「
収拾の つかぬ収集 気づかずに ゴミ散乱に 虫は産卵」、「馬走り 星の流れる 灯り見て 流れ流れて 吾は今ここ」、「看護師の 淹れるコーヒー 芳しき 早く飲みたし 家に帰れば」、「テレフォンの カード渡せば 妻からの 一分電話 今から寝ると」

今日の最初の写真は昨日家内の弟夫婦からの差し入れの品のひとつだ。今日紙箱から出して家内のベッド脇の棚に載せた。何とかプラネタリウムという商品名で、筆者が10歳頃にはまだあった走馬灯と同じ原理だ。走馬灯を知らない世代には、壁や天井への光の投影はディスコの天井にあるミラー・ボールを思うだろう。掌サイズで壁際に置いて効果を発揮する。棚の下には小型テレビがあって、専用のカードを買って見る仕組みだが、テレビは面白くない。同じ気晴らしでも好きな音楽を聴くほうがよい。だが筆者は数千枚のCDを持っているのに家内はそのほとんどすべてを聴いたことがない。今日家内の枕元に置いたCDラジカセにはショパンのCDが入っていた。聴く気分ではないと言いながら少しは聴いたのだろう。確かにショパンは心に沁みるが、しみじみと心を暗くさせかねない。高見順は晩年に病を患った時、音楽を聴くのはそうとうな気力と体力が必要であると思い知った。BGMと違って、自ら聴こうとして選んだ音楽であれば、それは作曲家や演奏家の命を賭けた真剣勝負に対峙することで、病弱ならばとてもそんな気力も体力もない。今日はジョージ・ハリソンがエリック・クラプトンらとともに日本で開いたコンサートのライヴ盤を持参した。それに筆者に電話をかけたいと言うので、相部屋に移った日に新品の伊勢の二見ヶ浦からの日の出の写真を印刷した縁起のよさそうなテレフォンカードを持参したのにどこで落としたのか見つからず、今日は別の1枚を持参した。筆者が帰った頃を見計らって家内は電話して来た。緑の公衆電話は病室からかなり離れていると思うが、歩くことを看護師から勧められているかもしれない。10日で3キロも痩せたので食欲は戻らず、御飯を全く食べないで2日過ごしたところ、看護師から叱責されたとこぼしていた。男性はみな親切だが、女性はきついと言う。しかし看護師の言うとおり、しっかり食べて体力を取り戻すことが快復の近道だ。先ほど9時少し前にまた家内から電話があった。「今日持って行ったCD、聴いたか?」「ああ、よかったわ」退屈しのぎに聴いていることがわかった。明日も別のCDを持って行こう。それに2,3種の果物を食べやすいように切ってタッパーに詰める。コーヒー豆と沸かし立ての湯を魔法瓶に入れて持参するとコーヒーを飲めるから、そのことを二三度病室で言うと、相部屋なので香りがほかの人の迷惑になると言って首を縦に振らなかった。では休憩室で飲めばいいではないか。電話では点滴は今日で終わりとのことで、月末までとにかく体力を取り戻すことが病院からも求められている。

