「
ビル並ぶ 街にくまモン 大人気 山に熊出て ズドンイチコロ」、「冬眠を したくて出来ぬ 熊多し 生きるに必死 殺され必至」、「柿の実の 青空に映え 松の明け 腹を空かせた 小熊を想い」、「熊出れば 柿放り投げ 逃げよかと 熟し実食べつ 子熊の気分」

家内を見舞うのに、大きな待合室がある正面玄関から一度入っただけで、いつも救急病棟の玄関を利用する。そこは土日祝や夜間でも空いていて、家内の病室に行くにもわかりやすい。玄関を入ってすぐ左手にある受付の真正面の壁に、今日の最初の写真の「熊注意」の貼り紙がある。熊が出たのは一昨年の11月で、昨年TVニュースにもなったことより1年早い。京都市内の西山でとは意外だが、綾部や丹後地方にいる熊が南下して来たのだろう。山歩きが好きな人は、熊が冬でも冬眠しない、出来ないというニュースを聞くと心配になると思うが、山で生計を立てている人はもっとだ。鉄砲を持っている猟師ならまだしも、農業や酪農の従事者は注意のしようがない。先月だったか、新聞配達員が熊に殺されたニュースがあった。まだ暗い中、バイクで新聞を配りながらまさか自分が遭遇し、しかも殺されることをわずかに予想していたにしろ、襲われた瞬間の驚愕ぶりを想像すると胸が痛む。先月26日に家内と一緒に救急車に乗って病院に駆けつけ、5時間半を椅子に座って待ち続けた時、筆者ひとりしかおらず、時間を長く感じたかと言えば、不安でいっぱいで、1時間くらいの感覚であった。椅子に座って夜を明かすのかと思っていたところ、2時半になって医師から「明朝9時に来てください」と言われて玄関から外に出た。よく知っている正面玄関ではないので一瞬慌てたが、すぐに正面玄関のある方角がわかり、正面玄関前から、いつも自転車で走る道ではなく、物集女街道の延長である車の通行量の多い道路まで一直線に坂を下りて嵐山まで北進した。曲がりくねった裏道は却って怖いと思うからだ。深夜3時前後となれば車はタクシーかコンビニの契約ゴミ回収トラックくらいで、家までの35分、10台ほどしか擦れ違わなかった。怖いのは野犬だが今はいない。となれば人で、金品を奪われることはありそうだが、財布も豪華な時計も持っていないので奪われる物がない。それでも不安を抱えながら早足で歩き続け、途中擦れ違ったのはスマホを見ながら歩く若い女性と、暗がりで顔がわからなかった若い男性のふたりのみであった。特に印象深かったのは新聞配達所の前で2,3人の男性が仕分け作業をし、ひとりがバイクに跨ろうとしていたことだ。深夜でも灯りがついているコンビニと同様、ほとんどの人が眠っている間に仕事をする人がいる。救急隊員や医師もそうで、そういう仕事に従事する人たちは現代の英雄だ。その点、筆者は単なる遊び老人に過ぎず、気晴らしにこういう文章を書いている。

夏場であれば深夜3時頃は暴走族が走り回りやすく、また暑さで眠られない人が夜風に当たりたいことが多いので、老人のひとり歩きはちょっかいをかけられやすいが、真冬であれば深夜の町中に出て来るのは、嵐山地区も含めて西山では鹿くらいなものだ。そこに熊が加われば京都観光に響くかと言えば、嵐山は午後6時でどの店も閉まり、もともと夜は観光客も歩き回らない。熊に話を戻すと、去年の熊のニュース映像でとても痛々しかったのは雪の積もる地域で柿の木によじ登って柿の実を食べていた小熊が銃殺されたことだ。麻酔銃で眠らされ、その後山に放たれたかもしれないが、筆者には同じことだ。柿の木は民家にあったものと思うが、その家の住民にすれば庭に熊が入って来て恐怖でいっぱいになったので、小熊でも退治してほしいのは当然で、猿や鹿とは違う。そのことはよく理解しつつ、食べるものがなくて雪景色の中、目立つ赤い柿の実がたくさんついている柿の木に喜び勇んで駆けつけた小熊が、苦心してよじ登りつつ心行くまで実を頬張る行為は、誰にも邪魔させたくない思いがする。それは他人事で、人より熊が大事なのかと責められることはよくわかっている。それでも寒さの中、餓死の恐怖に慄きながら、柿を見つけた時の小熊の喜びを思うと、満腹になるまで食べても10個や20個であろうし、せめてそのわずかな時間はそっと見守ってやれなかったのかと思う。今日の2,3枚目の写真は病院へ自転車で通う道沿いにある柿の大きな木で、どちらも10日に撮った。見事な青空で、柿の実の色を冴えさせている。だが実は日々熟して褐色に近づき、野鳥も人も注視しなくなる。これほど悠然と枝を見事に伸ばせる土地を持つことはおそらくどちらも旧家で、いかにも田舎の風景だ。田舎人は柿の実は食べ飽きたので毎年数百の実をつけてもおそらく食べることはない。放置すればそのうち野鳥が食べるが、それはごくわずかで大半は地面に落ちる。渋柿であっても渋抜きをすれば食べられるし、干し柿にすればいいと思うが、そのような手間をかけるより、今は都会人に限らず「タイム・イズ・マネー」でスーパーで買う方が安い。それでもやはり、他人の家の柿ながら、もったいないと思う。それは筆者が都会育ちで、立派な柿の木に馴染みがないからでもある。10年ほど前に癌で死んだ従妹の夫は福知山の田舎育ちで、小さな頃のおやつは柿ばかりで、一生分を食べたので、もう見るのも嫌と笑いながら筆者に語ったことがある。田舎では誰も見向きもしないならば小熊に食べさせればいいではないかとまた話が戻ってしまう。それは筆者が自然の掟をほとんど知らない都会人で、動物愛護、小さな命の保護という自分勝手で柔な考えに染まっているからだろう。それにA.A.ミルンの『くまのプーさん』の小熊のウィニーのイラストのかわいいイメージに引っ張られ過ぎか。

