「
南天の 実の穂に似るや 神楽鈴 巫女持ち舞いて 難を転ずる」、「垣根から 飛び出る赤き 南天の 実の集まりや ダイヤの形」、「どこにでも ありて無視さる 南天を 愛しく見るや 退院の後」、「四君子や 三友になき 南天を 日本独自に 福と尊び」
元日に赤い実をつける南天の写真をいくつか投稿した。その後も撮影し、今日はその在庫整理をするが、あまりにもあちこちにあり、知らぬ間に自生するので放置されている場合が多いだろう。それは目障りでないからで、艶のある赤い実や、かなり赤くなる葉は鑑賞によい。これが美しく見えない雑草ならば迷惑がられるが、当の雑草は人間にどう思われようが好き勝手に繁茂する。南天も同じで、南天はその名前で得をしている。同じように生きて喜ばれる場合と嫌われる場合があるのは人間の気持ちの勝手で、雑草を撲滅しようと除草剤を撒いても必ずまた生えて来る。生き物はみんなつながっていることを人間は知っているのに、自分の暮らしに入って来ないように望む。そうしてたとえば
熊を限界の山地に追いやったのに、いつの間にか人間の生活圏内に戻って来るようになった。猪や鹿その他の野獣も同じで、どこで折り合いをつけることが理想なのか、自然環境問題を含めて識者にもわからない状態になって来ている。鶴見俊輔の『限界芸術論』収録の「芸術の発展」は柳田国男、柳宗悦、そして最後に宮沢賢治を取り上げて彼らが関わった限界芸術を論じるが、宮沢の言う「修羅」についての分析はわかりにくい。宮沢が今生きていれば人間の住む場所に熊が出て来て時に人を襲うことをどう思い、また行動したか。仏教から見れば熊も人も修羅の存在で、熊が人を食うことはさらに過激な修羅だが、人間がより豊かに生きようと土地開発を進め、熊を奥地へと追いやって来た歴史を宮沢はどこまで予想していたであろう。生徒を連れて北海道に見学に行った宮沢は、開高健の小説『ロビンソンの末裔』に描かれる北海道開拓者たちと熊との戦いについてよく知っていたはずだが、熊に同情的でありつつ人間も生きて子孫を増やして行かねばならないことを法華経でどう説明されているかを考えたことがあるのだろうか。「芸術の発展」は、宮沢が自作の詩に法華経に出て来る「微塵」という言葉を使うことに言及し、鶴見はこう書く。「修羅は一瞬一瞬の中にひそむ私の中のもっとも私的な分身であり、…私的であることによってくりかえし、新しく社会化への努力へと個人をかりたてる。…宮沢賢治においては、芸術とは、それぞれ個人が自分の本来の要求にそうて、状況を変革してゆく行為としてとらえられている。…宮沢賢治の芸術観には想像と行動の二つのモメントがあるが、どれか一方の極において芸術が純粋に成立することはありにくい。芸術とは本質的に、ヴィジョンによって明るくされた行動なのである。」これはよくわかるが、熊は芸術をどう知っているのであろう。

引用を続ける。「宮沢において技術および科学が、限界芸術としてどんな仕方で生かされるかは、「饑餓陣営」の果樹整枝法に示されている。果樹整枝法にしても、土地改良法にしても、それらについての宮沢のあたえる処方箋においては、科学あるいは技術が芸術として生かされている。科学的知識あるいは技術的知識を芸術に転化する力が、宮沢の言葉で言えば「修羅」なのである。「修羅」とは、各個人の中にある外面化されない分身であって、これが各個人を底のほうからつきうごかして彼を現状に満足させず、彼をして、未来への彼なりのヴィジョンを投影させる。…しかし、各人の人生が一挙手一投足すべてそのまま芸術だという考え方には、宮沢はたたなかったようである。…宮沢が聖者の生涯においてのみ人生全体が芸術になるという見方をとっていたとも思われない。この問題についての宮沢の見解は、第一に、どんな行為も芸術として成立し得るということであり、第二に、見方をふかめてゆくことによってどんな人生も芸術として見ることができるということである。」鶴見は宮沢の芸術を限界芸術の観点から考えるので、人間が熊を生活圏から追いやって来たことを宮沢がどう捉えていたかについては書かないが、現在の熊が置かれている状況を扱っても芸術は当然生まれる。今年の天龍寺での節分会では小学4年生の墨一色の紙版画として、熊を真正面から中央よりに大きく置き、そのすぐ左に熊の頭よりやや小さな柿の実をひとつ描いた作が展示された。去年秋以降、柿を食べる熊が銃殺されたニュースが相次いだことによる発案で、悲しみよりも熊が堂々とした様子で描かれ、男子の熊に対する優しさが伝わり、一級の限界芸術作品と評価してよい。それは
先日引用した新聞上の『柳宗悦を考える』に対する金沢百枝氏の書評に、著者の言葉を引用して、李朝の壺や井戸茶碗が美しいのは著者が「金銭目的で作られていないから」と書くことを思い起させるが、子どもでも自作が売れれば嬉しいはずで、そのことで画家になる決心をすることもあり得る。それはいいとして、書評の最後に「観念を重視する社会/心からのみ生まれる美。それは私の専門であるロマネスク美術にも通じる気がするが、いつかその心を感受できるだろうか。」とある。ロマネスク美術は奇怪な彫刻やまた挿絵のある写本が魅力となっていて、それが朝鮮の民画や工芸にもあると思うが、金沢氏が同書を評したのもその思いからではないか。そこには信仰の問題が横たわってもいて、その点で宮沢賢治の芸術との関連も浮上する。ロマネスク美術に関して、一昨年筆者はフランスのZODIAQUE叢書を知り、2冊のみを入手した。図版はフランス所蔵の作品に限らず、ロマネスク美術全体を隅々まで踏破してあらゆる面から巻立てしているようで、その分厚くて頑丈な造本、そして美しい装丁がロマネスク美術を体現している気がする。

さて家内の入院中、1月18日に筆者の上の妹夫婦が見舞いに訪れた。その時、妹は息子の長男で
/中学2年生のHが大の絵好きで、暇があれば超微細な絵を細いマジックペンで画用紙に描き続けることを話題にし、その作品の数枚の画像をスマホで見せてくれた。一昨日はその妹夫婦から温泉に誘われて京都島原の「誠の湯」に行き、その後は寿司屋で御馳走になり、その時にまたHの話になった。メルカリで3、4万円で買った画集を宝物にしていて、暇があればそれを眺めていると言う。その画集の題名を教えてほしいと言ったところ、今日の午後に連絡があった。建築家ルイジ・セラフィーニによる『コデックス・セラフィニアヌス』だ。筆者はその本を昔古本屋かどこかで手に取ったことが一度ある。「コデックス(CODEX)」は写本で、題名は当の画家による空想画と空想文字を散りばめた写本の形式を意味している。形式と言うのは、中世のように羊皮紙を用いていないからだ。その点は岸田劉生の『初期肉筆浮世絵』が江戸時代の版本を意識した装丁になっていることに通じている。中学2年生は最も多感な時期で、Hがどこで情報を得たのか、それはひとまず置いて、『コデックス・セラフィニアヌス』の中身を仔細に見ていないが、WIKIPEDIAにはロラン・バルトが同書について言及したと書いたイタリア人の本があり、早速その本を発注した。日本の表徴に関心があったバルトが同書に興味を持ったことは意外ではないが、中世から続く奇怪なイメージを画題にする絵画、あるいは詩文はアンドレ・ブルトンの時代に再活性化し、日本でもシュルレアリスムを売り物にする画家はよくいる。筆者はロジェ・カイヨワのシュルレアリスムに対する立場に同意してその美術や詩文に好意的ではないが、「現実の上を行く写実」と理解して細密に描く画家に対してはその画力は認めたい。嫌いなのは適当、出鱈目に描きながら超現実ないし前衛ぶっている無思想な画家だ。ロマネスク美術の伝統のあるヨーロッパからセラフィーニのような人物が登場して来ることは、たとえば音楽家のジョン・ゾーンが錬金術や神秘主義を含めてヨーロッパの諸思想の伝統的なイメージを表面的にしろ、咀嚼しようとしてアルバム・ジャケットやタイトルに使い続けていることも含めてよいが、セラフィーニは晩年の劉生が日本の絵巻や絵草紙に注目したことにどこか似ている。それもさておき、Hは春休みになると筆者に会いに来そうで、筆者は何を見せて何を話そうか。今日の最初の写真は去年12月31日に近所で、2枚目は1月11日に病院の駐輪場脇で撮った。3枚目は1月19日で、旧家の母屋に通じる小径の両側を南天が埋め尽くしていることに気づいた。4枚目は今月12日、JR嵯峨嵐山駅近くで、垣根から南天の実が覗いていて、それが最初の写真と同じように全体でダイヤ型をしているのが面白い。

