「
ゑべっさん 今年は無理で テレビ見て ゑびす顔捺す 和菓子に興味」、「来年は 夫婦で行くよ ゑべっさん 馴染みの人の 出店はなくも」、「古稀過ぎて 突然の死も あり得ると 知りて続ける いつもの暮らし」、「交番の 名前に残る 大仏は 火の用心の 布袋に負けて」

昨夜眠っている時に鼻水が頬に垂れた。丸めたティッシュを両方の鼻の穴に詰めたはいいが、やがてそれがすっかり水分を含み、その交換で何度も目覚めて熟睡出来なかった。昨日家内と東山方面を散策したために一気に花粉症の症状が出るようになった。日差しが明るくなり、先日から外出時にサングラスをかけている。花粉が目に入らないようにとの思いからだが、効き目はない。これを書きながら、鼻水がたらりと机の上に落ち、ティッシュでは追いつかず、タオルで拭き続け、また洟をかんでいる。昨夜一気に変わった体調によってこうして書く内容にどう影響を及ぼすのかと思ってみる。それは昨夜何度も目覚めながら見た夢とも関係するだろうが、その夢のことを書くと話がややこしくなる。それでなぜ東山方面に行くことにしたかの話をする。去年1月アメリカから大西さんが一時帰国し、京都タワーホテルに行って落ち合い、ふたりで京都国立博物館に向かい、平成知新館で常設展を見た際、建物の北辺にある細長い休憩室に初めて入った。そこは企画展の際は扉が閉まっていて、筆者は初めて入った。その横長の大きな窓からの眺めは眼下に豊国神社の庭が広がって、借景として申し分なかった。京都に来て半世紀ほど経ち、そして方広寺の燃え落ちた大仏や今もある有名な鐘を知りながら、その神社を訪れたことがない。すぐ南に耳塚があって、それについては切り絵の画題にしたこともあるが、なぜか豊国神社に足は向かなかった。方広寺は今も家康を怒らせた前述の鐘はあるが、大仏殿が建っていた場所は京都国立博物館のある東側か、それとも民家が建つ西側か、調べればわかると思うが、現在は巨大な石で築いた石垣が往時の威容を物語るだけで、その上に立つ秀吉を祀る神社はたいしたものではないだろうとの認識があった。それが去年1月、大西さんと見下ろした同神社の庭園によって少しは変わった。しかし、博物館の新しい建物から見下ろされることになって、秀吉の逆鱗に触れる気がする。知新館を立てる際、その設計図を同神社に見せて了解が得られたのかどうか。そんなことを思いながら1年は瞬く間に過ぎ、昨日ようやく同神社に行くことに決めた。正午過ぎに家を出たのでまずは食事だ。その後、これも大西さんと歩いた京都市立芸術大学前に行ったが、無料で作品展示が見られる資料館は閉まっていた。同資料館に行きたかった理由を書かねばならず、話をはしょり過ぎかもしれないが、まとまりがさらにつかなくなる。筆者はいくつかの目的を作って出かけ、予期しない何かがあれば寄り道をする。昨日はそれら複数のことが重なり、思い返せば夢のようだ。

見た夢を全部文字に出来ないのと同じように、昨日筆者が遭遇して感じたことをすべて今日の投稿で書くことは不可能だ。それで何かに絞ることになるが、その絞り具合と記述の妙で他者が読んで面白いものになる。それが作品というものだが、「限界芸術」の言葉を使えばもちろん「限界」に位置し、それは取るに足らないということだ。取るに足らない「作品」を、「限界」を付すとはいえ「芸術」と呼ぶことに筆者は反対だ。鶴見俊輔が「純粋芸術」と分類するものを、普通は短縮して「芸術」と呼び習わしている。ではそういう「芸術」に届かないものをどう呼ぶか。軽く「アート」と呼ぶ手があるが、「アート」を訳して「芸術」と呼ぶからには、限界芸術に分類される諸芸はやはり「芸術」と呼んで差し支えないことになるし、それは限界芸術に携わっている人々を勇気づけもする言葉だ。フランス映画『天井桟敷の人々』では自分の肉体を見世物として晒す女性が主役のひとりとして登場し、彼女は警察から疑いの目を見られた時の職質で「アーティスト」と答える。画家アングルのモデルをしたことがあるとも発言するが、アングルは純粋芸術の大家だ。その画家と同じく「アーティスト」と自称する彼女は自分の肉体を含めた美によって世間を泳いで行こうという覚悟がある点で、「アーティスト」を自称することは滑稽でないどころか神々しくさえある。彼女のようなモデルがいなければアングルの才能の開花もなかったかもしれない。しかし彼女が体を張って「アーティスト」を自称してもその作品は歴史に残る「純粋芸術」にはならず、同映画で彼女が「アーティスト」を自称したことは含みがある。それは純粋芸術も大事だが、今眼前にある天然の美もそうであるということで、純粋芸術に無関心な大衆にとっては限界芸術こそが価値あるものだ。その限界芸術に映画が含まれるとの意識を監督は持ちながら、良質のものを作る意識が強く、その作品は映画における純粋芸術的な立場を得ることになった。しかし映画を純粋芸術に含める時代はいつ来るだろう。話が予想外のところに進んで来た。その意図しなかったことへの迷い込みは睡眠中の夢に似てほとんど無意味だが、自分が見た夢を元に文章を書くことは絵を描くことに意味があると自惚れるのは滑稽として、小説も絵も現実そのものを描写出来ず、その一面を夢想を交えて歪曲して組み合わせるから、純粋芸術も夢に負っている。どうも昨夜見た夢の強烈さが頭から離れないが、その夢と昨日の経験は理性で分離しているが、今後混ざり合わない保証はない。昨日は大宮七条辺りをぶらついた後、京都駅に行き、京都市立芸術大学の資料館を目指したが、休館であった。それで次に初めて訪れる京都美術工芸大学に行ったが、そこも閉まっていて、最後に豊国神社を目指した。今日の最初の写真は同大学正門近くの塀に設置されたお稲荷さんで、小便除けを兼ねたものだろう。
耳塚よりさらに坂を上ったやや小高いところに、幅100メートル以上はある長い石垣を築き、その上の一部に豊国神社がある。鳥居前に着いた時、一台のタクシーが筆者と家内の直前に停まった。タクシーから50歳くらいの夫婦が慌てるような素振りで降り、筆者らより先に石段を上って鳥居下で一例し、本殿に向かって歩み始めた。後でわかったが、彼らはNHKで放送中の秀吉兄弟のドラマを見て訪れた。そのドラマのポスターが社務所のお守りなどを売る場の背後に貼ってあった。撮影しなかったが、本殿前左手に2メートルほどの高さの土台に秀吉の関白姿の座像が置かれていた。それが焼き物であるのがいかにも京都らしい。右手の庭園を拝観しようと思うと、先とは違うカップルが残念そうに戻って来た。拝観受付は終わっていて、5時を過ぎていたのだろうか。拝観料は千円で、一生に一度訪れる遠方の人は高いとは言っておれない。おみくじが種々あって、最も安価な200円のものを家内に引かせると39番で、写真に載せるようにその内容があまりに家内にぴたりで感心した。庭園にひとりで近づいて覗くと、数人の姿が見え、建物もあった。そこでは方広寺の遺物を展示しているのだろう。筆者の興味は京都国立博物館の知新館がどのように見えるかだが、大西さんと一緒に眺めた窓は遠くに小さく見え、ほとんど気にならなかった。そのため、園内を歩く人は見降ろされていることがあまりわからないのではないか。園内からは庭園の全景はわからず、その意味では一度は知新館の休憩室の窓から眺めるのがよい。遠くに見ているものをその遠くに行って眺め返すことを去年家内が倒れる直前に栴檀の木とその実を出汁に投稿した。身近な場所から離れて身近な場所を想うことは旅の大きな作用だ。それは「なるほど」と感心することもあれば、「想像どおり」と思う場合もある。その旅は本で知ったことでも味わえる。豊国神社を出た後、また耳塚前を歩き、甘春堂で休もうかと思いつつ次々に客が入って行くのを見て諦め、眼前の道を右に折れて四条まで歩き、その途中で恵比須神社に立ち寄ろうかと思いながら、喉が渇いて仕方がないと言う家内のために左に折れて自販機を見つけてコーラを一本買った。その道を進むと京都市内ではよくあることだが、橋がないのに小高くなっていて、歩きながら不思議な気がした。また道の両側はところどころに空き地が出来ていて、現代風の建物もぽつぽつとある。家内はどこを歩いているのかと訊くので、本町通りと答えると、やがて自治会の看板でそうであることがわかった。筆者は皆川淇園が円山応挙や呉春を誘って耳塚辺りの茶屋で休憩しながら本町通りを伏見まで歩き、亀谷の梅林を見物したことを家内に言った。その同じ道を同じ時期に同じ方向を目指して家内と歩きながら、応挙や呉春の後をついて歩いていることを想像したが、そのことを家内には言わなかった。

