「
回回の 舞いの目眩の 心地には 童と神の 笑みの眼差し」、「神様の モードどうする 絵描きさん 流行無視し 裸がよしと」、「化け物と 見間違いたる ガネーシャの 腕と足変え サトちゃんと呼び」、「シヴァ神の 額の縦目 開けさせぬ 信愛溢る 国ぞ尊し」

昨日の投稿の続きを書く。一挙に昨日投稿するつもりがあったが、異なる視点から書くつもりがあったので投稿は分けたほうがよい。さて、今日の最初の写真はシヴァ神像のイラストだ。縦45センチで、80年代の終わり頃から90年代前半にかけて購入した。13年前に同じみんぱくで開催された
『インド ポピュラー・アートの世界-近代西欧との出会いと展開』と題する展覧会の感想を書いた時、この額絵の写真を載せた。その後、丸めて保存し、どこに収納したか忘れていたが、必死に探すと出て来た。巻き癖がなかなか直らず、額縁を買って収めようと思わないでもないが、飾るべき壁の空きがない。それで本棚の裏側に張っている安物のインド更紗のプリント生地の上にセロテープで仮り留めして撮影した。シヴァ神の顔は青味を帯びた灰色で描かれ、死神かと思わせて少々不気味でもあるが、今回撮影すると、光の当たり具合とカメラの機種が違うため、明るい肌色に写った。この額絵を買ったのは京都の三条新京極の十字屋の1階であった。レコード店であるのに、別のルートからこういう珍しい雑貨が回って来たのだろう。同じサイズで7,8種販売されていて、価格は1000円台であった。ビートルズの60年代半ばの『ラバー・ソウル』の輸入盤のように、厚紙と呼べるほどでもない紙に印刷され、ビニール・コーティングを施してある。そのビニールの貼りつきはインドで作られたものか、仕上がりがよくない。イギリスから輸入した印刷機で長年製造されたと想像するが、同じ絵師の原画をその後の精巧な印刷技術によってもっと鮮明な商品が現在も売られているかもしれない。あるいは弟子筋が模倣していわゆる現在に見合う新作を描いているかだが、いずれにしてもこのシヴァ神像の額絵はインド人が思うシヴァ神の理想像で、男か女かわからないところがよい。筆者は女性の顔と思って購入したが、昨日書いたように、ヨガでは個人が自分の中の女性原理と男性原理を瞑想によって合体させるので、男性神であるシヴァが女性っぽく見えても不思議ではない。とはいえ、筆者がこの額絵がほしくなったのは、珍しい品物というより、ある人物の面影を見たからだ。その話はさておき、筆者が最初にヒンドゥー教の神に関心を持ったのは、シヴァ神の額絵購入より数年前と思うが、人の顔と同じサイズのジャガンナートの仮面を万博公園内の日本民藝館で見つけて即座に買った時だ。仮面についての写真集でその仮面が三つ揃いであることを知り、日本画家のYに頼んでインドで買って来てもらった。

ただし、惜しいことに掌サイズの小ぶりだ。1か月ほどのインド旅行でお土産としてわざわざ見つけて買って来てもらったものであるから文句は言えない。三つの仮面は正方形の金縁の額にちょうど収まったので、今日の2枚目の下の写真のように背後のベニヤ板を真っ赤に塗り、そこに仮面を並べて壁に飾った。今も同様のものは外国人用の土産品として作られていると思うが、日本のインド民芸店で売られているだろうか。店主がインドで買い付けに行く必要があり、あってもインドで買うより何倍も高い値段がつくだろう。こうした手作りの紙製品は描き手が変わると表現もわずかに違い、制作時の時代性を帯びる。これは古いものほど味わいが深いという意味だが、時代は今この瞬間にも古くなって行くから、現在けばけばしくて軽薄な商品に見えても、半世紀ほど後には時代を色濃く反映している理由で注目されるかもしれない。わが家にはヒンドゥー教の神像として他には、ネットで買った掌に載るサイズのガネーシャの鋳物の像や、京都の高島屋できわめて安価で買った弦楽器を持つ女神の木像もあるが、普段は存在を忘れている。それで今日はジャガンナートの仮面とシヴァ神の額絵から話を広げる。さて、ジャガンナートの仮面と書いているが、2枚目の上の写真のように、最初に買ったものが人が被るのにちょうどいい大きさで、勝手にそう呼んでいるだけであって、インドでそれを被って踊ったりする風習があるのかどうか知らない。それに仮面であれば目が空いている必要があるが、この仮面の目は空いていない。またジャガンナートと呼ぶのは黒い顔のもので、これはクリシュナの化身とされ、他のふたつのうちの大きなものはバララーマと呼んでジャガンナートの兄、小さなものは妹のスバトラーで、これら三神で常に造形されるようだ。ジャガンナートはインド東部のプリーに祀られ、地方の神であったものがいわば日本の仏教における本地垂迹と同じように解釈されたと考えてよい。しかしこの三神の造形表現は真円の両眼を描いて日本の「ゆるキャラ」のような、言い変えれば漫画的なもので、最初の写真のシヴァ神の額絵のように陰影を施した人間的な顔とは異なる。これは三神が地方の個性の伝統的表現をそのまま守って現代に至っていると見てよく、クリシュナの化身とされてはいるが、それはインド全土で受け入れられるための、これも別の言葉を使えばプリー以外の土地の人々にわかりやすいように、ある時期からクリシュナと同じ神であると説明し始めたのだろう。両眼が特に目立つように描かれているので印象は強烈で、両眼以外は人の顔風ではあるが空想の動物と言ってもよく、偶像ではあるが記号性が強いが、同じ様式の両眼で表現されるだけでは三神の区別がつかず、形や大きさ、色合いに関して最低限の違いが必要となる。

いつ買ったのか記憶にないが、新潮社の「トンボの本」の一冊『インドおもしろ不思議図鑑』を隣家から最近見つけた。書名は内容をよく表わし、約千点の図版は仔細に見ると確かに面白い。同書のほとんど最初に「人類の救済者ヴィシュヌ神」と題する見開き頁がある。その題名に「化身の姿で世に現われ、悪魔を倒し宇宙の秩序を回復する」の説明文があり、今日の最初の写真のシヴァ神像と同じような写実的に描かれた神像「ヴィシュヌ神と10の化身」と「ヴィシュヌの妃ラクシュミー」が紹介される。筆者が注目するのは同じページ内の飾り立てられたジャガンナート像と、ジャガンナートの顔を持つ「人獅子の化身」とされるグリーティング・カードだ。前者は筆者が所有する仮面を用いたものではなく、頭部と胴体がほぼ同じ大きさの二頭身の彫像で、頭部は仮面と同じ三角形の帽子のようなものを被り、それがことさら豪華だ。キャプションには「…クリシュナ神と同一視されるが、実は様々な民間信仰が複合した神格だ。」とある。「人獅子」はヴィシュヌの化身のナラシンハのことで、ジャガンナートと同じ黒い顔をした神が刀を持つ青い悪魔を膝に載せて両手で懲らしめている。ヴィシュヌの化身は数多く、これは民間信仰の神を取り入れて行った結果であろう。本展図録に戻ると、昨日紹介した『ヒンドゥー教の歴史』に続いて『ヒンドゥー教の神がみ』の章がある。その最初に「…ヒンドゥー教は非情に幅広い宗教信仰を含みこんでいる。また地域的にもかなりのちがいがみられる。そのため信仰を集める神がみもかなり多様である。…インド北部でとくに多くの信仰を集める主要な神々を簡単に紹介する。」とあって、順に「ブラフマー」「ラーマとクリシュナ」「シヴァ」「女神たち」「地方の神がみ」について説明がある。その「簡単」な紹介文を部分引用することはさらに簡単な情報となるが、そう断ったうえで、まず「ブラフマー」はこう書かれる。「ヒンドゥー教はよく三大神を基軸としているといわれる。…世界の創造神であるブラフマー、世界の守護神であるヴィシュヌ、そして世界の破壊と再創造にかかわるシヴァの三体である。…ブラフマーは今日庶民の信仰においてはあまり姿をみせない。ブラフマーを主神として祀る寺院はインド全体で数えるほどしかなく、またこの神を主神として信奉する教団もない。…ヴィシュヌやこれと深く関連する神がみ、またシヴァとその関連神格は庶民のあいだで広く信仰をあつめ、…教団もさまざまなものがある。それらの教団の信仰においてはヴィシュヌが世界の創造・護持・破壊のすべてに関与するとされ、ブラフマーの出番がまったくなくなっている。ブラフマーはヴェーダの時代にさかのぼる古い神格である。歴史の古層にあって名前は知られながらも今日はほとんど信仰の対象とならない神はほかにも、インドラ、アグニ、ヴァーユなどがあげられる。」

次に「ラーマとクリシュナ」から。「ヴィシュヌは天界にあり、地上世界に悪がはびこるとみずからの化身を送りこんで悪を滅ぼし、世界を浄化する。化身の数は10あるというのがもっとも一般的な考え方である。…十化身のなかでもとくに人気があるのは、第7番目の化身ラーマ、それから第8番目の化身クリシュナである。ラーマは『ラーマーマナ』神話の主人公である。『ラーマーヤナ』でラーマに忠誠を誓う武将として大活躍するハヌマーン(サルの武将として登場する)も庶民のあいだで非常に人気が高く、神として信仰されている。…クリシュナは魔王カンサを滅ぼすためにヴィシュヌの化身として生まれ、牧畜民のなかで育ち、さまざまな奇跡を起こし、最終的にカンサを打ち倒す。フルートの名手とされ、青年時代には牧畜民の娘たちとの愛の戯れに興じる一面もあったとされる。とくにラーダーとの熱烈な愛は非常に有名で、ラーダーのクリシュナへの愛こそがバクティの手本とみなされることがある。…幼いころは悪戯好きで彼を育てた継母を困らせたとされる。母が悪戯好きな子を慈しむような愛情もバクティになぞらえられることがあり、幼童クリシュナの姿も絵画や像として非常に人気が高い。」次はシヴァについて。「…シヴァはタントラ的な神秘主義の主神でありシヴァ自身が瞑想修行をおこなっている姿で描かれることも多い、タントラの世界観ではシヴァはこの世の生命力、再生力の源とされる。シヴァが男根の姿で信仰されるのはこの世界観と深く関連する。男根として現れるシヴァはリンガとよばれる。リンガは女性原理の象徴たる女性器(ヨーニ)に突き刺さった状態で現われ…、リンガの頭部にシヴァの顔が彫りだされている神像もよくみかける。なおシヴァは眉間のところに「第三の眼」をもつ。シヴァが心底怒るとこの眼が開いて無限のエネルギーが発し、この世界を滅ぼしてしまうとされる。シヴァは化身としてこの世に現れることはないが、シヴァのさまざまな形相の別の神格名で信仰されることがある。この世の悪を最終的に滅ぼすときのダンスを踊る形相としてのナタラージャは有名であるが北部インドではあまりみかけない。北部ではシヴァの憤怒の形相としてのパイラヴァのほうが人気もあり、また地方ごとにさまざまな別名でもよばれて人気を集めている。シヴァの妻であるパールヴァティー女神も人気があるが、パールヴァティー女神もさまざまな形相で現れ、その変身形のほうがより人気が高い。シヴァには息子がいる。そのうちの一人が象頭人身の神ガネーシャで、災いを払い、福をよびこむ神として幅広く信仰を集めている。」次は「女神たち」から。「ドゥルガーやカーリーは多数の武器をもち荒々しく悪と戦う姿で描かれる。パールヴァティーの憤怒の形相ともいわれており、その意味ではシヴァの配偶神であるが、彼女たちの怒りはシヴァをもってしてもコントロールできない…」
シヴァもかなわない女神の怒りは人間社会の女性の強さを表わしているが、日本では「女は三界に家なし」と言われ、その流布された考えが現在の女性の結婚意欲を削いでいる気がするが、インドでヒンドゥー教が仏教を凌駕したのはやはり女性に人気があったからだろう。女性の強さを認める点でヒンドゥー教は男女同権の意識の最先端を行っていた気がする。一方、イスラムは原理主義の女性が顔や肌を公衆に晒してはならないという性を否定する規則によって、日本の仏教ほどではないが、女性を抑圧している。しかしヒンドゥー教は熱帯の国に生まれた宗教であり、生命の豊穣性は誰の眼にも明らかで、女性性を無視するような神話を作り上げることには無理があったに違いない。北欧ではいち早くポルノが解禁された事実は、寒い国であり、ヒンドゥー教の明からさまな性のあり方を導入して人口を増やすことに効果があると考えたからではないか。しかしポルノが蔓延して人口が増えるとは言い切れず、また性の本能の原理を神に祀り上げるインドが古代から人口増加を目論んでいたとも断言出来ない。それはともかくとして、気候的にはインドと北欧の間にある日本における女性性を考える場合、ヒンドゥー教の神々の物語は参考になるだろう。さて、『インドおもしろ…』に図版が載る前述の「人獅子」は、餓鬼を踏みつける日本の仏像に連なって行くイメージで、仏教がヒンドゥー教の影響を受けたのだろうが、日本の古代がインドとつながっていることを実感させる。こうした豪華に造形されたジャガンナート像とは別に、民衆の造形としてジャガンナートが素朴かつ端的に造形されたものが筆者の所有する仮面であり、また『インドおもしろ…』のほぼ最後に図版が載る厨子入りのジャガンナートらの三神像だ。それは東京の「伽”耶」(GAYA)というインド民芸店の店主がインドで買い集めて来た雑貨の一部で、サイズの表示がないのは残念だが、同店では売れてしまったであろうし、同様のものがほしければプリーに行くしかないだろう。それにこの本は1996年の出版で、インドでも同じものが作り続けられているかどうかはわからない。この厨子入りの三神の面白いところは、素朴な造形とカラフルな着色だ。写真を見て作ることはさほど難しくないが、問題は絵具だ。水干を使っても日本製では駄目で、インドで製造される絵具でなければ同じ色合いは出ない。それはさておき、この厨子入り三神は筆者が好きな
松江の郷土玩具「松江のお宮」を髣髴とさせ、ほとんど無名の人が作る祈りの造形はどの国のどの時代のものでも似て来ることを意味している。それを柳宗悦は民藝と呼んだのだが、沖縄や朝鮮に足を延ばしながら、柳がなぜインドまで行かなかったのかの疑問が湧く。その暇がなかったというのが実情と思うし、また広大なインドで民藝品を調査すれば、収集のみでもとても人生が足りなかった。

話を戻す。厨子入り三神は、顔は仮面そのままで頭部と同じ高さの胴体とそこから真横に突き出た両手が表現される二頭身の木製人形で、「ゆるキャラ」のようだ。厨子入り像の下の図版は三神を描いた民画で、隙間を赤を基調とした文様で埋め尽くし、インド更紗の趣がある。場所を取る彫像の代用品で、壁に飾って拝むものだが、仮面や人形と同じく、両眼に鑑賞者の視線を招く効果がある。本展図録では「ダルシャンする人と神」と題するエッセイがあり、神と視線を交わすことを「ダルシャン」と呼び、神像と対峙した時に不可欠な行為と説明される。これはジャガンナートの仮面を最初に見た時、誰もが感じるその両眼の表現で、兄弟妹の三神の最重要な箇所が両眼であることを子どもでも知る。突き詰めれば信者が神の目を凝視して意識を集中させ、神と交感することがヒンドゥー教の最重要な行為と言ってよい。ヒンドゥー教は多くの偶像を生み、偶像崇拝の最たる宗教だが、それら多様な神の本質はダルシャンの行為のための見開かれた両眼だ。ではダルシャンが仏教の瞑想とはどう異なるのかという関心と疑問が浮かぶ。瞑想しながらあらゆるイメージを脳裏に浮かべることは雑念があることで、凡人は次第に眠くなって来るが、おそらく瞑想しつつ心の中で仏の眼差しに対面することで悟りへの道が開かれる。となれば、ヒンドゥー教と仏教は相容れないようだが、当然のことながら共通点は少なくない気がする。ところで、ダルシャンの行為を村上華岳はどこまで理解していたであろう。華岳の描く仏画の大半は視線を鑑賞者に向けない。華岳に真正面向きの仏画がないでもないが、そうした絵でも視線は鑑賞者と衝突しない。アジャンタの壁画に描かれる像がそもそもそうであったからと言えそうだが、仏像に正面から対峙すると視線を交えることになるとしても、仏像の両眼の表現は地蔵像のように目を細め、ジャガンナートのような誇張した大きな真円の眼ではない。華岳が恥ずかしがり屋であったからかと思わないでもないが、神や仏を真正面から覗き込むような態度を取ることを日本では不敬と考えるからではないか。神社の参道の中央を歩いてはならないということもその表われだろう。インド人は総じて目を大きく見開くことが多い印象があって、ジャガンナートの両眼はそういう人相と釣り合っている感がある。目の細いモンゴル人や朝鮮、日本の人々は風土の影響でそのように変化して来て、仏像の両眼の表現もそれに応じて来た。しかし、仏像の両眼の表現の差異は些細な問題で、視線も含めた全体から何を感じ取るかだ。ジャガンナートでは両眼が欠かし得ない究極の形体で、仏像の偶像崇拝とはいささか違って、極限に単純化された的(まと)のような円形記号を生命の視線と考える点において、イスラム的とまでは言わないが、抽象性に神が宿る考えがあるように思える。
これは生命の極限がどのように抽象され得るかという疑問に答える場合、漢字の象形文字の成り立ちと同じく、子どもでもわかる単純化された記号を持ち出すしかなく、ヒンドゥー教では最初は写実的な、人間に近い神の姿ではなく、ジャガンナートのように見開いた両眼を主とした、生命の原点としての記号のようなものであったのだろう。ジャガンナートの両眼の迫力ある記号性は漫画的で、なぜ写実的なシヴァ神の額絵のように描かないのかという疑問があるが、そういう表現があるかもしれず、逆にシヴァ神をジャガンナートのように記号性優先で描く場合もあるかもしれない。そこには神像の「ゆるキャラ」化が現在、あるいは今後インドでどのように進むかに関係することと言える。さて、本展図録や『インドおもしろ…』に載る神像は、古くても200年前のものだ。それ以前すなわち産業革命以前の神像がどのようなものであったかの疑問に答えてくれる写真図版については、本展図録に写真とともに興味深いエッセーが収められる。それを説明する前に寄り道する。古代ギリシアの神像は最初は日本の土偶をもっと素朴にしたような形をしていた。それが次第に人間の形を模倣するようになり、その最初はやはり素朴なものであったのに、超写実と呼んでいい迫真的な彫像が作られるようになる。このことは抽象からやがて具象が生まれることを教えるが、インドの宗教の造形も同じ道をたどったと言えるだろう。ではインドのヒンドゥーの最初の頃の神像がどういうものであったかは、これは有名なリンガとヨニ、すなわち女陰を男根が突き刺す様子の像で、性器崇拝だ。それは日本に伝わって道祖神になったのではないか。平安京ではどの四辻にも道祖神があったが、やがてそれらが地蔵像に変わったと、富士正晴の『日本の地蔵』に書いてあった。地蔵の祠は現在の京都ではどの町内にもあって、夏の地蔵盆には子どもを集めてその健康を祈願する。平安京の道祖神がどういう形をしていたかとなれば、男根を思わせる円柱であったと思うが、それでは不謹慎と天皇その他が思うようになったのではないか。そして円柱ならそこに地蔵の姿を彫ればよいということになって、やがて地蔵の姿そのものを彫るようになって行ったと想像する。しかし、円柱に彫る手間を惜しみ、ただの小さな岩であったとも思える。そうした石は「いけず石」と呼ばれて今でも京都の町中の家の角にたくさん置かれている。もちろん車が突っ込んで来ないようにとの注意喚起だが、その家にとってはその置石が守り神のようなもので、源流をたどれば平安京の道祖神にあるだろう。リンガ像が日本におそらく伝わりながら、その赤裸々な表現が根づかなかった理由が仏教の支配によるとして、性は不可欠なものであるから、市民の目の届かないところに潜ったと考えることが正しいだろう。
春画のように淫靡な表現のほうが性交に対する興奮はより高まる。それにリンガが屹立した男根であると子どもが教えられたとして、神像であるから、卑猥さよりも敬虔さを感じるのではないか。つまり性交を記号化したリンガとヨニの結合図はジャガンナートの円形の見開いた両眼と同じく、人間を含めての動物の根源性の記号化であって、些末さを取り除いた具象ゆえの抽象形だ。もちろん古代ギリシア時代にも男女の性交図はあり、当初は子どもの落書きのような素朴さであったが、やがて日本の浮世絵の春画のような写実的な線画が描かれるようになった。リンガにシヴァ神像を線彫りを施すことが行なわれるに至り、それが発展してイギリスの植民地時代に陰影を伴なう写実的な人物像としての神像が出現し、インドの人々はそういうわかりやすい表現を歓迎するようになった。それは映画俳優やアイドルのポスターのようなものだが、必ずではないにしろ、神像は真正面を向き、ジャガンナートのように信者と視線を交わす。その一例が今日の最初のシヴァ神像の額絵だ。顔が青白く描かれることは、シヴァは破壊の神でもあり、その点で悪魔的で、刀を持つ青い悪魔を膝に載せるヴィシュヌの化身ナラシンハに通じる。つまり、ヒンドゥーの神像画では線描画でない限り、色に意味を持たせたのだが、無着色の彫像であればたとえば憤怒の形相は顔の部位の形で表現するしかなく、色は必須の要素でないことがわかる。西洋の絵画の影響を受けた写実的なヒンドゥーの神像は歴史が浅いが、その表現は今後なくなることはなく、ヒンドゥーの神話を現実味のあるものとして視覚的に表示される最たるものとして定着し、偶像崇拝の極致になった感がある。しかし日本の古い仏画は西洋の遠近法にしたがっていないとして、たとえばアジャンタの壁画の影響を最初に受け、イギリスの植民地になって以降のヒンドゥーの額絵といった商品の源流は古代にあったと言える。話をリンガに戻すと、本展図録に「シヴァリンガ」の額絵とシヴァリンガの小型の彫像の図版がある。額絵は20世紀中頃のものとされ、ビートルズの登場前後のものではないか。これにシヴァの顔を添えたものが今日の最初の図版で、リンガとヨニ、コブラ蛇、三叉銛、画面下に小さく描かれる果物や香油の供物は共通画題だが、ダルシャンの対象となる両眼が描かれず、リンガの全体が露わで、交通標識のような記号絵になっている。これはこれでシヴァ神を純粋に感じる絵となっているのだろうが、この額絵を見つけても筆者は買わなかった。それはインドの人々も同じ感覚ではないかと思うが、実際のところはわからない。それに筆者が所有するシヴァ神像の額絵をガラス入りの額縁に入れるのもいいかと思いつつ、壁に飾るとあまりにもインド丸出しで部屋の雰囲気がそこに集中し過ぎるので躊躇している。

本展図録に『ヒンドゥー寺院の原風景とその信仰形態の展開』と題するエッセイがある。そこに「「聖域」の成り立ち、神のいる佇まい」と題する節があって、こう書かれる。「古来人びとはさまざまなかたちで自然に祈りを捧げてきた。インドでも殊に樹木への祈りは古来より現在にいたるまで、神像同様に日常生活に密着している。…インドの街や田舎には人びとが行き交う場に大きな樹木があり、その木の根元はコンクリートで固められ、その樹の下で雨宿りをしたり、休憩したり、おしゃべりしたり、人びとの憩う場所になっている。そして、そこには蛇神ナーガ(コブラ)を祀る石板やヒンドゥーの神がみの絵画などが置かれ、ブージャー(礼拝)を受けている場になっている。…この樹木は「チャイティアなる樹木」と呼ばれる…種々の精霊の棲処とされ、…聖樹信仰の延長上にヒンドゥー教の神がみの信仰も形成されていく。」次節「チャイティアからリンガへ」はその題名から想像出来るように次のように書かれる。「聖樹信仰とかかわりながらも、ヒンドゥー教もクシャーン朝(1~3世紀)ごろには漸次展開していく。…仏像の誕生の地マトゥラーのブーテーシュヴァラから出土した作例(マトゥラー博物館)には注目すべき表現がみられる。リンガが聖樹チャイティアの前に置かれ、それが柵(欄楯)によって囲まれている様子が、横長の石材に浮彫されているのだ。これは「チャイティアなる樹木」と構造上は同じで、石の台座がシヴァリンガに入れ替わったものだ。…現代においてもインドボダイジュの前に女神とリンガとナンディンを祀る興味深い事例が存在する。それは仏教も同様で、その土壌のなかから信仰の形態を構築している。…」印度菩提樹の下で悟りを開いた仏陀の姿をリンガと捉えれば不謹慎であろうか。大きな樹木を聖なる存在と見ることは日本でも同じで、これは人類に共通した意識であろう。ドイツ・ロマン派の画家フリードリヒの油彩画に、筆者が40年ほど見続けている額絵がある。その横長の絵は左右対称的で、草原の中央に樫の巨木を描き、根元には羊飼いがひとり休んでいる。そして手前には小さな池があり、背後は山がそびえている。その構図は鑑賞者が仰向けに寝て大股を開いた女体の陰部を覗き込むことを連想させ、画家が大地母神崇拝の意図を描こうとしたことが伝わる。その孤立する樫は聖樹であり、リンガでもある。日本では女性を畑にたとえるが、畑は大地で、種子が蒔かれて巨木を育てもする。その様子を古代インドではリンガとヨニで造形化し、信仰の対象にした。鍵穴と鍵、ナットとボルト、ペコちゃんとポコちゃんなど、陰陽で一対の存在は幼児でも知る世界の本質で、あらゆる宗教にそのことの意味、意義が捉えられているとして、身近なことでは女性と男性を社会においてどのように役割分担させることが理想であるかという一筋縄では行かない問題がある。

ヒンドゥー教では死者は灰にした後、川に流して墓を建てない。日本の仏教は戦後は特に墓石業者の宣伝によるのか、墓を持つことが流行し、それが今は維持が困難になって墓をなくす人が増えている。そして遺灰を海に流すことも許可されているが、葬式仏教に疑問を持つ人が増えるとヒンドゥー教が勢力を増すかとなると、インド料理店は増えてもまだ宗教までは根づく気配はない。ここで思い出すのが4年前に投稿した
映画『10ミニッツ・オールダー GREEN』のうち、ベルトリッチ監督の短編「水の寓話」だ。アルプスを走る貨物列車にインド人かパキスタン人の密航者らが大勢乗っていて、当局の捜査を察知したのか、列車は山中で停車し、密航者らは下車して麓に徒歩で向かう。彼らはドイツに行く予定がイタリアに迷い込んだのだが、密航者のひとりの若者が高齢のインド人男性が樹齢数百年の巨木の下で瞑想中である様子に近づく。すると高齢の男性は喉が渇いたので水を汲んで来てくれと言う。若者はその言葉にしたがい、水辺を探しているとイタリア人女性がバイクでやって来て、それが故障するのを目撃する。若者は故障を修理し、彼女のバイクの後方に乗って彼女が経営するガソリン・スタンドを経営するバーに着く。やがて彼女は妊娠し、インド式の結婚式を挙げ、生まれた長男が10歳くらいになるまでに店をインド風に改装するなどして仲睦まじい家族を築くが、ある日、一家で車で出かけた時、小さな川に落下する。幸い家族はみな怪我をしなかったが、インド人の夫は急に思い出したようにふらふらと事故現場を後にし、巨木の下で瞑想中の老人のもとに行く。若者にとっての10年が老人には1時間程度の時間であったのだ。この物語は事故を契機に人生が展開して行くことを描きつつ、また水の流れと時のそれとを対比させながら、インダス川やガンジス川など、水と切り離せないインド文明を伝える。そしてイタリアの寒村にヒンドゥー教の文化が入り込む現実を主題にもしていて、この映画の後、イタリアにインドやパキスタン、バングラデシュの労働者がどれほど入り込んでいるのかとの疑問を抱かせる。細部が見事な映画で、特に気になるのは老人が瞑想する場面での巨木だ。それがリンガとして、若者がイタリアで出会った寡婦と子をもうけ、幸福な家庭を築くことはリンガとヨニの結合であり、またインドとイタリアという洋の東西を代表する文明国家のそれでもあるが、水に関する事故をきっかけにインド人の夫が家族を捨て去る様子は仏陀と同じで、監督はよほど東洋文明に関心が深かったことが伝わる。日本では移民問題が年々報じられ、排斥の言葉が拡大している。ベルトリッチは移民を数百年単位で見ていたのかどうか、それはわからないが、日本でこの短編映画と同じような移民とそれに伴なう宗教の拡散などの悠久な問題を詩的にまとめ上げる才能はないだろう。
そこで代用作として、あるいは手っ取り早く金儲けするためにアニメを考えるだろう。本展はヒンドゥーの神像が今後どのように変化して行くかを想像させる。それは日本の仏教のように固定化して変化の乏しい状態ではなく、年々変化して行く活性状態が感じられるからで、そこに大きな魅力があると言える。現在のインドで日本のアニメや漫画が紹介されているのかどうか知らないが、欧米と同じほどにTVで放映されているとして、その人気がどうであるかが気になる。日本のアニメで表現される物語やキャラクターの中心となる要素はヒンドゥー教にみなあるのではと思うからだが、そうであれば日本のアニメが入り込む隙間はない。しかし子どもは新しい外来のものが好きであるから、インドのラーマやクリシュナを、それはそれとして親から継いで受け入れるとして、日本のアニメ・キャラクターも好きになるのではないか。そしてインドは教育的観点からも日本アニメの輸入を禁止しないはずで、たとえばポケモンのキャラクターはクリシュナ以上に一時的にしろ、人気を得ているのではないかと想像する。そうであるとして、疑問がふたつある。インド古来の神々を日本のアニメのキャラクター風に描くかということと、それは不敬であるという意見が出て神像の表現様式は古いままが保持されるかということだ。前者はヒンドゥーの神々を子どもでもわかりやすく、親しみのあるものにする効果があるが、日本のアニメのような新奇さを狙った物語を創造することは出来ず、図像のみがアニメとの類似となる。そうした例は本展で紹介されたようにすでに絵本のイラストにあるが、日本のアニメ風、また「ゆるキャラ」のように極端に記号化され得るかどうかだ。そこで、インドと日本とでどちらの造形が飲み込まれやすいかとの疑問が浮かぶ。インドにとって日本の単純性の模倣は簡単な気がする一方、インドの神像の造形は確立していて、それをアニメのキャラクター並みに単純化は出来ないとも思える。しかしこういう想像は大きな要素を見過ごしている。それは信仰だ。日本のアニメは娯楽だが、インドの神像は信仰の対象として日常に入り込み、時代に応じて表現を変えて来ている。またそうであるからTVを見る子ども向きのアニメ的インド神像を思うのだが、その着眼から日本のアニメ制作会社がインド人向きのアニメ・キャラを作り、TV番組向きのアニメを製作して売り込むことが出来るのではないか。本展で紹介されたように、日本はインドに燐寸や陶磁器の人形を大量に輸出した時期があったからだ。それは商売に宗教が絡むことだが、日本はヒンドゥー教の造形に対して一時期貢献した歴史がある。その延長上にインドの神像をキャラクターにしたアニメを日本が制作することは出来る。輸出産業としての話はインドで子ども向きのアニメの需要があるのかという問題が前提にある。
