「
訪れば 裸婦のお迎え 中之島 夏場にはよし 吾もなりたし」、「目のやり場 困ると言いし 急所見る ああなるほどと さらに見直す」、「けしからぬ 裸像晒すな 街中は 服着る福を 伝えたし店」、「隠すほど 見たくなるのは 本能か かくして画す 覆いの線か」

最近銅像の盗難被害が各地で報告されている。非鉄金属の価格が上昇しているからのだろう。それで銅線の被害はもっとひどく、日本が以前にも増して無法地帯になって来ている感がある。その原因を次々に流入する外国人労働者のせいと言う向きがあるが、彼らの犯罪率は日本人よりどれほど多いのか、あるいは少ないのか、正確な情報が伝わりにくい。金に困った外国人がそうした泥棒行為をするとして、金属を買い取る業者が日本人である場合は少なくないだろう。わが家の近所で聞いた話だが、ある新築住居に若い中国人夫婦が住み、自治会に加入しないこともあってゴミ出しに問題が生じた。その中国人が買った家は地元の地主が建てたもので、ある人の話によれば、その地主は買い手が誰であってもよいという以上に、むしろ中国人に積極的に売ったり貸したりしているとのことで、儲かれば後はどうなってもかまわないと考える日本人が一部にいることを教えてくれた。つまり、現在の日本の外国人労働者の問題の背景には、外国人で儲けようとする日本人がいる現実がある。インバウンド頼りで林立する民泊もその例で、外国人がいなくなれば大いに困る人が増えている。それはさておき、先月末に大阪に出た時に撮った写真の1枚に今日の中之島公園内の裸婦像がある。これは筆者の知る限り、半世紀以上前から同じ場所にある。中央公会堂のすぐ南で、かなり高いところに設置されているので、最近の裸婦の彫刻が目障りという意見は今のところ聞かない。名古屋のとある商店街の近くでは、交差点の歩道角に設置されたFRPの秀吉像の首がなくなったが、他の信長や水戸黄門の像もどこか下品で、また設置場所は許可を得ているとしても彫像を置くにはふさわしくない。むしろ邪魔で、秀吉の頭がなくなったとしても蹴った人物の審美眼がわからないでもない。裸婦像を街中から一掃して美術館に展示せよとの声には筆者は反対だ。その空間がないだろうし、あっても誰も見に行かない。それに彫刻家だけにそのような特権を与えるなとの声が絶対に出る。結局のところ、平和の象徴としての裸婦像は時代にそぐわなくなって来たのだが、衣装を着せた彫像ならいいかと言えば、誰が作って誰が設置場所を認めるかの問題の背後に名誉や金銭が絡み、さほど芸術性の高くない凡作が大手を奮う。御堂筋には彫刻がたくさん並ぶが、そこにある裸婦像は今後どうなるだろう。かなり小型であるので目障りという人はいないだろうし、いれば冬場の寒さを凌がせるために優しいおばさんが毛糸で編んだ衣服を着せればよい。「地蔵とは ちゃうと怒るや 彫刻家 吾の愛する 女性は裸で」
