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雪月花 ブログに盛りつ 二か月の 入退院の ドラマ幕引き」、「才能を 成果で測る 営業を 嫌い転職 どこも似たもの」、「同じこと 日々繰り返し 熟練に 機械に負けぬ 安い賃金」、「とぐろ巻く 蛇のとなりに 歩の駒を 並べ夫婦の 徴見つめて」

4日前の19日は朝9時に家内は目の診察のために病院に入らねばならず、朝寝坊する筆者を放っておいてひとりで市バスを乗り継いで入院していた病院の眼科に行った。8時25分に布団から出た筆者は5分後には自転車を病院に向けて走らせていた。9時10分前に病院に着いたはいいが、マスクを持って行かなかった。正面玄関を入ると、マスクを必ず着用してくださいとの注意書きがある。小銭入れを探ると50数円しかなく、100円で2枚入っている自販機のマスクを買えない。ズボンのポケットに数千円あったので、千円札が使えるかと思うと、100円玉専用だ。来院者をさばくマスク姿の中年女性に両替したいことを伝えると、大勢の人が並ぶ会計カウンターに行けと言う。そこは大量の人が並んでいて、彼らは手にした札の番号によって順に呼ばれ、筆者は両替ごときのためにそこに並んでいいのかどうかわからない。いつも必ず首に巻くマフラーがあれば、それをマスク代わりに覆面姿になったが、起きて5分で着替えて顔を洗って出かけた慌てぶりでは、いろいろ忘れ物があるのは仕方がない。それでポケットの中にあった使い古しのティッシュで鼻を押さえながら、つまりマスクをしていないことをなるべく悟られないように気を使いながら、家内に言われたように大型TV画面前の数十ある座席の最も後方、すなわち玄関に最も近いところに座り続けた。その1階は吹き抜けになっていて、2階にある眼科に診察券を出した家内が筆者を見つけてくれるだろうと思っていると、10分ほどすると家内が目の前に現れた。マスクがないと言うと、家内は予備のマスクを2枚持っていた。その1枚をすぐに着用し、他の人々と同じく正体不明になった気がして安堵した。筆者の派手な色柄の帽子に柿色のコート姿を、家内は2階から見下ろしてすぐに筆者がわかったと言う。1階にいる百人ほどの病人やその付添いの誰ひとりとして、筆者のような目立つ色の服を着ていない。それはいいとして、家内は眼科の若い女医がかなりの美人と言い、その言葉で釣って筆者を同伴させようと考えたのだろう。順番が回って来てかなり狭い室内に家内ともども招き入れられると、残念なことに女医はマスクをしていて美人具合がわからない。女医は家内の後方に座った筆者を見向きもしなかったが、筆者を一瞬まともに二度見た。彼女は細身で長身、短髪で、スポーツ系に見える。筆者に目を配ったのは、老人であるのに派手な色の服であったからだろう。女医はてきぱきと言葉を発し、入院から3か月は様子を見ようという、全くの予期出来た言葉で、家内と筆者は3分と経たずに部屋から追い出された。

16日の通院時はふたりの医者に診てもらったが、その時も19日も診察室には必ず医師と若い女性看護師がいた。看護師は患者を招き入れ、また医者の診断や、薬が必要であればそれもパソコンに記入する役目を負っている。眼科の女医は40歳くらいと思うが、看護師は少し若いくらいか。同じ女性ながら医者になる場合もあれば看護師にもなり、それは能力に応じてということなのだが、医者になるには看護師の何倍も勉強せねばならず、また資金も必要で、必ずしも知能に差があるとは言えないだろう。しかしどの女性看護師もだいたい同じように見えるのに、医者はみなかなり違って見える。それだけ個性的で、そのあくの強さのようなものが人を社会的に目立たせるのではないか。嵯峨のFさんはそういうあくの強い女性は「女として変わっている」と断言してほとんど興味がなさそうだ。学校の先生や女医といった専門職を持つ女性は苦手なのだ。それはFさん世代ではごく普通で、筆者もFさんに近いかもしれない。それに70代になると、長年人生を経て来たせいか、医者や教授にほとんど驚かない。ひとつの専門に詳しいだけで、全く知らないことは膨大にある。そのことは辻まことが『蟲類図譜』に書いた。ところで、鶴見俊輔の『限界芸術論』に収められる黒岩涙香論の最後に、涙香に対する評価としての「才能に見合う成績を残さなかった」に反論する形で、鶴見は涙香の業績を限界芸術の側面から分析する。才能があるのにそれに見合う業績がないという評価は、業績を固定観念で見ているからで、才能があると讃えながら、結局はB級の人物であると貶めている。才能と業績は不可分のものとして考えるべきだが、目立った業績を残さねば才能がなかったと評価される。その目立った業績というのが問題で、誰がその評価を決定づけられるのか。涙香を正確に評価出来るのは、同じような、あるいはそれ以上の才能と業績を持った者に限るのではないか。ベートーヴェンの評価はその才能が作品に表われていることを認める人たちが大勢いたし、今もいるという伝統が大きくものを言っている。鶴見の涙香論によって涙香の業績を再評価する人が出て来ることは大いにあり得るし、となれば今後涙香は「才能に見合った多大な業績を成した」と評される可能性がある。才能の評価は時代とともに変わる。生前誰よりも抜きん出た早熟の才能を見せ、多くの人に名前を知られる人は、没後も生前と同じほどに多くの人が業績の大きさに思いを馳せ、「時代を作った」と評価されるかと言えば、それは才能ある書き手の数に負う。鶴見が書くように、文化は広める人があってのものだ。論文は引用する人が多いほど重要とみなされる。その意味で言えば筆者の文章は筆者のみで閉じていて、文化になりようがないが、ネット時代になって限界芸術の裾野は大きく広がり、ネット上の発信はその末端に属する。

今日の最初と2枚目の写真は19日に撮った。最初の写真は50メートルほどの長さのある廊下で、突き当り右手にエレベーターが二基ある。両壁面から天井まで描かれる樹木や野鳥のイラストに対し、クラウドファウンディングで245人から集めた費用によって作ったものとの説明書きがあり、それを19日に初めて読んだ。2枚目の写真はエレベーターから最も遠い『障がい者アート』の絵がかかっている場所で、壁と棚の交わる隅に着目してほしい。3枚目の写真は仏師のOさんから5,6年前にもらった将棋の駒にようやく筆者が裏と表に文字を書いたことを示す。無地のままに置いていたのは何かを書けばよいかとも思わなかったからだが、今回の家内の入院から退院を経て、ひとつの区切りが出来た気がしている。将棋の駒の真横にとぐろを巻いた蛇の小さな木彫りを置いたのは去年だ。その年の干支に因み、また筆者が家内の干支が蛇だと言ったために、Oさんは身近にあったものをくれた。将棋の駒の裏面は朱色で「大悲」、表側には「歩」の篆書を墨で書いた。「歩」はこのブログを「歩録」と最初に書いたことに通じている一方、筆者の人生や存在が全くの「歩」であるからでもある。「歩」は成金になって大将を倒せる存在だが、「歩」が「大悲」に成るというのは大将を負かす以上の存在と言ってもいいのではないか。ただし「大悲」は心を平安に保って生きるうえでの願望で、常に体現出来るものではない。それはともかく、Oさんにこの将棋の駒を見せればどまさか偽善者呼ばわりはされないとは思うが、家内がクモ膜下出血で入院し、そして退院したことを2週間ほど前に家に立ち寄って伝えると、大変な年始年末であったなと驚かれ、同情された。Oさんの奧さんとは二度、またごくわずかしか会っていないが、その二度目に顔を見て1か月ほど経って奧さんは急死した。Fさんの奧さんはクモ膜下出血の後、10年間入院して死んだが、Fさんも奧さんが10歳ほど年長で、またFさんもOさんも奧さんより長生きしている。筆者はふたりに対して強いて奧さんの話題を持ち出さないが、奧さんを失った悲しみは10年経てば表向きはかなり薄れているように見える。それは無慈悲ではなく、悲しみに沈んだまま生きては死んだ奧さんも悲しむだろうとの思いからではないか。またふたりとも筆者の家内にはかなり好意的で、今回の退院を本当によかったと言ってくれた。「大山さんの値打ちは奧さんあってのもので、大山さんだけならたいしたことはおへんで」と、筆者を一番の親友と思ってくれていた10歳ほど年長の白生地を扱うKさんは冗談交じりに何度か言ったことがある。それは冗談ではなく、本気であったのだろう。Kさんの言うことが正しいとすれば、家内にはまだまだ生きてもらって筆者の価値を高めてもらわねばならない。それは筆者の好き勝手を黙認することだ。

