「
版重ね 巨木のごとき 名著あり 言葉の森に たじろぎ眺む」、「南天の 巨木に沿いし 眷属の 風格に満つ 赤き実と葉」、「人の手で 植えずも育つ 南天に 他力なるもの 誰しも知れり」、「赤き灯を 点して走る 救急車 そこを除け除け 命を助く」

ぼんやりと眺めているだけではその眺めにあるものを強いて意識しない。しかしぼんやりと眺める光景が印象に残らないとは言えず、むしろ幼ない頃にぼんやりと見つめていた場面が半世紀以上経ってもよく思い出されることはある。しかしそれはぼんやりしていたのではなく、強く意識していたからとも言える。今思い出したので書いておく。小学1,2年生の級友にTがいた。ごく一時彼と親しくし、家に呼ばれたことがある。学校からの帰り道であったと思う。何を販売しているのか知らないが、卸売りの小さな会社をかまえていて、彼はそこの長男であった。小学1,2年生なので彼が賢いかどうかはまだわからなかったが、青洟を垂らしていた姿を思い出す。当時はそういう少年は珍しくなかった。彼の家は大きな道路に面した角にある2階建てで、当時としてはかなり大きかった。その玄関を入ってすぐの物で溢れる雑然とした部屋で彼と談笑しながら、らんちゅうやその他大きな金魚が泳ぐ水槽が目に入った。ガラスは苔で緑色に染まり、金魚は赤や白が混じって少し狭かった。彼よりもその金魚の水槽を今でもたまに思い出す。昭和30年代初期ではまだそういう金魚を飼うことは裕福でなければならなかったから、筆者には珍しく見えたのだろう。つまりそれなりに注視したので記憶が今でも勝手に蘇る。しかし一方で思う。家に呼ばれてたまたまそこにあった金魚が悠然と泳ぐ水槽であって、筆者はそれを以前から求めていたのではない。そのためぼんやりと視界に入って来た。となればぼんやりしていても意識に強く入り込む場合があることになる。あたりまえの話だ。Tは同じ中学校に行ったと思うが、記憶が定かでない。住む世界が違う金持ちの子という意識が筆者にあったかもしれないが、単に馬が合わなかった。ついで書いておくと、15年ほど前か、家内と筆者が中学の友人N宅を訪れた後、小中学校時代、通い慣れた道すなわちN宅が面する道を北上していると、Tの家に面する道路を渡っている時、地味な色のコート姿のTと擦れ違って目が合った。サラリーマンか商店主といった風情で、半世紀経ってはいたものの、顔の面影はあって即座にわかった。彼が筆者に気づいたかどうかはわからない。それから半年ほどか、また同じ道を今度はひとりで歩いたところ、T宅に目立つ貼り紙があった。破産宣告を受けて差し押さえられたのだ。それを見てTが親から受け継いだ会社を潰したことを知り、Tの青洟を思い出した。Tに経営能力がなかったのではなく、時代はそうした小さな卸売り会社の存続を難しくしたのだ。個人経営の店はどこも大資本のチェーン店に変わって来ている。

T宅にあった金魚の水槽はTにどのような記憶を残したであろう。所有する自分よりも、たまたまその所有物に目を触れる機会があった他人の記憶に長年留まり続けることはある。大げさに言えばそのごくわずかな出会いによってその後の人生を左右される場合がある。ただし筆者は金魚を飼うことに興味を覚えなかった。その代わり、母は一時らんちゅうが気に入り、何匹かを大きく育てた。餌の与え過ぎで大きく腹が膨れ、まともに泳げないようになり、そうなると別の金魚から尻尾を齧られてますます泳ぎが下手になった。母が金魚を飼い始めたのは金魚を無料で入手したからで、それならと小さな水槽を買って育て始めた。T宅で見た金魚の水槽と、母が5,6年は飼っていた金魚のそれとがだぶるが、筆者にとっての金魚の思い出はそのふたつにほとんど尽きる。つまり興味がない。もちろん子どもの頃に夜店で金魚すくいはよくしたが、あのたくさんすくい上げる競争というのが嫌であった。同じような年齢の女子が負けん気から血眼になって金魚をすくっている様子は、子ども心に醜く感じた。話題転換。先日栴檀の巨木に気づいたことを書いた。昔からその存在をよく知っていたのに栴檀とは気づかなかった。知識がいかったからだが、知識を得ようとするきっかけがなかったからだ。ところが対岸の歩道に白い実がたくさん落ちていて、その正体を知りたくてネットで調べてようやく栴檀の実であることを知った。だが栴檀の巨木がたまたま葉を全部落として実のみつける状態になっていたところを通りがかったので栴檀と知ったのであって、運がよかった。このように気になっていることの氷解は楽しい。巨木つながりで渡月橋のすぐ下流左岸にある2本の巨木についても先日投稿した。下流側のそれは樹齢百年どころではなく、三四百年はあるように思える。そういう長生きする木はどれほどの品種があるのか知らないが、木に詳しい人なら渡月橋近くの巨木の品種がわかるだろう。ネットで調べればわかるかもしれないが、単に巨木ということで満足する。さて、家内が入院している病院に毎日自転車で通う途中に今日の最初と2枚目の写真の巨木がある。椋木で、推定樹齢は600年との説明板がある。正月なのでこの巨木のあちこちに柚の実が置かれている。筆者が目を留めたのはそれではなく、太い根元を取り囲むように赤い実をつける南天だ。誰かが植えたか、あるいは自生したものかはわからないが、この巨木全体は門松のように見えるところが面白い。この巨木の西奧に苔寺があり、この交差点を通る人は多いはずで、誰しもこの椋木の貫禄に京都の歴史を感じるだろう。通行の邪魔になるが、道路の拡幅時に伐り倒されなかった。600年の樹齢をさらに延ばしてやりたいのはまともな感覚だ。それに神木扱いとなれば下手に手を出すと祟られるかもしれない。

家内が入院している病院の自転車置き場の際に巨木があってそこにも南天があることを先日書いた。今日改めて見るとその巨木は桜だ。樹齢は百年近いのではないか。その古木の近くにも大きく育った南天の鉢植えが二三ある。それらの鉢植えは病院が用意したもので、来院者の「難を転じてほしい」との思いに応えたものだ。これは想像だが、桜の巨木のすぐ際にある南天は自生し、病院はそれは縁起がいいと考えて鉢植えを増やしたのではないか。それはともかく、この病院に筆者は12年前に家内が肺癌の疑いで手術をして以降、家内の定期診断日にたまに薬局に訪れているが、これまで南天の木がこれほど多いとは全く気づかなかった。今日の4枚目の写真の南天は、その薬局への階段の際にあることに気づいて撮った。これまでぼんやりと視界に入っていたことは確実だが、意識に上らなかった。それが今回家内の入院によって意識することになった。それがどうしたと言われると返答に困るが、普段意識せずに目にしていることが何かのきっかけで縁のあるものに思えることの面白さだ。それが人生の醍醐味と言えば大げさか。ぼんやりと過ごしてもそのぼんやりの中に浮かび上がるものはある。その何気ないものにも人生の意味が隠されていると考えることは出来るが、意識を集中させることは活力を要し、それを働かせることはまだ死ぬには早い状態にある。言いたいのはそのことだ。その意識の集中は、好きという感情を湧かせることと言い変えてもいい。南天はどの家にもあるような地味な木で、特に好きな人は珍しいだろう。むしろ知らない間に勝手にあちこちから生え出て来て邪魔な植物だ。そう思いながら筆者はわが家の表と裏に自生する南天を放置している。難を転じてくれるのなら、そしてさして邪魔にならなければ、誰しも放置する。南天は名前で得をしているが、どの家にもあるような平凡な木ということは、それだけ世の中には難が溢れていることでもある。実際そのとおりだ。年末年始、わが家の近くの道路を毎日救急車が走る。家内を見舞っている間も病院にそれが到着する。その回数と同じだけの不幸があり、消防車やパトカーのサイレンを含めばこの世は不幸に満ちている。人生百年と言われても、元気で歩けるのは80半ばまでだろう。その短さゆえに樹齢数百年の巨木を人はありがたがる。あるいは代々続く家柄を誇る。さて、今日の家内はよく話しかけによく応じたが、「風風の湯」で倒れたことや病院に救急搬送されたことの全く記憶がなく、意識が戻った時、なぜベッドにいるのか理解出来なかったと言う。事情を説明しても不思議な顔をする。脳内出血以降の記憶が飛んだのだろう。それはそれで生まれ変わりのようで、面白と思う余裕がほしい。明日から病院は本格始動で、6日にCTスキャンを再々度撮るので、担当医の説明が明後日にはあるだろう。

