「
喉元を 過ぎて忘れぬ 味深し 遠き昔の 母の手料理」、「スーパーで ずいき見つけて 母想う 幼なき頃の 好物野菜」、「夫婦でも 育ち異なり 味覚もと 気づき懐かし 育ち盛りや」、「貧しくも 旬の野菜に 恵まれし 遠き昔の 食事芳し」

TVで二三度見たことのあるずいき祭りが北野天満宮のものであるとは長年気づかなかった。四半世紀ほど前から毎月25日の天神さんの縁日にほとんど毎月通いながら、どういう祭りが行なわれるのか意識しなかった。ずいき祭りは神輿の屋根をずいきの太い茎で作り、そのほかにも野菜を飾り立てるもので、神輿の造形としては他に例を見ない面白さがある。ずいきの茎は太いものでも強度がほとんどないので木材の代わりにはならないが、ずいき祭りが終わった後は神輿に使用したずいきを氏子たちで分け合ってその後食するのかどうか、ずいき好きの筆者としてはぜひそうであってほしい。今日の最初の写真は今日気づいて撮った。西大路三条の交差点から三条通りに入って千本通りまで自転車で走ることが4,5年前は多かった。市バスの敬老乗車券が買える年齢になってからはその機会が減ったが、市バスを乗り継ぐよりも自転車で嵐山から走ったほうが早いこともあって、三条通りは京都市内では最も馴染みの東西の道となった。最初の写真は梅鉢文と「ずいき祭御駐輦所」の文字を刻む石碑に着目したもので、背後のレストランには2年前かに一度だけ家内と自転車を連ねて出かけたことがある。このレストランの向かいは私立高校で、店内はかなり広く、店の前には大きな蘇鉄の植え込みがあり、以前紹介したことがある。蘇鉄は自転車で走りながらもよく目についたのに、この石碑の存在は今日初めて知った。今日は歩いて西大路三条から千本三条まで歩く気になり、自転車の時とは違って周囲をゆっくり眺める時間と心の余裕があったためだろう。この石碑から100メートルほどか、東方の同じく三条通り北側に真新しく見える神殿がある。それが今日の2,3枚目の写真で、4年前の10月20日に撮った。同じく石碑があるが、「駐輦(ちゅうれん)」は共通するものの「ずいき」は「瑞饋」と書かれ、ずいき祭りは知っていても、この神殿がその祭りのお旅所であることはわかりにくい。筆者はそうであった。それで今日はレストランの敷地内になる石碑の「ずいき」の文字から、そのレストランとそこから東寄りの神殿の二か所がお旅所で、また北野天満宮のお祭りであることを新鮮な思いで確認した。お旅所が二か所あるのは祭りの規模が大きいからだろう。あるいはレストランではその内部や奧に長く広がっている駐車場などの空き地が利用されるのではないか。TVや本の写真でこの祭りの神輿を見ながら、いつか本物を目の当たりにしたいと思っていて、それが馴染みの三条通りの西大路から千本の間では後は祭り日に出かけるだけだ。

ずいき祭りは10月のかかりであるから来年秋まで待たねばならず、また10月は地元の体育祭その他、何かと行事があって出かけられるとは限らない。ともかく、楽しみが増えた。祭りを鑑賞するならば出発点の北野天満宮からとなるが、どこをどのように練り歩いてお旅所に着くのか、終始一緒に歩いてもいいが、お旅所で神輿が降ろされて間近で見られるのであれば、天満宮前から市バスでいち早くお旅所近くに行って待つのがよい。このお旅所の神殿は何もなくてとても美しい。新しそうな玉垣や建物のデザインなどから10年は経っていないように見えるが、実際はどうなのだろう。氏子たちが毎年きれいに磨いているのかもしれない。このお旅所を南端として、北は北野天満宮までが氏子の範囲と思うが、東は三条商店街の堀川通り寄りに八坂神社のお旅所のような施設があって、三条通りは北野天満宮と八坂神社とで氏子の範囲が二分されている。だが実際は西端の嵯峨や太秦は松尾大社の支配下にあって、京都市内は大きな神社の氏子の範囲がせめぎ合っている。ずいき祭りは何となく伏見稲荷の五穀豊穣と関係がありそうな気がするが、ずいきにこだわっている理由は何だろう。またずいきで神輿を作るアイデアはいつ頃に発祥したのか。ずいきは今は昔ほどに京都市内では育てる場所がないはずで、また真夏が旬の野菜であるから、ずいき祭りのある10月はどこからどのように調達し、誰が代々続く飾りつけによって神輿の屋根や柱などを仕立てるのか、いろいろと興味が尽きない。筆者はスーパーでずいきを見つけると、筍と同様に嬉しくなる。筍と違って嵩の割りに値段が安く、赤紫色の表面もよい。見つければ必ず買おうとするが、家内は嫌がる。皮を剥くのが手間で、またアクで手が染まると言うのだが、下準備は筆者がするのでと言って籠の中に入れる。家内がずいきを好まないのは小さな頃にあまり食べなかったからだろう。筆者の母は京都の北区の育ちで、ずいきを身近に見て、また食べて育ったはずだ。それでずいきが市場に出ると必ず毎年それで汁物や酢の物にしてくれた。時々太い茎の根元に切り残った芋がついていて、それも一緒に料理されたが、筆者は酢の物が好物で、そのひとつはずいきで作ったものだ。蛸は高価になったのでめったに口に入らないからでもある。家内の弟は酢の物が大嫌いで、家内もその口だが、夫婦で味覚の差が広がるのは高齢になればなおさらではないか。わがままが出て来ることと、幼時を懐かしむからだ。ずいきの酢の物はアク抜きさえすれば三杯酢にして簡単に作れるので、筆者が自分で作ればいいが、家内は台所を占領されるのを嫌がるだろう。幼ない頃の母の味は実際には特別おいしいものではないはずだが、味の原体験として記憶の核を形成していて、高齢になっても当時の食卓の光景と茹でても独特の歯ざわりのあるずいきの味は鮮明に思い出すことが出来る。

