な庭園とは意識が違う。渡月橋下流に重機が走り回る眺めも無粋とはもちろんわかっていながら、観光客は来た時期が悪かったとたぶん自分のせいにする。今日の写真は今日撮った。工事がいつ終わるのかさっぱりわからない状態で、渇水期なのでよけいに河床に整然と並べた蛇籠が目立つ。梅雨時になって川底にあるこれらの工作物がどの程度被害を受けるかわからないが、これまでの経験上、幾分かは必ず破壊されるから、その修復工事が次の渇水期に実施される。いたちごっこだが、観光客が満足する嵐山の眺め、そして地元住民が洪水の被害を受けないようにするには、庭園の手入れとは比較にならない手間を要する。

