「
昔なら 死んでいたかと 思いつつ 先進医療 体力勝負」、「リハビリの リハーサルする 妻立ちて 交互に三度 足踏み鳴らし」、「あの世では みんな待ってる 死もよしと ベッドの上で 妻は笑いし」、「強靭な 夫と言いし 妻の意図 本音は皮肉 吾は狂人 」

今日の家内は喉と鼻の呼吸器の管を外されていた。相変わらず視神経がおかしく、上下に二重に見えるという。片目をつぶれば正常に見えるようで、ウィンクすればいいと冗談を言うと、家内はそうして普段の茶目っ気を見せた。28日だったか、医師がCTスキャンの画像を見せながら、脳内の出血が眼球を圧迫していると言ったが、その影響が出ているのだろう。今日は部屋に入ると若い男性看護師がリハビリをすると言って家内をベッドから一度立たせて家内の上半身を支えながら数回足踏みをさせた。すると心拍数が一気に倍になり、リハビリのリハーサルは5分程度で終わった。そうした作業を部屋の中で見ていたこともあって、面会時間は10分程度であるのに30分近くもいられた。5日から病院は本格始動で、その日にまた家内をリハビリさせるとのことだ。そして家内の状態がよくなれば一般病棟に移ると言われたが、正月休み明けの5日に主治医が手術の必要がないと判断するのかどうかは、検査次第、また家内の体調の復帰が条件だ。意識を戻した家内はいろいろと考えるようで、先の看護師がいる前で筆者を指さして二度こう言った。「この人はとても強靭やから」この「強靭」は筆者が10年ほど健康診断を受けず、せいぜい風邪を引くか痔の出血がたまにある程度で、筆者自身がよく家内に言う言葉だが、今日の家内の発言は少々嫌味が混じり、「狂人」の意味を引っかけているように聞えた。家内の姉は今の筆者の年齢で肝臓癌で呆気なく病院で死んだが、生前は筆者のことを家内に「こーちゃんは普通の人ではない」と言っていたらしい。そういう意味合いの言葉はたまに他者から言われる。それは一応褒め言葉だろうが、筆者が独立独歩のあまり、家内はしばしばひとりぼっちにされるとの恨めしさを感じているのだろう。つまり強靭の言葉に冷徹な狂人の意味を加えている。筆者が健康診断を受けないのは面倒臭いからで、筆者が自分を強靭と家内に言う場合、体よりも精神に重きを置いている。だが精神が強靭であれば体もそうなるとは思っていない。むしろ体が比較的弱い人が強靭な精神を持つだろう。その代表はたとえば村上華岳だ。そういう話を家内にめったにしないことを家内は不満なのだろうが、考えることが多い筆者は何から何まで話すことは無理だ。そこで昨日言及した江藤淳のことをたまに思い出す。いかに夫婦仲がよくて妻を愛していても、夫が専門家として有名であれば、つまりやるべき仕事があれば、傍目には後追い自殺のような行為はしないのではないか。江藤淳の自殺は妻を亡くした悲しみゆえとして美しく見える半面、強靭であるとは思わせない。
一方、上田秋成のことを考える。秋成は妻に先立たれてひどく落ち込み、妻の追憶のために多大の時間を費やしたが、自殺せずに文筆を続けた。それは江藤淳と違って体も頑健であったからかもしれない。今日は家内の長兄がまた見舞いにやって来るというので、2時間ほど待合室で待ったが、その間に数日前から同じ時間帯に見舞いに訪れる5人家族に声をかけた。奧さんが言うにはご主人が80歳で病気が再発したとのことで、救急車で運ばれた。筆者の家内の年齢が72と言うと、奧さんは「まだお若いのに」と慰め混じりに言葉を返す。家内の担当医は「72歳ですからね」、つまりクモ膜下出血しても無理のない高齢であることを二度口にしたが、80歳の患者は72歳を若いと思うし、50代の医師は70代をかなり高齢とみなすことは当然で、各世代が見る景色は異なっている。奧さんのご主人が80歳で今回の緊急入院で弱気になっているとのことだが、たとえば「風風の湯」の常連客の91Mさんは91歳であるから、80歳はかなり若いと思うだろうから、弱気になってはつまらないが、一旦快復したのに病が再発となると、本人は今度は駄目かと思っても無理はない。それはともかく、奧さんが筆者の家内の72歳が「まだお若い」と言うのは、ご主人の80歳と比べてのことであるが、72歳ならばまだ数年は病気せずに元気で暮らせるという世間一般の思いからだろう。そこで筆者は72歳から80歳までの8年間が長いのか短いのかを考えた。もちろんそれは一瞬だろう。12年前の午年に筆者は伏見人形を模して「飾り馬」を10個ほど作った。それが昨日のことのように思える。家内がそう言うのだ。となれば家内が8年後に80歳になるのも一瞬のことで、意識を戻した家内はそんなことをあれこれと考えているのだろう。病室に入って間もなく、家内は「死んでもいいやん。死んだら親しい人がいっぱい待ってるし」と半ば笑み、半ばさびしさを浮かべて言った。それは本心であるかもしれない。筆者は話題を変えてこう言った。「妹家族は今日から旅行やて。毎年のことやけど」「ええなあ。わたしらもどっか行こ」「西国街道歩きはどうや」「しんどいだけやん」妹家族は毎年子どもや嫁、孫の合計20人近くで主に海外旅行に出かける。筆者とはあまりにも生活ぶりの違いがあって、その現実を家内はさびしく思っている。贅沢をしたいというのではないが、せめて家族3人でどこかでましな食事をしたいのだ。そういうことをここ10年はほとんど一度もしていないからだ。幸福とは何か。長寿か。財宝か。そのどちらにも縁のない人たちは大勢いる現実を知っても人間はもう少しましな暮らしを望む。そのことに対する筆者と家内の思いにずれがある。筆者に対して「遊んでばかりいて」とたまに家内は本心を漏らすが、強靭な狂人はどこへ行くのか。家内はICUで「I see you」と言いたいのだ。

