「
衝動に よしあしあると 理屈述べ 今夜も二杯 焼酎あおり」、「衝動に 負けて言い寄り 振る女 不真面目嫌い 真面目なおさら」 、「何事も 値に応じるを 子でも知り 並み以下でよし 吾は選民」、「役割の なき人霞み そっと死に 懐かしむ人 いずれは消えて」

年末から本ブログは家内の入院見舞い日記のような形になっているが、家内が無事退院出来れば一段落するつもりでいる。担当医からクモ膜下出血は最低1か月入院と言われたので、運がよければ今月末に退院出来るが、CT検査によって血管に異常箇所が見つかれば手術するのでもう1か月は入院する可能性がある。昨日もCTを撮ったが、担当医からの説明はない。今日も2時に病院に着くと、昨日家内が入っていた病室が空いていて、扉脇の患者の名札が外されていた。廊下を歩く看護師に訊ねると、同じ4階の大部屋が空いたのでそこに移動したとのこと。早速その部屋に行くと、ベッドや小型冷蔵庫、カーテンなど、個室と全く同じながら、カーテンで隣りの患者のベッドと隔てられた空間はほとんどベッドが占め、隣りの患者や見舞い客の会話が筒抜けだ。また今日の写真のように窓からの眺めはよくない。空が上方にわずかに覗き、ベッドに寝て窓の外を見ると気が滅入りそうだ。しかしこの写真は窓全体を覆っているカーテンの向こう側に筆者がもぐり込んで撮ったもので、カーテンは開閉しないことが前提になっている。そのため窓の外は見えず、椅子もひとつしかない。明日は家内の弟夫婦が東京から見舞いにやって来るが、筆者を含めて3人の見舞客が長居するには無理がある。同じ階に談話室があり、そこで家内も含めて話し合うことになるだろう。昨日書いたように家内は歩ける。頼まれたピンク色のガウンは探し当てられず、代りに黒と灰色の太い毛糸で編んだざっくりとした長着を持参した。それは2,3年前に「風風の湯」の常連のFさんの妹さんからいただいたものだ。彼女は筆者より一歳年上で、中学生時代の同級生であった同じ年齢のご主人が定年退職したのをきっかけに、同温泉にやって来なくなった。かなりの資産家でご主人の愛用車は二人乗りのポルシェだ。以前は銀色であったのが、温泉に来なくなってからは派手なメタル・レッドに乗り換えたようだ。ご主人は釣りの趣味があるが、せめて自分が乗る車はポルシェにこだわりたいと話していた。筆者はさっぱり車に関心がなく、高級車を全く羨ましく思わない。乗っている車で社会的地位や趣味が推し量られるようだが、高級腕時計自慢も含めて筆者にはかなり滑稽に見える。外から見えないところに金と時間を使うのが本当の紳士と思っているからだが、そういう意見が負け犬の遠吠えとされることくらいはよく自覚している。何事も高級があれば低級があるが、金で買えないものにこだわる方が人生は楽しい。
12年前に家内が同じ病院に入院した時は同じ棟の別の階に確か3日ほどで退院した。手術後の経過が若さもあって良好であったからだ。その入院中、特別の個室に優先的に入ることが出来た。しかも特別料金なしであった。12年前のブログに書いたことを繰り返すが、同病院の看護婦長として筆者の母方の従兄の長女が家内の入院を知り、特別の計らいをしてくれたからだ。彼女はその後さらに出世し、ロンドンの有名な病院に一時派遣されるなどしたと聞いた。従兄は長年個人経営のトラック運転手で、長男と筆頭に長女と次女をもうけた。筆者が京都に出て来る時、本やステレオを大阪から運んでくれたのもその従兄で、大の酒好きで寡黙、またとてもさばさばした性格であった。肉体労働者で知性に乏しいかもしれないが、自分ひとりで家族を支える覚悟があり、権力を冷ややかに見て、また自慢を一切しなかった。子どもらはあまり勉強が得意ではなく、長女は喧嘩では負けることなしのお転婆で、従兄の奧さんが女性は結婚も大事だが手に職を持つべきと考え、長女に看護師になることを勧めた。その結果地元の一番大きな病院に勤務し、そこを代表する数人の看護師のトップになった。しかし母親の予想どおり、独身のままで今は還暦に近い。従兄は晩年体中に不具合が生じ、筆者の母より2年ほど先に死んだ。死ぬ1年ほど前、家内がたまたま月一回の検診で病院を訪れた時、待合室で従兄夫婦と出会った。「こいちはどうしてる?」「さっきまで一緒だったんですが、用事があって向日市辺りまで自転車で行きました」その後家内は何度もその奇遇のことを筆者に言い、「あの時、わたしと一緒に待合室まで来れば兄さんに会えたのに。兄さんも会いたがっていたよ」と口惜しそうに語る。だが従兄が家内とどのように話したかは容易に想像出来る。その後筆者は従兄の顔を見ることはなかった。従兄は長女が用意した最高級の部屋に入院してそこで死んだが、今回長女は家内の緊急入院を知らないはずだ。従兄が死んでから母方の親類との交際は途切れた形になっているからだ。それに筆者は長女の顔を全く覚えていない。親類とはいえ、高齢になればそのようなものだろう。親しい友人でも年賀状だけの付き合いになり、やがてそれも途絶える。ぜひとも会っておかねばと思う人に学生時代の教授がいる。筆者より十歳年長だ。今年も木版画の年賀状をいただいた。その返事に家内の緊急入院のことを書き、昨夜教授から電話をいただいた。話すのはたぶん7,8年ぶりだ。筆者はご無沙汰を詫び、春には家にお伺いしますと伝えた。その時家内が元気を取り戻していれば一緒に訪問しよう。昨夜は家内の中学生時代の友人からも電話があった。彼女はこう言った。「正月はちょうど大山さんの話題をしていました。いつでも会えると思いながらもう十年以上も会っていないので、今年こそはお会いしましょう。」
