「
夢忘れ 気づけば夕陽 傾きて やがて眠れば また夢を見し」、 「賭けのなき 人生はなし 子でも知る 決心すれば 後悔はせぬ」、「人生の 見通し暗き 思いつめ 涙流せば いとアホらしき」、「飢えし熊 柿栗探す 人の里 熟れたメロンを そっと転がし」

昨日TV脇のデジタル時計を見て、もうしばらくすると1が10個並ぶことを思い、庭掃除を始めた合間にその機会を捉えて写真を撮った。しかし今日はその話題ではない。
9月中旬に一山の小粒のいちじくを買った。嵯峨のスーパーに行く時は必ずその小さな八百屋「7S」の前を通る。1万円以上する松茸がよく売られていて、近所に金持ちが多いことがわかる。筆者は売れ残った大量の野菜や果物がコンテナにまとめられている「500円コンテナ」専門の客だ。3分の1ほどは腐っているが、スーパーでどの野菜を買おうかとあれこれ考える手間が省ける。しかし腐った部分を取り除くのは家内の手間で、またそういう見切り品しか買わない客と見られていることを恥じて、家内は同店の前で立ち止まることを快く思わず、別の道を歩こうとする。同店では若い女性が6,7人、アルバイトで日替わり店番をしていて、筆者は全員に顔を覚えられている。みな美人で心優しく、応対が嬉しいので筆者は立ち寄りたい。いつも同じ服を着て貧乏人と思われているだろうが、気にしない。貧乏は確かであるからだ。昨日同店で500円コンテナを買ったところ、店員がこう言った。「店長からいつもの500円コンテナの客が来ればメロンをサービスしておいてと言われたのですが、どこにあるかわからないのでまた夕方に来てください。」それで一旦帰宅し、今度は家内と一緒にスーパー巡りをするために出かけ、午後4時過ぎに同店前に着くと、先の女性が筆者らを見切り品のセットを置いてある場所に誘導した。大きな西瓜1個とメロン2個、柔らかくなり過ぎた柿が2箱の40個ほど、それに100本ほどのバナナの、それぞれのセットが500円だと店長からの指示と言う。店員はバナナを10本ほどサービスしようとし、店長に電話すると、「明日売るから」と否定された。たぶん売れずに処分するだろう。買った500円コンテナにバナナが4本入っていて、バナナのサービスはなくてもよい。熟した柿は好きだが、箱のまま持ち帰らねば家に着くまでに全部壊れてしまう。そして完熟を越したバナナは100本も食べられないので、西瓜とメロンを買った。季節外れの西瓜だが今年は二度食べたのみだ。家内は文句を言ったが、中身がどうかの運試しだ。帰宅してすぐにメロンを切った。あまりに甘く、即座に半分食べた。西瓜は今日包丁を入れた。切った途端に水分が滝のごとく流れ出た。甘さは少ないが、ジュースと思えばよい。4分の1を昼と夕の2回に分けてひとりで食べた。TVではカシミールで自爆テロがあることを報じていた。
「路面のメロン」のように人体が崩れていることを想像した。