「
経験の なきこと多し 悔いはなし 得たもののみに 愛着は涌き」、「立ち止まり 脇を眺めて 目に入り 次に意識に 沁み込み始め」、「脇見して 事故を起こすや ドライバー 運転するは ロボットになり」、「よきことも 運なきことも 受け入れる 命はかなき 慈悲に満ちて」

今日はまた家内の兄が見舞いに訪れた。三度目だ。高槻から阪急の特急電車に乗って15分ほどで桂駅、そこから送迎バスで10分ほどか、今回は平日なので午後4時台に正門前から2本のバスがあって、前回と違って上桂駅まで歩かなくて済んだ。義兄は消防士であったが、車の免許は持っておらず、自宅から高槻市駅まで自転車を利用する。何年か前に電動自転車を買ったとのことで、コロナのワクチンが怪しいのか、片脚を手術し、歩くのにやや不自由になったからだ。学生相撲で日本一になり、何度も国体に出場したことのあるほどに大柄で体力自慢であっても、70代半ばを過ぎるといろいろと体の故障が生じて来る。男性の平均健康寿命が確か74歳であったか、となれば今年から筆者は注意せねばならない。金よりも健康とよく言われるの、健康は金で買えないからだが、高額医療というのがあって、金持ちほど寿命を長らえさせられるようになって来ている。海外では闇の臓器売買があるとの噂を聞くが、貧乏人は親からもらった体の一部を切り売りして金持ちの人生を長らえさせる。無慈悲な世界で、そうであるから仏陀が慈悲を説いたが、誰しも自分の命が最優先であるから、他者の不幸に関して同情はしてもいつまでもその気持ちは続かない。次々と新たな不幸が毎日報告され、他者の不幸に不感症になっている。そうしなければ自分の精神と肉体が保てないからでもある。一寸先は闇と言うが、家内の先月26日夜の急激な頭痛とそれに続く救急搬送によるクモ膜下出血のCTスキャン画像を思うと、前兆があったとは全く思えない筆者は義兄の言葉にうなずいてしまう。しかし明日自分が急に倒れるかもしれないという不安を常時抱えて生活することは無理で、普段は事故に巻き込まれたり、突然死したりすることなど全く考えずに生きているし、それでいい。なるようにしかならず、事故や病気に遭遇すればその時に慌てながらも対処するしかない。今日家内は担当医が最新のCT画像を見て、肥大化が見られた箇所がまた元に戻っていると言い、「無罪放免の可能性が強い」と言ったとのことで、月末にまたCTを撮って異常が見られなければ退院することになりそうな気配だ。となれば家内の症例は極稀ということで今後各地の病院で話題になるかもしれない。しかし息子は職場の上司が72歳でクモ膜下出血で先日死んだことを言い、またその人は10年ほど前から同じ病で入退院を繰り返していたとのことで、一度クモ膜下出血を起こせばまたそうなりやすいと主張する。高齢になって生活習慣や体質を変えることは出来ないからだ。

認知症は一旦なれば改善しないのかどうか、アルツハイマー型の場合、よく効く薬が開発されて来ていると聞く。肉体でも精神でもどんな病気でも治そうとの執念を持っているのが人間で、そこには健康で楽しく暮らせることを第一義と考える幸福観がある。それは他の動物も同じはずで、ならば死に近づく老いを嫌悪するという本能が背後にあることになるが、健康寿命を提示されると誰しもそれを超えれば体にガタが来てもおかしくないと受け入れざるを得ない。話は変わるが、家内の病室に行くのに50メートルほどの廊下を歩く。その左右の壁に天井から床に届くほどの印刷したイラストや、また障碍者アートが20点ほど額入りで展示されている。前者は平凡な作だが、後者はどれも面白い。障碍者というのは知的のそれと思うが、どの絵も色彩感覚が豊かでしかも素朴な味わいが実に心温まる。生まれながらの障碍者だと思うが、彼らは正常な人以上に慈しみの感覚に優れているのではないか。知的障碍者が他者に危害を加えて重症にさせたという話は聞かない。市バスの中で大声で騒いでいるそうした人もいるが、だいたいは温和で笑みを浮かべているのではないか。そのような人に絵画表現に長けた才能を持つ場合があり、フランスのジャン・デュビュッフェが注目して紹介し始めた「アール・ブリュット」の名称で今は芸術の一ジャンルとされている。病院の廊下を毎日歩きながら、最も注目するのは今日の最初の写真の作品だ。後日全図を載せるが、今日は右下の部分のみ掲げる。この絵のすぐ下に「TAEKO」の署名があって女性の作品だ。家内はこの絵を谷内六郎に似ていると言う。そのとおりで素朴な味わいが何ともよく、描いた女性の雰囲気がわかる。自転車に乗った人物が街角のある店に行こうとしている図で、写真を元に描いた部分もある気がするが、自転車に乗るのは描いた本人で、想像も含むだろう。筆者が着目するのは自転車前方に描かれたダイヤ文だ。これは自動車の運転手に注意を喚起するためのもののはずだが、正式にどう呼び、どういう意味を担っているかは知らない。面白いのはこのマークがふたつ描かれることで、それが実際に即しているのかどうか、今日筆者はこの絵と全く同じ様子で病院へと自転車を走らせながら、この菱形の白い記号を路面に確認し続けた。すると先日投稿した樹齢600年の椋木から病院までの間に7か所あって、今日の2,3枚目の写真のように、必ずどこも2個セットになっていた。一対で描かれることを初めて知った。TAEKOさんは現実に即してありのまま描き、嘘が混じっていない。ダイヤ文が2個連なっているのは昨日の投稿の60年前の冬山登山用の靴下を想起させつつ、筆者は比翼連理という言葉が好きで、夫婦の仲がよいことも何よりと思っている。いつかは配偶者に先立たれるとして、ひとまず健康である間はお互い笑顔を保ちたい。それが人生のダイヤだ。

