「
誰の気を 引く気もなしに 独り言 綴るブログを 妻は読みたし」、「続く灯の 果つるところに 出口あり 縁なきことを 願う病院」、「仕事場で 眠りつつ死ぬ 見事さは 病名はなし 寿命全う」、「年賀状 書こうと思い 妻倒れ 病状記し 元旦に書く」

ICU室への面会は午後2時から4時半までで、筆者は毎日自転車で走り、5分程度の違いで2時前後に着く。早く漕いで20分ほどで、駐輪場からICU室前まで5分はかかるので、だいたい往復で1時間、それに面会時間は10分ほどだ。昨日は松尾大社前が初詣の人たちで溢れ返っていたが、今日も同じほどの混雑ぶりで自転車を下りて鳥居前付近を歩いた。大晦日は法輪寺の除夜の鐘の音を聞きながら、去年は家族3人で鐘を撞きに出かけたことを思い出した。平安神宮から12月半ばに届く厄払い人形は、家族の3枚分それぞれに名前と年齢を自書したが、書いた後に息を吹きかけ、人形の小さな白い紙全体を優しく撫でることを家内はしたのかどうか気になりながら、そのまま封筒に入れて平安神宮に送った。息の吹きかけをしなかったので家内が倒れたとは思いたくないが、神、それに仏もだが、因果応報という戒めの言葉が唱えられているような気が何となくして、気安めのまじないに過ぎないはずの毎年の人形の送付はそれなりに気が引締まる。因果応報を言えば、日々の暮らしの家内の習性が原因となってクモ膜下出血を来したことはそのとおりとして、たとえば誰かの苦労を見てそれが因果応報であるとこっそり謗ることの因果応報もあるはずで、結局のところ因果応報など考えずに好きなように生きるのがよい。仮に罰が当たったかと自覚出来ることがあっても、その因果応報を笑い飛ばせばよく、他人にどう思われようが正々堂々と生きればよい。富士正晴は断筆宣言をして2年ほど後に亡くなったと思うが、電話で話した知人が翌朝富士宅を訪れると死んでいたという。心筋梗塞かクモ膜下出血か、病名はあろうが、人生でやることを終えて病院に運ばれずに逝ったことはいわゆるぽっくり病で、高齢者にとっては理想的な死に方だ。筆者は富士正晴の享年まで1年ほどしかないが、中途半端のままの大仕事があり、さらに新たな仕事の資料集めも積極的にしているので、もう数年は時間がほしい。それには家内の存在が必要で、どうしても元気になってもらわねばならない。その点、富士は奧さんや娘さんに看取られずに死に、晩年の孤独をどう癒していたのかと言えば、好きな酒があった。また親身になってくれる友人は多く、「竹林の七賢」のような生涯を送ったように見える。江藤淳は妻を亡くして憔悴し、半年後に自殺したが、今調べると66歳であった。「風風の湯」の常連のFさんは筆者より4つ年長で、10年ほど前に年上の奧さんを亡くし、去年親しい女性が出来て各地をデートしている。「人生いろいろ…」などとカラオケにも行って歌っているかもしれない。

