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●『タクシー・ドライバー』
ンライン 慣れぬ手つきで 申し込み これは便利と 運動不足」、「日曜の 洋画劇場 見て育ち 老いて忘れぬ 場面確認」、「タクシーを 拾えず歩く 一時間 夜空に浮かぶ ネオンに桜」、「偶然を 交えて成るや 名品と 知ることなしの 技は虚しき」
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先日NHKで録画した映画『タクシー・ドライバー』について書く。1976年公開で、当時交際していた家内と見た。二番館であったかもしれない。それから10年ほど後にTVでまた見たので、今回は三度目だ。封切りから半世紀近くなって現在の日本と照らすと、感じることは増えた気がする。戦後の日本はアメリカに10年や20年は遅れて流行を模倣すると言われて来た。その遅れは年々縮まって来ただろうが、日本がアメリカを小さくしたような国にはならない要素はいくつかある。そのひとつは多国籍の人の居住だが、この点に関しても近年の日本は急速に定住外国人が増加し、表向きはアメリカを追随した形にはなっている。多国籍であれば多宗教は必然だが、日本は神仏が根づいていて、キリスト教は問題とするに当たらないほどに視野に入らない。しかしアメリカは元来清教徒が大西洋をわたって建国したから、基本はキリスト教だ。移民が作った国ではあるが、移民の大半がヨーロッパ人であれば、キリスト教の支配は揺るがない。もちろん宗教の自由は保障されているから、神仏もあればユダヤやイスラムも混在し、それらが時に衝突して大事件が起こる。アメリカは国土が大きく、街に多国籍の人が同居するにしてもリトル・トーキョーやリトル・イタリアなど、モザイク状に地域が隣り合い、融合にはなかなかならない。国土の狭い日本で移民推進が反感を買うのは、外国人が集まる地域が文化、慣習の違いから悪所のように見られて問題が起きやすいからだ。いっそ離れ小島に定住してもらえば、視野にも入らずにいいのではないかと想像する向きもあろうが、インフラや働き場所の問題があって、大都会の片隅の一画を占めるしかない。これは30年ほど前に叔父から聞いた話だが、かつて伊勢に売春小島があって、乱交現場では娼婦は性交した男の数だけ腕に輪ゴムをする決まりで、人気のない娼婦はそれが一本もなかったそうだ。輪ゴムの数に応じて賃金が支払われたのだが、人気者に人が群がるのは現実で、娼婦の世界でも競争は激しい。そういう性産業が暗黙のうちに船で行かねばならない小島にあったというのは、悪所を隔離するという日本では現実的な話だが、東京の繁華街にもあって当然で、実際あるだろうし、それどころか今や10代半ばの少女が街角に立って客の声を待つ現実がある。本作ではそのことを後半で描くが、ジョディ・フォスターが演じる12歳半の少女は「イージー」を自称する娼婦で、男は「簡単に」若い女の肉の味を買える状況にあったその1970年代前半のアメリカに、日本は数十年遅れて同様のことが街中で行なわれている。
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 となれば、本作が描く他の面もそうであっても当然で、2年前の今頃、安倍首相が若者によって演説中に手製銃で殺された時、筆者は本作に思いを馳せた。それはロバート・デニーロ演じる本作の主人公の26歳の独身男トラヴィスが、好感を寄せるベッツィーから振られた腹いせからか、彼女が勤める選挙事務所が推す大統領予備選に出馬中の男パランタインを街頭演説を終えた直後に銃撃しようとする場面だ。その前にトラヴィスは闇商人から大小の銃を4丁も買い、体を鍛え、襲撃の機会に備えていたのだが、その対象が何であるかはその時点では観客にはわからない。トラヴィスがパランタインの演説現場に姿を見せるのは二度で、二度目はサングラスをかけてモヒカン刈り頭で出かけ、また懐には銃を装備している。ところが最初の演説の場でトラヴィスが話しかけた警護官に悟られ、トラヴィスは現場を逃げ去る。つまり、安倍首相が撃たれたようなことは起らなかった。そこでトラヴィスは矛先を変える。それはタクシーを運転していた時に「イージー」すなわち本名「アイリス」がポン引きの若い男「スポーツ」になだめられてタクシーに乗りそこねた場面を目撃し、彼女が男に騙されて売春婦になっている現実を知り、やがて彼女を救い出そうとして銃口をスポーツに向けることを計画する。スポーツはとても印象深い役者が演じる。他の出演作を見たいと思いながらそのままになっている。これもたまたまだが、トラヴィスはパランタインを自分のタクシーに乗せたことがある。そこでトラヴィスは親し気に話しかけるとパランタインは政治家として民衆の意見を聞こうとし、トラヴィスはニューヨークの街のゴミを一掃してほしいと言う。それはタクシーから見える路上のゴミと、ゴミのように思える売春婦やポン引きなどで、トラヴィスが意外にもまともなことがわかる。この「まとも」は立場によって変わる。本作は脚本家や監督が考える「まとも」を観客に示すためのものかと言えば、たぶんそうで、キリスト教的価値観からかと言えばそれも正しいだろうが、その「まとも」すなわち世間の常識は多国籍の人種が同居する国や街ではどこまで統一が取れるか。本作はアイリスが命を賭けたトラヴィスによって結果的には助け出され、ピッツバーグに住む両親に返される結末だが、アイリスはトラヴィスが誘い出したカフェでの説得を聞き入れない。家出の理由は明かされないが、親の愛がないと思っているのだろう。それに売春をさして悪いとは思っておらず、トラヴィスを真面目過ぎると言う。それは初めてトラヴィスが金を払ってアイリスと性行為出来る部屋に入った時、彼女の肉体が目当てではなく、彼女を諭すからだ。日本でも売春の場で女に説教を垂れる男がままいて、彼らは女から呆れられると何かで読んだことがある。「こんな仕事をしては駄目だ」と言いながら、結局「抱かねば損だ」と本能を丸出しにするからだ。
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 トラヴィスは12歳半の少女による売春を異常であると本気で思っていて彼女の体に触れない。これを異常と思う観客は悪い文明病に侵されている。日本では義務教育の教師が児童や生徒に性的悪戯をする事件がしばしば報道される。彼らが精神異常であることは疑いのない事実で、事件が発覚すれば即座に病院に閉じ込めるべきだ。キリスト教の倫理観に照らさずともそうだ。親に代わって圧倒的な指導の立場にある教師が10代の女子に性欲を剥き出しにすることは人間的汚物で、本作であればトラヴィスに銃殺されて当然だ。それほどに70年代半ばのアメリカでは少女の売春はおそらく頻繁にあって、それに対してどうにかしなければならないと思う人々は多かったのだろう。少女売春は大人の男の責任で、少女の性意識を躾けるのは男次第という面がうかがえる。実際は母親がその役割を担うが、「毒親」はいるだろうし、アイリスの親は本作の最後で新聞記事中の写真でわずかに紹介されるようにかなり年配だ。つまり古い価値観でアイリスを縛ったことが想像される。しかし性の倫理観は古いも新しいもない。その常識をトラヴィスはアイリスに訴える。彼女はトラヴィスを信頼するようになる。おそらくそのような心境の変化は訪れたが、スポーツは優しい言葉を嫌がるアイリスにかけて抱擁し、束縛を緩めない。そしてスポーツこそ自分の唯一の理解者と思い直し、脱出しようとは思わないのだろう。そこでトラヴィスは自分の死を厭わずに銃撃を決行する。またその前にアイリス宛てに1000ドル札4枚を同封した手紙を送るが、使い道のない大金を彼女にわたすことで脱出資金にしてほしいと考えたからだ。そこまでしてたまたま見知った少女をまともな生活の場に戻そうとする若い男がいるかどうかだが、映画であるので常識外れのことが生じてもいいし、トラヴィスはそのような現実にはあり得ないことを実行するだけの一種の不気味さを優しさが同居した人物として描かれる。その意味で彼もニューヨークのゴミのひとつかもしれないが、人を真に救うというように描かれる点で、トラヴィスは正義のヒーローとなり、実際激しい銃撃戦で生き延びた彼は新聞記事になって時の英雄となる。それは本作の後味のよさを狙ったからで、トラヴィスは死んでいたほうがよかった。トラヴィスは銃撃を決行して生死をさまよう負傷をした後、傷が癒えてまたタクシーを運転する。そしてある夜、ベッツィーを乗せて走り、トラヴィスは彼女から運賃を受け取らずに去る。ふたりにはその後何事も起こらないだろうし、トラヴィスの生活がどう変わるかと言えば、一時的に街のゴミを消したヒーローとして持ち上げられても、社会の「敗者」としての職業はそのままだ。パランタインは大統領になるだろうし、ベッツィーはその陣営で立場の合う男と一緒になるだろう。
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 トラヴィスはイタリア系で、カトリックで育ったはずだ。両親思いで、結婚記念日に手紙を添えた記念カードを贈る。タクシーの運転手になったのは夜に眠れないからだ。それでバスや電車で終日徘徊しているが、いっそ深夜にタクシーをしたほうがいいと考え、ニューヨークのとあるタクシー会社に面接に行き、仕事を得る。同僚たちには黒人もいて、みなトラヴィスより年配だ。トラヴィスは治安の悪い黒人街を運転することを厭わず、さまざまな客を乗せて大都会の暗部を目の当たりにする。座席の血を拭くこともあり、また黒人と浮気している妻を大型のマグナム銃で殺すという客を乗せてからは銃に興味を抱く。そこからは日本ではあり得ない展開になり、ギャングとの抗争映画の趣へと進むが、トラヴィスのような学もない無名の若者が憤懣を抱えてそれが頂点に達した時、トラヴィスが先輩の同僚に相談して言われるように、「女でも抱けば治る」のかどうかだ。若い男であっても人さまざまで、トラヴィスは一度はデートに漕ぎつけたベッツィー以外の女性を求めない。トラヴィスが両親に手紙で書いたように、ベッツィーは飛び切りの美人で、彼女に代わる女との出会いはなく、また彼は求めていない。トラヴィスはベッツィーをポルノ映画に誘ったことで嫌われ、それ切りになるが、初デートでポルノ映画に誘うほどに洗練された思考を持っていない。しかし一方で、多忙な選挙事務所でベッツィーのそばを離れないスーツ姿の平凡な男をベッツィーが愛していることはあり得ないことを悟るほどの男の本能としての常識は持ち合わせている。ところで、筆者はどのような女性の内心も見透かせるとは思っておらず、それどころか、「なぜ彼女があの男と一緒にいるのか」と不思議に思うことはよくある。そのたびに「あの男は彼女には優しい言葉をかけるのだろう」と思い直すが、次の瞬間、「男は誰でも狙った女に優しいのはあたりまえで、彼女はそれを知らないだけ」とまた思い直す。結局男も女も適当に近くにいる、そしてその中で最もよい、あるいはましと思って妥協する異性と交わることが動物的な正しさだ。それほどにたいていの男女は世間が狭く、そうしてでも異性と結ばれない限り、生涯独身のままとなる。「運命の人」は思い方に過ぎない。もっと相性のよい異性はどこかにいるが、時間の推移の現実の前では適当な人を選んで「運命の人」と思うしかない。それに誰が見ても美女、美男子ということはあまり当てにならず、好きになれば平凡な顔や体の人物を美女、美男子と思い込む。そう思い至れば、「なぜ彼女があの男と一緒にいるのか」とは疑わなくなり、「あの男とお似合いの平凡な女」との認識に変わる。トラヴィスは何度花を贈っても送り返されるベッツィーのことをやがてすっかり諦める。そして返送されたドライ・フラワーになった大量の花を燃やし、衣服の下に銃を隠して武装する訓練を続ける。
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 本作を改めて見て意外であったことは、ベッツィーの存在が記憶から欠落していたことだ。ベッツィー役として誰が見ても美しいと思う女性を選んだが、本作が描くようにやがてトラヴィスはベッツィーを忘れて執着しないほどの存在だ。つまり美人ではあるが、トラヴィスにとって「運命の人」というほどの存在ではない。あるいはトラヴィスは現実をよく自覚し、あまりの高嶺の花であるベッツィーは自分にふさわしくないと諦めたのだろう。おそらくそのどちらでもあるはずで、そのところを本作はよく描いている。ベッツィーは名もなく、金もなく、露骨にポルノ映画に誘うトラヴィスを見下したのだが、それはそれで当然だ。大統領を目指す政治家のすぐ近くにいて、周りはみな国を動かそうかという人物たちだ。しかしトラヴィスはそのことにひるまない。むしろ政治家を嫌悪している。彼らは狡猾に世渡りをしているだけで、人の上に立って優越感に浸り、なおかつ身を汚さずに大金を得ている。先に書いたが、トラヴィスは先輩の同僚から自分たちタクシー・ドライバーは社会の敗者だと言われる。運転手からどういうより実入りのいい職業に就けるか。アメリカでも日本でもそれは難しいだろう。トラヴィスは12時間かそれ以上働いて同僚から揶揄されるほど金を貯めるが、使い道がないからでもある。そして人並みの若い男性としてベッツィーを見かけ、堂々と思いを伝えてベッツィーの気を惹く。ベッツィーはクリス・クリストファーソンの71年のアルバムの中のある曲の歌詞を話題にし、トラヴィスがキリストのようで麻薬の売人のようでもあると言う。筆者はクリスの名前は当時から知っていたが、曲はまともに聴いたことがなく、ベッツィーが指摘する曲の知識はない。クリス・クリストファーソンという名前はキリストに似たところがあって、使用される歌詞も予言的なものかと今回思ったが、ベッツィーがクリスのファンとの設定は、トラヴィスがクリスの音楽を知らないことに照らすとアメリカ人にはわかる何かが込められているのかもしれない。70年代初頭、日本でのクリスの人気はさほど沸かなかったと思うが、それを言えばカントリーのジャンルで大きな人気を博したミュージシャン全員が日本では大きな評判を獲得しなかった。ロックの陰に隠れたからだが、もちろん熱心なファンはいたろう。そういう人が本作とクリスの歌詞との絡みの意味を読み取るかもしれない。本作の音楽はバーナード・ハーマン作曲のサックスを主体とした艶めかしいジャズの主題曲が最も印象的で、それ以外については後述するとして、本作が知性と美貌を持つ大人のベッツィーと世間の悪を知らないままに性を売る未成年のアイリスを対照的に取り上げることは面白い。後者がやがて前者になり得る機会があるかとなれば、ないとは言えない。そう信じるのでトラヴィスはアイリスを説得して親元から学校に通えと意見する。
 凄惨な殺人現場を目の当たりにしたアイリスは普通の女子として生活して行くだろう。その期待が描かれる点で後味のよさは保たれている。しかしトラヴィスは相変わらず汚物まみれの大都会の夜を走り、客を拾って乗せる生活を続ける。その現実の中でトラヴィスの精神は安定するか。優しい顔にはなったが、これは敗者であることを認めて出過ぎた真似をするなという社会の圧力を教訓的に描いているとも言える。10代の女性の家出問題はアメリカでは60年代からヒット曲になるほどに広まっていた。その頃にヒッピーが登場し、アイリスもスポーツから逃げ出してヒッピーが生活する村に行こうかとトラヴィスに語るが、トラヴィスはヒッピー嫌いで、街中がよいと言う。この場面には脚本家と監督の思いが反映しているだろう。日本でも地方の若者は東京に移住し、トラヴィスのような不満を抱えた人物は大勢いるだろう。銃撃戦で死ななかったが、奇蹟的に快復したトラヴィスは人生を見つめ直し、タクシー・ドライバーとして満足して生きて行くかどうかはわからない。それを言えば誰もで、人間関係が希薄になりがちな都会では特にそうだ。トラヴィスの同僚たちは人生を達観していて、トラヴィスのような狂気は持ち合わせていない。平凡なそうした社会人が理想であると、トラヴィスも角が取れたように覚醒したと言ってよい。そう考えると、退屈な、誰でも出来る仕事に従事しても、一番大事なことはささやかでも日常会話の出来る知り合いが数人は持っているべきことだ。トラヴィスが大統領候補を銃撃したとすれば、刑務所に入って精神はさらに病んだから、もうひとつの憎悪の対象である売春宿経営の人物らに銃口を向けたことは幸運を招くきっかけになった。しかし先に銃を撃ったのはトラヴィスで、その問答無用のやり口のあまりの暴力は、安価な商品を売る店に銃で脅して押し入る強盗と同じだ。トラヴィスは馴染みのそうした店で黒人の若者が店主を脅して金を奪おうとする場面に遭遇し、背後から銃をぶっ放す。そこには銃を持てばそれを使う危ない場面に遭遇することが暗示されている。銃やナイフにはそれを人間に使わせる魔力があるだろう。たとえばの話、物騒な世間になって来たので護身用にナイフを買って自宅に置けば、やがて強盗が押し入ることはあり得る気がする。逆に言えば、銃やナイフをわざわざ入手しなければ厄難に遭う確率が減るということだが、銃の保持を合法化しているアメリカでは手元に置く銃の魔力に操られて精神に異常を来す人が絶えないのではないか。鶏と卵の話になるが、銃を減らせばそれを使う気になる人は減ると思う。しかし日本では刃物による殺傷事件が増加し、脅す暴力から直情的に刺すことに抵抗がなくなっている感がある。それがトラヴィスのように歪みがかなりあるにせよ、正義感からではまだ一般人に心配はないが、無差別に襲う例がままある。
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 日本がアメリカを模倣した小国であっても、決定的に違うのは銃と麻薬が入手しにくいことだ。しかし後者に関しては合法的ではあるが効果が強力な薬物は手軽に入手出来るようになり、前者は工作の知識があれば自分で製造出来ることとなった。安倍首相が殺した若者はそのようにして製造した。トラヴィスはヴェトナム戦争に海兵隊員として参加した。戦地での過酷な経験が復員してからも精神にさまざまな深刻な影響を及ぼすことはようやく日本でも太平洋戦争の事例を持ち出して放送されるようになったが、戦後の日米の若者の意識の最大の違いはヴェトナム戦争参加の有無だろう。アメリカがそのことに深刻な影を落としていることの一例が本作に描かれる。では、日本において本作は意味を持たないのかとなれば、今頃になって心に重くのしかかって来るものがある。それは氷河期世代と呼ばれる、まともな仕事にあまり恵まれなかった若者の鬱屈した、言い変えれば世を恨む気持ちの捌け口がどこにあるのかという疑問だ。働き口は何でもあるという年配者の言葉は正しいだろうが、そうとも言い切れない。3Kと呼ばれる仕事を嫌がるあまり、日本の若者は低賃金でしかも手を汚す肉体労働に類する仕事をしたがらなくなった。それで外国から安価な労働者を招くが、そこに搾取の構造があることを氷河期世代はよく知っている。しかし彼らとて搾取されて低賃金で生きて行くほかはない。特別の才能があれば話は別だが、少しでも若い間に裸を高く売って金を稼ごうと思う女性がいても不思議ではなく、またそういう女性を手玉に取る男もいることは容易に想像出来る。地方から出て来た10代の女性、20代の男性が、何を資本に大都会で生きて行くことが出来るのか。自慢出来る学歴のある者はごくわずかだ。大多数は他人がすぐに代わり得る仕事に従事し、「こつこつ働いて収入を得る」しかない。本作はその労働が詐欺や泥棒である人物も描くが、となればいかに「収入を得る」かのみが重要で、「労働」の言葉から連想する「汗を流す」、「知恵を絞る」といったことは忌避すべきことと捉えられる。その傾向は本作から半世紀ほど経った現在、言い変えればネット社会になって、詐欺に対して「知恵を絞る」、あるいはいかにして一瞬でも不特定多数の注目を浴び、アクセス数による収入を目指すかという、心を許せる同僚がない状態下で行なわれ、そこには金さえあれば孤独ではないと信じる精神の幼稚さがある。繰り返すと本作は銃撃戦後のトラヴィスは青年からまともな大人に脱皮した。それは一時的でも新聞で有名になったからではないだろう。無名から有名になったのでトラヴィスの精神が安定したのが事実とすれば、それは危ういことだ。無名のままで心が安定していることこそ最大の強者ではないか。トラヴィスはそのように心を快復させたと思いたい。しかしそうであればいかに普通の人生を獲得は困難であるか。
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 本作で最もよく覚えていた場面のひとつに、トラヴィスがベッツィーとデートし、トラヴィスがレコード店で買ったクリス・クリストファーソンのLPを彼女に手わたし、ふたりで夜のまだ人通りの多い街を歩く場面だ。そこで突如中年のもみあげの長い男がスネア・ドラムを有名ドラマーを真似て汗まみれで叩く。そうした路上ミュージシャンは本作当時はまだ日本では珍しかったろう。そのドラマーは監督が撮影中にたまたま見かけたので当人の許可を得て撮影したものと思うが、そうであれば監督はニューヨークらしさを随所に表現したく、たとえば黒人の子が悪ふざけをして消火栓から水をシャワーのように発射する場面もそうであろう。マーティン・スコセッシ監督はこの路上ドラマーに出演料を払ったであろうか。たぶんそうしたと思うが、わずかな金だろう。当のドラマーにしてもチョイ役でも映画で出れば有名になるかもしれないとの思惑を抱いたかもしれない。彼はジャズ全盛期に有名ジャズ・ドラマーに憧れ、その奏法を模倣したが、70年代に入ってジャズ時代ではなくなり、仕事場を失ったのだろう。監督はそう読み取ってわずかな場面ではあるが、彼を大写しにし、また信号待ちをしている数人が彼を注目しているそばをトラヴィスとベッツィーが通り過ぎる場面を捉えた。筆者がそのドラマーをよく覚えていたのは、物語の本筋には全く関係がないからだ。その場面がなくても観客はストーリーを追うことに差し支えないがない。にもかかわらず路上ドラマーを登場させたのは、トラヴィスと同じように「敗者」ではあるが、トラヴィスとは全く違う意味合いにおいて自己表現しているからだ。有名になる夢はおそらくかなえられないが、自分に出来ること、またやっていて最も楽しいことは人前でドラムを叩くことだ。彼は収入のために他に仕事をしているだろう。それは食べて行くためには仕方がない。スコセッシ監督は同じ人種としてそのドラマーの境遇に愛着を覚えたのではないか。俳優もそのドラマーとさして変わらない。売れるか売れないかは時の運もある。スコセッシは社会のアウトローとして、またそうならざるを得なかったトラヴィス、あるいは路上ドラマーに同情した。政治家にその必要はない。美貌に恵まれたベッツィーもだ。彼女なら男は選び放題だ。しかしトラヴィスのようないきなり本音でぶつかって来る男に出会うだろうか。たぶんそれはないが、彼女はそうであってもおそらく何とも思わない。男も女も実にさまざまだが、誰もが似合った相手と一緒になる。トラヴィスにはどういう女性がいいのか。タクシー・ドライバーをしていて出会いはまた訪れるのか。思い立てば強引に計画を進める彼であれば、また出会いはある。本作は用意周到な計画と、そして実行の覚悟と勇気の重要さを示している。男が生き延びて行くにはそれが最も必要とされる。

by uuuzen | 2024-03-21 23:59 | ●その他の映画など
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