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●撮り鉄の轍踏み蘇鉄読み耽り、その57
っぷりと 葉を広げたし 蘇鉄には ゆったり広き 場所を与えよ」、「ひとつ葉の 蘇鉄の苗木 持ち帰る 吾子は知らぬ 先生の意図」、「殲滅の 舗装を逃れ 息吹く葉の 蘇鉄逞し 魂死せぬ」、「根性を 見せてやろうと 群青を 惜しまず使う 今生ここに」
●撮り鉄の轍踏み蘇鉄読み耽り、その57_d0053294_16495670.jpg
4首目はイヴ・クラインのことが思い浮かんだので即座に詠んだ。クライン・ブルーは日本の岩絵具の群青ではないので彼はたっぷりと使えたが、スポーン一杯分で数千円する日本の顔料であれば、画家は金泥と同じほどに大事にし、使い切らずに死ぬが、それは何となく格好悪いので、高価な顔料は思い切り大量に使う場面を持つのがよい。そういう大盤振る舞いを一度はしない人生はつまらない。グループ展にしか出品したことのない画家は、多くのひとりとみなされ、それだけで終わる。表現者であれば他者と合同での作品提示を拒否し、個展に限るのがよい。それには作品をたくさん制作せねばならず、会場を借りるなどの諸費用が10万や20万円は要するうえ、ほとんど誰も見に来ないことがよくある。それでも懲りずに何度でもやることだ。そのうち日が当たる。そうでなくても精一杯自己主張した記憶は残る。人生はそれに尽きる。自分の晴れ舞台に時間も金も惜しまず、金は借りてでもやるべきだ。そういう覚悟は必ず作品に現われ、それを見抜く人がある。勇ましいことを書いたが、筆者は金を借りて作品制作をしたことがない。製作費よりも時間が多大に必要で、それは自分が我慢すれば済む。話を最初に戻す。即座というのは、4首詠むのに1時間ほど要す場合があることに対して、今日のように10分ほどで詠めることがあるからだ。思えば即言葉にする。音楽家はそれを音で表現し、筆者の「ドキモ短歌もどき」も読んだ時の音がリズミカルになることを念頭に置いている。あたりまえのことで、言葉は音楽に近い。それで美声の男性は女性をうっとりとさせる。さて、「その55」の続編のようなことを書くつもりでいるが、筆者のブログは即興で書くこともあって、以下の文章が自分でも予想がつかない。それが面白い。予想外のことがどのように出て来るかわからないからだが、自分の心の内部にそういうものがあることは、考えてみれば多重人格のようで怖い。それで日頃ぼんやり思っていることが、パソコンに向かってブログを書く時に迸る。つまり即興は心の中にあることを吐き出す際にこだわりの形を採ることであって、そうでない場合は失敗になる。こだわりはこれでよいとの決断で、納得が前提にある。『以前と同じ表現かもしれないが、今この時点でよいと思える』という、画家で言えば押印作業を瞬時に行なうことだ。『この時点でよい』との感覚は年齢を重ねると鈍る場合があり、気づかないうちに「ゴミ作」を生む。もっとも、世間は名前の売れた作家に優しいから、当の作家が凡作、ゴミ作を量産してもあからさまに否定はしないが、わかる人は無視する。
●撮り鉄の轍踏み蘇鉄読み耽り、その57_d0053294_16504297.jpg 「その55」に書いた「冒頭一字表」は今数えると2510字だ。毎日投稿して7年要する。「冒頭一字表」は現在3回目に入っていて、冒頭の一字の色を赤から橙、そして今は黄緑色にしている。冒頭の一字を守ることは、いつの間にか決まった一段落当たり1200字ぎりぎりでそれ以内の字数とともに、このブログの定型になっているが、冒頭の一字を意識することは多彩になると思うからだ。好きな文字が誰にもあり、冒頭の一字を決めていなければ同じような冒頭の一句から話へと流れやすい。これは自由であれば却って狭いところに閉じこもってしまいがちであることを意味している。あえて制約を設けることで多彩に傾くことは短歌にも言える。五・七・五・七・七の音節の区切りを厳守しながら、先に書いたように言葉の音楽的特質に留意すれば、駄洒落のような言葉遊びになりがちだが、そういう遊びに内蔵される陽気さを持ち味とすることが出来る。その陽気さは皮肉や風刺と隣接していて、使い道を誤ると自己を攻撃する、言い変えれば敵を作りやすい毒になり得るが、それも俳句、川柳、短歌といった言葉数が少ない定型表現ならではの特質だ。しかし定型やその他の決まりを厳守すると、やがてくだらない遊びに堕しやすいことも事実だ。しかしそのことと最初から自由を標榜して枠を取り払って表現してもやはり同じように他者に受容されない遊びになることは往々にしてある。型を守りながら工夫を凝らすことと、最初から型を否定しての自由性は芸術の両輪で、普通は前者から出発して後者に進むが、型を守るうえでの根気のいる技術習得を無視する若者はたとえば「芸術は爆発だ」の言葉を信じて破壊的行為を繰り返すが、それがやがて独特の型として認められることはあるが、その芸術行為はミニマルの方向に向かい、同じことを繰り返す、つまり仮にわずかでも多彩性が認められるとしてもそれは同一性の中での微小な差だ。とはいえ、そのことの中に意味がないとは言い切れない。「その55」で書いた筆者が脳裏に構想している500作の男性の顔の左右対称の切り絵は、見方によってはミニマル手法だが、どれも同じ顔に見えることを意識しておらず、500の顔はすべて違いが明らかなように描きたい。その意味ではミニマルでは全くない。定型を厳守しながら多彩であること。筆者が望む芸術とはそういうものだが、一方で定型を意識せず、しかも多彩という芸術がピカソにある。ザッパもそうだろう。そうした芸術家は完璧な作品を目指すというより、変貌し続けることに生き甲斐を感じた。とはいえピカソもザッパもそれなりに定型を意識して創作した。これは創作活動の最初期にアカデミズムの洗礼を受けたことだ。これは型を学ぶことで、その後にそれに対する挑戦がある。最初から型を知らない者は変貌はあり得ず、多彩を意識せず、同じことを繰り返してやがて飽きるだろう。
●撮り鉄の轍踏み蘇鉄読み耽り、その57_d0053294_16512602.jpg 破るべき型を持たない者は閉じた自己という型を持つ。どの表現者も閉じたひとつの型だが、人間は多彩な自然を見ながらそうでありたいと思い、作品もそうしたいのではないか。そのことを植物になぞらえて考える。鶏頭の花も蘇鉄も育つ環境によって成長具合が制限され、花の形や傾きが違ったり、葉の一部が切り取られたりする。そういう制限がなされない場合、鶏頭や蘇鉄はどのように悠々と育つか、またそういう同じ条件下で育ててればどれも同じ形になるかという疑問がある。これは人間の遺伝子を思えばいいかもしれない。全く同じ条件という設定は無理があるが、可能な限りそうし得た状況でも、人間はみな形も性格も違って育つ。ならば鶏頭も蘇鉄もそうかとなるが、その問いには植物に意思があるかという厄介事を持ち出す必要がある。植物に意識があろうがなかろうが、人間に区別がつかない同じ条件下で瓜二つに育ったとして、それは人間にそう見えているだけで、植物は全然違うと思っているかもしれない。そのことは何十年も前に蛙を見ながら考えた。人間には全く同じに見える蛙でも、蛙はみな唯一無二と思っているかもしれない。この疑問から思考をまた人間に戻し、そこから500種の男の顔を画題に切り絵を作りたいと思うのだが、左右対称にこだわるのは、制約を増やす分、多彩になり得ると信じるからだ。顔を左右対称でないように描く方が実際ははるかに多様性を獲得することをわかってのことだ。しかしそういう多様性は見方によれば面白くない。制約を増やす中での多様を目指すことで多様性が却って明白になる。さて、街中で見かける蘇鉄はみな環境が違い、違った姿をしている。放置しても勝手に育つが、あまり過酷な環境では枯れる。今日の最初の写真は「その51」の2枚目の写真で紹介した蘇鉄のその後で、2月2日に撮った。そこにあった大きな蘇鉄は隣りの建物の壁に葉の3分の1ほどを成長を阻まれ、歩道側には飛び出ていた。店の経営が破綻したのか、新たな会社が入って、その蘇鉄の土地を車一台用の駐車場に改造した。今日の2枚目の写真のようにアスファルトで舗装され、蘇鉄があったことはわからない。その光景を見るたびに沈んだ気分になっていたのに、最初の写真のようにアスファルトが敷かれない場所から葉が一枚育っているではないか。以前の蘇鉄の大きさに育つには半世紀は要するが、それまでに店はまた変わるかもしれない。3枚目は今月10日に嵯峨へのスーパーの途上で撮った。歩いたことのない道がいくつもあり、そのひとつで見かけた。よく通う店がなくなり、新たによく利用する店が出来ると、歩く道も変わる。それは人生が少し変わった気分がして楽しい。4枚目は昨日、嵯峨美術大学の正門を入って少し南で撮った。一般人の絵画の小展示会があって、その案内はがきを嵯峨のFさんからもらっていた。小雨の降る中、家内と出かけた。
●撮り鉄の轍踏み蘇鉄読み耽り、その57_d0053294_16521951.jpg


by uuuzen | 2025-03-16 23:59 | ●新・嵐山だより(シリーズ編)
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