「
冷える夜に 厚手靴下 履いて寝て 一月経てば 気温二桁」、「白梅に 雪が積もりて 目立たぬを となりの紅き 花はスイーツ」、「学問の 神に祈るや 受験生 落ちて想うか 左遷の無念」、「縁日で 梅の苗木を 売る老女 長生きの子を 手放し嬉し」

明日は天神さんの縁日に行くつもりでいるが、天気予報では雨で、先月の雪降り以上に休む露店が多いだろう。傘を差し、足元が悪いでは出かけるのが億劫で、終日家にいることになるかもしれない。それに正午から午後2時まで荷物が届く。夜間の配達にしておくべきだったが、天神さんに出かけないなら昼間でよい。2月の天神さんは梅花祭りがあるはずだ。雨では梅苑を見る人は減るが、25日に限らず梅の花は咲いているので天満宮はさほど心配していないだろう。今日の2枚目の写真に見えるわが家の裏庭とそのすぐ向こうを流れる用水路との間の幅50センチほどの土地は、昔は通路として使われ、水路を管理する京都市のものと思うが、今はたまに筆者しかそこに立たない。10年ほど前に天神さんの縁日で高齢の女性から白梅と紅梅の苗木を2本買った。それを2,3メートルほど距離を置いて前述の50センチ幅の通路に植えた。下には大量の瓦礫やゴミが埋まっていて、それらを1か月以上を費やしてほぼすべて撤去し、土だけの状態にした後に苗木を植えたが、やがて実をつけるようになった。ただし隣家の裏庭向こうに植えた白梅のみで、わが家の裏庭からよく見える紅梅は毎年数個しか結実しない。白梅の実だけでも数百個収穫出来るので充分過ぎるが、収穫時期が早ければ実は小さくてほとんど種子のみとなる。遅めであれば丸々と太った実が採れるが、雨が降ると落下し、またほとんどが用水路に落ちるので、毎年早めに摘む。それで梅干しを作ると食べる部分がきわめて少ないが、家内の入院中、毎日それを2粒ずつほど食後に白湯に入れて食べた。退院間近の家内はその梅を持って来てほしいと言うのでそうすると、知っているのに「こんなに小さな実では食べるところがあらへん」と言った。それで2,3日後に持ち帰り、以前と同じように食事後の口直しに食べた。あまりに小さな実で、塩分の摂り過ぎを気にするほどではない。スーパーではその実の10倍くらいの大きな梅干しが安価で売られているが、わが家で実り、家内が手間をかけて漬けたものなので愛着がある。この個人的な愛着は他人からはお笑い草に見えることが多いが、人生は愛着あってのものだ。それは大金を出して買えるものではない。本ブログも筆者の愛着を綴るもので、これは読むのは無料だが、そういうものでも愛着を持たれることはあろう。親密感を覚えさせてくれるからで、天神さんの縁日に毎月出かけたくなるのも同じ理由による。その親密感は顔見知りと話すことが出来れば一気に増すが、話し好きではない人の場合、縁日の空気を吸うことで歓びを感じる。

嵯峨のFさんが毎週土日と場外馬券売り場に行くのも、賭けた馬に勝ってほしいと言う思い以上に繁華街に繰り出して大勢の人を見るという非日常感を味わいたいからだろう。そして土日はいつも四条や三条の河原町界隈でランチを食べるのも、平日は家に籠って株の売買のために画面を睨んでいることからの開放感が目的だ。さて、昨日は岸田劉生が大正15年に岩波書店から上梓した『初期肉筆浮世絵』の崩壊した外箱の修復を終えた。最初はばらばらになっていた表紙や底を細い和紙で貼りつなぎ、乾燥後に白い和紙を朱色に塗った。その後、題箋の部分的に虫食いなどで欠けていた箇所は和紙で埋め、残っている他の箇所の経年変化した色合いに着色し、そして文字が読めるように墨で欠損箇所を補充した。それには元のまともな題箋の画像が必要で、ネット・オークションで探すと数冊の本が売られていて、すぐに参考とすべき画像が見つかった。おかしいなと思うと、近年かどうか、岩波が復刊したことがわかった。筆者が所有するのは初版で、7円80銭の価格だ。これは現在の価格では2万円少々になる。箱はさておき、頑丈な造本で、劉生の当時の名声がそうとうなものであったことがわかる。第2章まで読み進めたところだが、劉生の画論であり、画家がどういうことを普段考えて描いているかのひとつの見本だ。カンディンスキーの抽象画について触れた箇所もあって、絵の好きな人は読んでおくべきものだ。劉生による序文に次のことが書かれる。現代の漢字と仮名遣いに直して引用する。『…私は又かなり前から、美術上の審美的境地に「事象」の美という一境のあることを覚って来ていた。街を歩いて、店頭や安ぽい看板や広告をみる。そのものとして美しいのではなく、何かそういう事が、一つの形象的な喜悦として感じられる。そういうものを知って浮世絵をみる時、実に浮世絵というものがそういう審美に立脚しているという事を覚るようになった。』劉生が見て喜んだ街中の空気はその後昭和に入り、さらに戦後になって今はかなり現代的なものに変わった。筆者がよく書くように、新築の家がことごとく趣に乏しく、劉生が使う「ぬるり」や「でろり」とした美ではなく、無表情ののっぺらぼうのようで、そこに筆者のような昔の世代は審美的な美を感じることが出来ない。今の若者はどうか。昭和レトロの喫茶店が一部の若者に人気があるのは、つるつるで表情のない建築や街のたたずまいに魅力を感じないからだろう。そういう家には雀が巣を作ることは出来ず、動植物に対する拒否感が露わだ。となると、劉生が評価した日本が誇るべき初期肉筆浮世絵やそれを生むことになった絵草子の類の美を理解せず、その伝統を革新する力も枯渇して行くことになりそうだが、漫画やアニメこそが後継者と唱える評論家はすでにいるかもしれない。

今は天神さんの縁日に筆者が喜ぶものはほとんどない。戦後昭和のがらくたが中心で、そうしたものは筆者世代の家なら押し入れに大量に眠っているが、筆者はそれらをほとんど無価値と思っている。しかし若い世代や外国人は違うかもしれない。戦後から今に至るまでの街中の店頭や安っぽい看板や広告などが全体となって醸し出す形象の喜びは、たとえば大阪の佐伯祐三がパリの街角で感じたものと同じで、日本独自のものとは言えない気がするが、同世代でともに30代で夭逝した劉生と佐伯は互いの画業を知っていたのだろうか。日本のしかも独自の古典美に戻って行こうとした劉生と、フランスにこだわった佐伯というふたりから、大正から昭和初期の日本人画家の視野の広がりの一例を見るが、そのことは戦後解決されたかと言えば、混沌一方のままに、「ゆるキャラ」のゆるくてのっぺりとした、見方によれば劉生が感じた「でろり」とは全く違った意味で不気味な、というのは表向きは笑顔だが、それを剥がすと何も考えていない無思想の、しかも誰にでも媚びることだけは熱心な「キャラクター」が全盛になっていることを思う。その批判精神から筆者が家内の入院中に作った「無事カエル」を見ると、今日家内が「目は笑っているけど、口元がそうではなくて何となくわざとらしい」と言った感想は、前言した「ゆるキャラ」に共通する「のっぺり」感への率直な反応と思う。となれば、筆者は老人ではあるが、今の若者文化に毒されている、あるいはいいように言えば、その特質を見事に把握して表現に対応出来る能力があることになる。つまり、時代に遅れていない。では劉生が喜んだ街中の形象的な事象の美を、現在のどんどん新しくなる京都で感じることが出来るか。新築の家も数十年経てば街の風景に馴染み、その時代の画家が劉生の言う「でろり」とした審美的味覚を、日本がどれほど街の様相を変えても本質的に温存され得ると思うとすれば、その理由は畳やキモノ、神社仏閣がある限りは大丈夫という千年以上の文化の伝統があるからだろう。さて、今日の最初の写真は今月8日に裏庭で撮った。満開の紅梅が積雪によって練乳をまぶされた苺のように見える。2枚目は10日の撮影で、わが家と隣家に見事に咲く紅梅と白梅を用水路上に架かる橋から撮った。3枚目は家内が病院で目の検査を受けた後、筆者が先に自転車で帰宅する途中で見かけた地元の旧家の満開の紅白梅だ。わが家のものより何倍も見事だが、同じ用水路際にあって、この眺めは劉生時代から変わらないはずだ。4枚目は前述した『初期肉筆浮世絵』の初版本の外箱の修復の前後で、左の写真の白く見えるのは和紙を切り抜いて貼りつけた箇所、右はその痕跡がほとんどわからないように色を塗り、文字の欠けた部分は補った。さすが2万円もした本で、図版の印刷精度はよくないが、折り込みは折る箇所を屏風のそれに合わせている。

