「
情のある 子が何よりと 話す親 本音はいかに 金儲けるか」、「ピカピカの 車ばかりと 思い知る 老人跨る 自転車古し」、「人の影 窓に映りて 気は動き あああそこにも 孤独が歩き」、「病院で 死にたくないと 母が言い どこにいるかを 知らずに逝きし」

今日はたくさん写真を撮った。今後投稿するとして今日は昨日撮った写真を使う。いつもどおりに午後2時5分頃に病室に入ると、家内は広くてよい場所を見つけたのでそこへ行こうとベッドから起き上がりながら言った。同じ階に談話室がふたつあって、義兄や義弟、それに一昨日筆者の妹夫婦が見舞いに訪れた時にはそこで話をした。家内が新たに見つけた部屋は学校の教室くらいの大きさで、大きな窓がある。その窓際に面して一番左端にふたつの椅子があってそこに陣取った。そうして撮ったのが今日の2枚の写真だ。パノラマの右半分は車ばかり写るので、右端辺りをかなり拡大したのが最初の写真だ。黄色の楕円で囲った木造の小さな屋根が目を引いた。駐車場の端に新しそうな祠がある。古い地蔵尊を建て直したのだろう。昔から同じ場所にあったかどうかはわからないが、駐車場を造る際に邪魔になったので駐車場の一番端に移したと想像する。それでは土地の神様に申し訳ないので丁重に扱って立派な祠にした。地蔵の祠は人の多い町内にあって夏は子どもたちのための地蔵盆で賑わうもので、駐車場の端に立派なものがあっても誰が花などの世話をするか。その懸念は取りこし苦労で、世話をする人がいるので立派な祠になったはずだ。周辺は民家はごくわずかだが、豪華なマンションがあって、中には地蔵尊の世話をこまめにする人がいる。それはさておき、2枚目の写真を撮りながら思ったのは、
「ライフイン京都」が全く見えないことだ。地図によれば写真右端上の窓のたくさんあるベージュ色のビルの背後にあるはずだが、筆者の撮影位置がそのビルよりかなり低く、山の上を下から見上げるような格好で、「ライフイン京都」はベージュ色のビルにすっぽり隠れている。「ライフイン京都」の住民は全員そのベージュ色の建物を眼下に見て、視界は遮られずに東山連峰がパノラマに見えているはずだ。写真中央辺りのコンクリートの壁面に大きな円形の飾りがあって、その左手に看板の文字が読み取れないのが、筆者が注目したのは先の祠とその円形くらいだ。家内お勧めの窓からのパノラマの眺めとはいえ、無粋な鉄筋コンクリートの建物と駐車場の車ばかりだ。しかも窓が多くてわが家の3階からの眺めのほうがはるかに西山が迫って情緒がある。見舞い客用の駐車場は別のところにあるから、これら溢れる車は病院に勤務する人たちのもので、今は誰でも車を持っている。筆者の妹は筆者がまだ電動自転車に乗っていないことに驚いていた。老人が一生懸命に古自転車のペダルを漕ぐ姿は格好悪いのか、憐憫を誘うのか、いずれにしても「ご苦労さんなことです」ということだ。