「
常識と 言われ戸惑う 場違いの 人の足元 ボロ・スニーカー」、「片方の 靴失いて また買うは 使い回せる 同じ靴かと」、「格安の 左右のサイズ 違う靴 履いて慣れれば 誰も気づかず」、「履きつぶし また靴買うも 気に入らず 古靴磨き 歴史を想い」
先月25日に初天神に出かけた。その理由は家内の退院に際してひとまずの「無事かえる」を祝して、蛙の小さな置物を探すためであった。わが家には息子が小さかった頃に集めた同類の小物がたくさんあるが、いくつかに分散して置いていいて、すぐに探し出せない。蛙もそこに混じっていると思うが、天神さんで探すほうが早い。当日は朝に雪が降ったせいもあって空き地が目立ち、また全部の露店を仔細に見て回ったものの、蛙の小物は2か所しかなく、どちらも全く気に入るものでなかった。やや大きな作家の陶製を専門に売る店があって、明らかに県外から来た観光客がそれを見て「こんなものはどこにも売っていない!」と狂喜していた。趣味の悪い焼き物で、筆者なら手元に絶対に置かないが、人の趣味はさまざまで、どのような手作りの品でもそれなりにファンがつく。京都では百万遍の知恩寺で昔から手作り市が毎月開かれていて有名で、そこに出店している作家は天神さんも含めて他の場所でも作品を並べている。平安神宮前もいつの間にかそういう臨時のテントが20ほど並ぶようになっていて、小物作家はSNSを使いながらどうにか生きているようだ。猫ブームのためか、天神さんや弘法さんでは猫のグッズを売る人が目立つ。初天神でそういうテントがあって、店員の女性に「蛙かないのですか」といちおう訊くと、憮然とした顔で「ないです」と言われた。筆者は別段蛙好きではないが、前述の陶製の蛙の置物を喜んでいた女性のように蛙のファンはいる。それは蛙を扱った有名な漫画があったことからもわかるし、蛙の置物は薬メーカーが昭和時代に製作して薬屋の店頭に置かせてもらい、日本では蛙は河童以上に人気があるのではないか。しかし蛙は古代エジプト時代に神と崇められ、日本における蛙グッズの先駆を表現していた。蛙は漫画化すなわち記号化しやすい形をしていて、そのグロテスクさと滑稽さがない混ぜになった愛嬌のある姿は両生類の代表格となっている。さて、天神さんで適当な蛙が見つからず、帰りのバスに乗った時は自分で作ることを決めていた。そして午後3時に家内が入院する病院に行き、午後4時にそこを出た後、松尾橋をわたって梅津に行き、そこから丸太町通りのホームセンターに足を延ばした。そこで紙粘土を買ったのは10年ほど昔のことだが、店内の同じ場所に同じパッケージの製品が同じような価格で売られていて、自転車を駐輪場に停めて2,3分で買って駐輪場に戻った。どういう大きさのどういう形と色のものを作るかは決めていたが、試行錯誤しながら丸2日要して仕上げた。

その詳細は明日の投稿に回すとして、当初は地蔵さんを考えていた。それは家内が入院している間に病院の大きな駐車場の端に
地蔵尊の祠があったためでもあるが、
4日前の投稿の後半となる今日の投稿だが、子どもの片方の靴が相変わらず同じ場所に立てかけられている様子を毎日撮影しながら、その靴の傍らに置いてふさわしいものは、幼児の安寧祈願としては地蔵像しかないと思ったからだ。それで先月20日頃に家内に訊ねた。「家に地蔵さんの小物が確かあったように思うけど」「そうやね、どこかにあるはずやけど」しかし前述のように探すとなると大変だ。ぼんやり気づいていたものもあるが、それについては後日書く。地蔵さんを紙粘土で作ろうかという気にはならなかった。地蔵尊は石に限ると思うからだ。しかし家内が入院している病棟に通じる50メートルほどの渡り廊下の一番端、すなわちエレベーターに最も近い棚の隅に置かれる、
信楽の狸を象った薄手のプラスティック製の置物と対になるようなものとなれば、やはり地蔵さんの小物がいいかもしれない。しかし筆者は「無事かえる」にこだわりたい。それをエレベーターとは逆方向、つまり見舞い客が帰り際に目につく棚の隅に置いて無事退院する人の目に留まれば、笑みをもたらすだろうが、病院で死ぬ人の身内の気持ちを思えば、「無事かえる」は悪い冗談で、筆者は作ってもそれを置いたままにするつもりはない。「無事かえる」は家内が奇蹟的に手術せずに自宅に戻れることが決まったことを祝して、あくまでも筆者個人の喜びを表わすもので、どうにか2日間で満足の行くものを作ろうとした。紙粘土であるので乾燥に時間がかかり、彩色を含めて1個作るだけでも2日は要する。27日の夜に仕上げ、それを翌日病院に持参したが、家内に見せるためではない。まずは幼児の白い片方の靴とともに写真を撮る。これは写真のみが目的だ。置いたままでは、紙粘土製は軽いから、すぐにバスや車の勢いで飛ばされる。またそうでなくても靴の真横の住民や通行人に怪訝な思いを抱かれる。写真を撮るために一瞬だけ置き、その時に『どうかこの片方の靴が元の所有者の手元に無事帰りますように』と祈った。しかし3週間もそのままではその見込みは薄い。子どもの母親は地元住民でないかもしれない。あるいは仕事が忙しくて探しに出かける気力も時間もないのだろう。このままでは雪や雨で次第に汚れ、最後はゴミ箱行きになる可能性が大きい。今日の最初の写真は先月20日から24日、2枚目は25日から家内の退院日の29日までで、3枚目は28日に撮った。29日以降、この靴の有無を確認していない。明日は退院後初の通院で、筆者は自転車で病院に行くので、この靴のある場所を通る。まだあるかどうか、あれば写真を撮る。靴は先日の雪で埋まったはずで、やはりビニール袋に入れてやるべきであったか。