「
奴隷では ないと思いつ 言いなりの 立場顧み ほぼ奴隷かと」、「後何年 枝切り出来る 裏庭の 木々の長寿を 吾は知らずに」、「樹木にも たまに散髪 してやれば 地面に陽射し 草花嬉し」、「刈った枝 束ねて待つは 回収日 今年も四束 二回で運び」

家内の先月29日の退院頃に急に気になったことがある。枯れ枝の回収日がいつであったかだ。去年の春に裏庭の樹木によじ登ってこれまでにない大胆な枝の剪定を行ない、それらの束が7つほどになった。去年は去年5月8日に区役所が指定する場所で回収があり、筆者と家内が同時に家を出て、筆者は遠方の自治会館前、家内は近くの公園に持参した。以前から書いているように、一軒当たり2束までだ。筆者が刈る枝葉は自宅と隣家を合わせて2軒分なので、堂々と4束を筆者ひとりで二度に分けて運ぶか、あるいは家内と一緒に持参してもいいが、今日の最初の写真からわかるように、どう見ても同じ家の同じ人物が整理したものにしか見えない。それを2軒分と言っても区役所の清掃局員は信用しないだろう。その態度に遭遇するのが嫌で、2か所用意されている回収場所に2束ずつ運ぶ。しかし今年は退院したばかりの家内はその作業は出来ない。それで午後2時10分頃に自転車の前後の籠に1束ずつ入れて自治会館前に運び、大急ぎで帰宅して今度はキャスターに載せて2束を公園に運んだ。2か所の回収は同じ時間帯であるので、待機している職員や回収の車は違う。つまり、ひとりで2束ずつ運んだことは悟られない。話を戻して、今春の回収日をネットで調べると今日であることがわかった。それが10日ほど前のことだ。去年7束用意し、3束は庭の片隅に立てた状態で置いていた。予想どおり枯れ木は乾燥して軽くなっていたが、びっしりと隙間なく束ねた間に小さなゴキブリが冬越しをしていて、また黴が生えるなど風化して太目の枝はかなり脆くなっている。束を抱えて円形状になった箇所を何度か地面に落とすと、腐食箇所が地面に落ちる。そうしておいて、去年から束ねないままにしていた大量の細枝をあちこちに突き刺して隙間をなくす。それだけでは細枝は全部束に内部に入り切らず、去年5月の回収に出せなかった3束のほか、細枝のみの束をふたつ作った。それはかなりの嵩があるが、軽い。全部で5束では1束は運べない。去年の春に作っておいた束ももう1年裏庭に置くことにし、来年の回収日に出すしかないが、雨風に晒されてさらにどのように変化するだろう。それはともかく、自転車では去年の2束、キャスターでは今日作った細枝の2束を載せた。これなら同じ括り方ながら、別の家から出たものに一応は見えると思った。最初に自治会館前に運んだ去年の2束を回収員が見るなり、「しっかりと束ねられて二宮金次郎みたいやな」と言った。これは悪い気はしなかった。それほど雑な状態で、つまり回収要綱に全く沿わない形で運ぶ人がある。

軍手では細枝を隙間に詰め込む作業がしづらく、結局素手で行なうが、必ず指や掌に棘が刺さり、手が血まみれになる。しかしそれを気にしていては午後2時からの回収に間に合わない。時間を気にして4束が完成すれば1束ずつ抱えて自宅前に置く。4束並べた写真を1枚撮り、次に自転車とキャスターを用意し、運ぶ用意をする。この一連の作業は儀式になっている。裏庭に束を置いておくのは自由だが、玄関前は近所迷惑になるから、4束並べて即座に写真を撮り、次の瞬間にいつでも運べるようにする。年一度のこの儀式のためにフェンスのてっぺんの幅4,5センチのところを何度も往来して樹木によじ登る。フェンスは高さ2メートルほどで、そこからさらに2メートルほど上の木の股に腰をかけて長い竿の先端に取りつけた鋸で遠くの枝を切る。下の小川に落下したものは下流の堰で半分ほどは引っかかっているので、それを回収して来て細かく切って束ねる。葉は別にまとめて処分するが、それにも儀式がある。この一連の作業の締めくくりが今日の回収日だ。1束は残っているものの、去年からの束がなくなって気分がよい。しかしそれは冬の樹木の枝ぶりを仔細に見上げることで消える。今年も今月末から来月中旬にかけて剪定せねばならない。ふと自分の年齢を思う。年々体は鈍感になり、これまで平気であった高所での作業は一瞬の足元の狂いで筆者は小川に落下する。あるいはフェンスから滑り落ちる。骨折程度では済まないかもしれない。その心配はないと高をくくっているが、それが怪我のもとで、高齢者が車を運転するのと同じことだ。今日はもう1枚写真を紹介する。昨日渡月橋北詰めで下流側を見下ろして撮った。有栖川と桂川の合流箇所だ。数日前に気づいたが、その場所で渡月橋の上から人の手が届くまでにこの写真の木の枝が繁茂していた。それを時に触りながら筆者はその細枝をつかんでそのまま下に降りることが出来る気がした。猿ならたやすい。河川を管理している土木事務所がその繁茂し過ぎた樹木の枝の剪定の必要を思ったようで、観光客が急増する春本番前に写真のように太い枝を3本切り取った。根元の一部にコールタールのようなもので固めた痕跡があって、保護されて来たことがわかる。先日この木の切り口を見た時、鮮やかな黄色がかったオレンジ色をしていたが、昨日はオレンジ味が減退して白っぽくなっている。「新」の漢字は斧で木を斬ったその切り口が真新しいことに由来する。新年度の到来に際してこのかなり樹齢を重ねた木の太い枝を取り去ったのは、橋の上から人が枝をつかんでは危ないという老婆心からか。切り口のオレンジ色は、この木が金木犀で、その花の色と同じ血が幹や枝を流れているからだ。かわいそうに電動鋸で太い枝3本を切り取られ、それらはどう運ばれて行ったか。おそらくゴミ扱いで、無残な状態でトラックの荷台に積まれたであろう。
