「
バロックの ロックと言うは 大雑把 ザッパの調べ ザッパレスクス」、「恒例の ザッパ祭りの ライヴには 老若男女 溢れてほしき」、「天国の 子どもら見るや 舞台には ザッパの曲の 爆演バンド」、「ザッパロの ウィンと読まずに 区切り変え ザッパのロウィン 意味不と言うな」

昨日レザニモヲのさあやさんから今年のザッパロウィンのチラシ・デザインの原稿が届いた。わずかに手直ししたものが今朝届き、それを印刷に回すことにするとあった。そのチラシ画像にあるように、今年は11月1日の土曜日の夜にいつもの『夜想』を会場にした開催される。チラシの下部に小さく入れてもらったが、今年も筆者のザッパ本を来場者の中から1名に抽選で差し上げる。何らかのくじを用意するとして、それとは別に毎回ザッパがらみの催しで筆者が参加する時には用意する手製紙ジャケットのお土産も考えている。ただし、30部程度になりそうで、予約順か先着順に配布することになるだろう。ジャケットの絵も中身もまだ何も考えていないのは、今年の夏はあまりに暑くて思うように事がはかどらず、それにもかかわらず筆者はいつも以上に考えることが多く、また来月22日の時代祭りに関係していることもあるからだ。ザッパロウィンの演奏についてはどうレパートリーが増えるのかわからない。毎年変化はほしいところで、実際そうなっているが、マンネリを逃れるためには常に最新の世の空気に接する気分でいる必要はある。筆者は最初に30分の話を予定している。その内容はザッパの近作の2種のアルバムについてにするつもりだが、まだじっくりと聴いておらず、英文解説も半分ほどしか目を通していない。最も懸念することは、毎度のことだが、集客だ。それを思っての今日の投稿だ。ザッパの音楽に認知度は日本では低く、名前くらい知っている人でも変な先入観がある。コロナ禍以降は特に日本のみならず世界中で自国主義が拡大し、平たく言えば民主主義の限界が喧伝されている。ザッパはそのことを予期していたと言ってよい。それで共和党の大統領を常にけなしていたが、84年のアルバム『ゼム・オア・アス』の題名からわかるように、アメリカの分断は当時からザッパの目にははっきりとしていた。それから40年後の現在、ザッパが生きていればトランプ大統領をどのように見たかはザッパ・ファンならわかる。とはいえ、多数決を根幹とする民主主義はネット社会、特にSNSが個人の収益になる道筋が作られたことによって知性なき者が有名になり、かつ大金を稼ぎ、また世論を導くことになって、深刻な危機が近づいていると言える。そうなると、ロジェ・カイヨワのように人類が滅亡しても残る埋もれた化石や貴石にますます魅せられ、人間の営みをひたすら愚かなものとみなして心が滅入ることになりそうだが、ザッパの音楽を愛する者は孤独を受け入れて醒めながら音楽に酔い、人間世界を見下ろしている。
