「
扉見て これはないなと 男逃げ ゴミに溢れた 部屋を思いて」、「常緑の とげとげの葉の めでたさは 松のみならず 蘇鉄にもあり」、「ひっそりと 玄関脇で 家護る 対の蘇鉄や 仁王のごとく」、「邪魔なれど なくてはさびし 鉢植えの 蘇鉄逞し みそとみとせの」

蘇鉄の写真がたまったので投稿する。 今回「その55」で、これほど続くと蘇鉄に関して書くことがもうない気がするが、今日は写真が4枚なので計三段落、原稿十二枚分を書かねばならない。さて、毎回の投稿の冒頭に短歌(もどき)を四首載せている。まずそれを考えてから本文を書く。一二度は本文を先に書いたことがあるが、四首をひねり出すのに1時間では済まないことがある。四首を二首に減らすつもりはなく、最初の短歌の冒頭の文字は「冒頭の一字表」にしたがっているが、その方が詠みやすい。以前に書いたと思うが、同様のことをザッパも『自伝』で書いた。作品は額縁があってのものという考えだ。額縁は制約、制限を意味する。それを取り払った状態でも作品はもちろん成立するし、自由詩はそういうものだ。制限をなくせば面白い作品が生まれるかと言えば、そういう場合もあるが、概して取り止めのないものになって、作者の自己陶酔を示されるだけだ。ここで話題を変えると、筆者の名前は漢字四文字を縦書きすると左右対称で、それもあって20数年前にネットで山梨県在住の女性emiさんによる左右対称の切り絵を見つけた時、そのアイデアを頂戴して、直ちに作り始め、最初から彼女とは異なる様式と手法で作った。同じ15センチ角の色紙を使いはするが、筆者は処女作から周囲に5ミリ幅の額縁を設けた。その枠は中身の絵をカッター・ナイフで切り抜く際、「吊り」の役割を果たすと同時にどの切り絵作品にも共通するひとつの様式になった。つまり筆者の切り絵は処女作から完成していた。作り始めた年齢が50歳くらいであるから、それも当然だろう。絵を描くことによる作品作りを長年続けて来ているので、若い頃に試行錯誤時代を終えている。言い変えれば、アイデアが浮かんで最初の作る新たな分野での仕事が、いきなり技術の完成に到達することであって、絵の得意の人は誰でもそうであろうし、そのことは音楽や文学でも言える。筆者のブログ冒頭の4首は母の通夜で半ば夢の中で思い浮かんだ最初の一首、すなわち人生初の短歌において筆者なりに完成していた。その後二三千首以上は詠んでいるが、すべて筆者の個性を含んで同一レベルの質にあると思う。しかしそれは欲張りで、実際は劣化して来ているだろう。というのは左右対称の切り絵もそう思った頃に年一度の年賀状用図案のみの作成にしたからだ。とはいえ、切り絵の話を続けると、思い続けているアイデアがある。それは五百作になる予定だ。その図案は最新のパソコン・ソフトで数日あれば描けるかもしれないが、その方法がわからない。

五百点の図案が数日で完成しても、1点ずつ色紙を切り抜かねばならず、それに半年は要し、視力の劣化から雑な仕事になるかもしれない。それで印判屋が使う特殊な拡大鏡の必要を思っている。五百点は男の顔を正面から捉えたものだ。五百種の顔が描けるか、区別がつきにくい絵がたくさん混じるのではないかと予想もある。そうならないように描き分けるにはどうすべきか。思い着くことは小学3,4生の頃にひとり遊びだ。それは顔の各パーツの組み合わせ絵を基本にし、顔の輪郭、髪、額の広さ、眉の形と長さ、目の大きさと両眼の感覚、鼻梁の形、それに唇などなどの要素に分解し、それらをサイコロを振って組み合わせる。人間の顔は遺伝によるが、その遺伝も含めてサイコロ遊びと同じことという思いが10歳くらいの筆者にあった。各要素を20種ほどずつ作成すれば、五百点の切り絵に描く男の顔はどれも似たものがないように描けるのではないか。その一方、パソコン上で指かマウスかによって画面上の線描を動かすだけで自在な形が描けるソフトがきっとあるはずで、それに対抗する意味からパソコンではやりにくい絵の工夫を念頭に置く。もう少し切り絵について書くと、その五百種の顔は毎月のように左右対称の切り絵を投稿していた時代の作にアイデアがある。現在自分のホームページに載せている2,3点がそれだが、その昔のわずかな作品から五百点セットの顔シリーズのアイデアが生まれた。ところがすぐにでもその実際の作業に取りかかる自信があるのに、他に優先することがあって、時間がない。それは言い訳に聞こえるので、前述のようにパソコンによって実物の切り絵と同じように見える画像をまず五百点作ってしまおうかという気もある。そう思いながら筆者のパソコンはVISTAで、時代遅れぶりが平気なあまり、やりたい仕事を大量に積んだまま、糸の切れた凧のようにふわふわとあちこち飛び回る予感がしている。五百種の顔を切り絵で表現せずに絵だけで充分ではないかと言えば、それは違う。左右対称の切り絵作りから芽生えた着想なので、その独創の集大成として同じ様式にこだわる。また制作の意図として、人間の顔は美醜があることが確かかどうかを確認する意味合いがある。先の顔の各パーツの組み合わせによって痩せた顔と太った顔が生まれ、その中間もある。そして美男子はどういう条件で生まれるかに関心があるかと言えば、どの顔も線のわずかな曲がりの差で生まれるから、美醜は存在しないのではないかとの思いがある。花に不格好なものがないのと同じだ。ひまわりの花でも平均的つまり平凡な形より、どこか歪なほうが面白く、絵になりやすい。何が言いたいかと言えば、五百種はどれも美醜が同じで、神は生命をそのように創ったと思う。これはしかし筆者の絵の表現力に負う問題でもある。神々しい顔をとは思わないが、醜に見えてもどこかそうではない気配を留めたい。

蘇鉄を切り絵の図案にしたことがない。生姜ならあるが、今ならもう少しましに描けるかと思う一方、50代の気力がない分、表現力は減退しているかもしれない。そう言えば「濁天さん」は切り絵の「真っ赤なマッカーサー」を気に入ってくれ、それをTシャツにプリントしたいと言った。そのことを思い出すと、小さな画廊でこれまで作った全部の切り絵を展示してもいいかと考える。そして来客からTシャツにプリントする注文を取る。切り絵の色はパソコン上で自在に変更出来るし、縦横比も正方形を守る必要はない。そんな空想がどこまでも広がるが、展示のために切り絵を1点ずつ額に入れるのは大変で、その300点ほどの価格はひとつ1000円でも30万円もする。さりとて裸のままでは展示出来ない。切り絵の話から強引に蘇鉄に変える。今日の最初と2枚目は去年10月30日に大阪で撮った。その日は家内といつものように展覧会巡りをし、中之島の東洋陶磁美術館から梅田北のスカイビルに行き、確か三度目になるが、絹谷幸二展を見た。最初の写真は西天満、2枚目はグランフロントのとあるメンズ・ショップのウィンドウだ。蘇鉄は豪華な雰囲気の演出に持って来いで、よほどのことがない限り、枯れないのがよい。3枚目は今年1月7日、アメリカから大西さんが一時帰国し、京都タワー・ホテルのフロントで待ち合わせした後、京都国立博物館で常設展を見、その後は東大路通りを北上して清水寺の門前に行く途中、茶碗坂で撮った。清水寺は拝観せず、外国人観光客に揉まれながら四条河原町を目指し、途中で安井金毘羅の境内を抜けて建仁寺門前を通り、大和大路通から新京極に至った。その後食事して嵐山に行き、福田美術館で若冲展を見た。4枚目の写真は昨日撮った。
「その53」にも載せたが、せっかくなので紹介する。これはわら天神のバス停前のとある神社の境内を西に抜けてすぐ、つまり先のパン食べ放題カフェ店の斜め前の浄土宗の西徳寺の角だ。家内と天神さんの縁日を見た後、堂本印象美術館に向かい、同寺西側にあるパン屋兼カフェに入った。小さく切った数種のパンが食べ放題で、ドリンクも6種類が飲み放題のランチがある。何年も前から2、3か月に一度は訪れ、座る席もほぼ決まっている。ランチの価格は最初に訪れた頃と比べて倍近く値上げされた。近くにインド料理店があるが、家内は辛いものを嫌がる。この蘇鉄は30年ほど経てばわが家の二鉢の蘇鉄と同じほどの大きさになるだろう。ひとりでは抱えられず、摂氏0度でも庭に置いたままだが、さすが雪が積もるとそれを払い除けてやる。嵩張って広い場所を取り、移動するには葉の棘で苦労するが、それだけにかわいい。というより頼もしい。それで街中で蘇鉄を見ると、またカメラを持っていると必ず撮る。