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●『脂肪の塊』
婚は 黒鍵のみの 音楽と 知りて滑稽 それもけっこう」、「一生は 懸命のみで あらぬもの ひとつのものに こだわればよし」、「同棲の 相手を変えて 結婚し やがて不倫と 人生楽し」、「顔いじり 心いじけて 意地悪の 婆あになりて 孫をいじめて」●『脂肪の塊』_d0053294_22543376.jpg 半分惰性気分だが、先日読んだモーパッサンの残りの代表作についても書いておく。『女の一生』と『脂肪の塊』は今でも十代でその題名を知るだろう。脂肪の塊とは強烈な題名だが、モーパッサンはぷりぷりに太った女性が好きであった。そういう女性に抱かれて死ぬことを望んだのに、精神病院で死んだ。生まれたのは1850年、ノルマンディーの港ディエップに近い貴族の館とされるが、それはモーパッサンの母親の虚栄による嘘で、漁港フェカンの普通の民家であったとする研究がある。そのことは『新潮世界文学22』のモーパッサンの巻の解説に書かれる。師と仰ぐルイ・ブイエに出会ったのは一時ルーアンに住んだ18歳で、ブイエは母の兄の親友であった。そこにフローベールを足した3人は文学仲間で、モーパッサンの母とフローベールは幼馴染であった。出世作の『脂肪の塊』を発表する機会に恵まれたのはフローベールの客間でゾラと知り合ったからだ。筆者はゾラの『居酒屋』や『ナナ』、そしてフローベールの『ボヴァリー夫人』を10代半ばから後半で読んだが、ゾラやフローベールより若いモーパッサンの小説はさほど重視していなかった。それで今頃になって読み、その小説もだが、彼が精神を病んで死んだことに関心を抱いている。モーパッサンの弟は母親を悩まし、狂死した。父は妻と別居して小間使いに手を出し、人妻とも関係を持った。その父親像は『女の一生』に登場する主人公ジャーヌと結婚するラマール子爵に影を落としていると思う。24歳でゾラに出会うまでにブイエやフローベールの教えを受けていたことは幸福であった。複雑な育ちをする子どもは珍しくない。そういう子が罪を犯す人間にならないならば、芸術を目指すことが多いだろう。ただし大物になるには師と出会うことで、独学で名を上げることはなかなかない。『脂肪の塊』の校正刷を読んだフローベールは大絶賛し、同著が出版された1880年4月の翌月に死ぬが、モーパッサンは文壇に登場した頃に神経系統の病気の自覚症状が現われ始めた。作家としての生涯は精神を正常に保つぎりぎりのところにあったと見てよい。作家であるから書かねば収入を得られないが、『ピエールとジャン』の前書き「小説について」では通俗的な作家を軽蔑しているように、満足の行く、磨き上げた文章を書くことを自らに強い、その孤高の行為の連続で次第に精神を崩壊させて行った。そのひとつの理由として、以前の作とは違うことを書こうとする場合、絶えず自作を省察する必要があるからではないか。
 それでも同じ人物が書き続ければある程度は似た作品となる。モーパッサンは自分の精神に異変を感じてそのこと自体を掘り下げて小説の主題にしようとし、いよいよ自己分裂して行ったのではないか。とはいえ、アクセル・ムンテが指摘する狂気の小説『オルラ』を筆者はまだ読んでおらず、精神病院に入る直前の小説を読まねばわからないが、読者の立場になって面白い、読み応えがあると思える作品が書けなくなった時に精神病院入りとなったのだろう。筆者は10代から精神病患者と絵画の関連について関心を抱き、そういう本を読んだ。よく覚えているのは猫好きのアメリカの画家の絵だ。彼の精神異常の進行は描く猫の絵の変化で誰でも納得の行くものであった。見方によっては精神を病むほどに描いた猫は強烈で、それが彼の最高傑作に思えた。そこからゴッホの絵画へと思考は移るのだが、優れた作品は精神の一種の異常性の下で生まれる場合は確かにあるだろう。先の猫を描く画家の発狂状態で描かれた絵は、色合いは原色が統一感なく使われ、猫の形は多くの棘のようなギザギザ模様で出来ていて、特に正面向きの猫の両目は大きく印象的であった。尖った記号のような形は単純な記号であるから、誰でも模倣出来るその簡単な文様で猫を描けば、狂人による絵に見える。つまり漫画的なのだ。そう考えると精神が崩壊した画家の絵は案外単純でつまらないことになる。精神を病めば、描く形と色合いに共通性が表われて似た絵になるからだ。精神を正常に保ちつつ誰にも似ない作品を生もうとすることは綱渡りの行為と言ってよい。それはモーパッサンが書くように、気違い沙汰であり、よほどの馬鹿がすることだ。それはさておき、表現者は高齢になると似た作品ばかりとなり、しかも若い頃の神がかった名品を生めなくなるのはほぼ常識だ。その点から言えばモーパッサンは作風がマンネリ化する以前に死に、老醜を曝さずに済んだ。モーパッサンは大家の名前はひとつの代表作で記憶されると書いた。モーパッサンのそれは『女の一生』となるだろうが、読者は売春婦を主人公にした『脂肪の塊』や『テリエ館』を好む場合もある。これら三作は女性を主人公にしながら、『女の一生』は貴族の女性の結婚から没落までを描く。ゾラやフローベールからの感化か、不幸に陥って行く女性を主人公にする小説は、その女性が生まれながらに金持ちである場合、たいていのそうでない読者は喜ぶだろう。『女の一生』は単行本が出版された翌年までに25版を重ねたというからいかに爆発的な人気を博したかがわかるが、そこには貴族に代わって新興成金が増えて来ていたことの理由が大きいだろう。ブルジョアジーはもっと昔からいたし、小説で有名になったモーパッサンもその部類に入るのに、金儲けにしか興味のないような人々を嫌った。そうした人々とは芸術を理解しない人種と言い変えてもよい。
●『脂肪の塊』_d0053294_22550732.jpg
 その態度を選良意識が高いと揶揄する人は多いだろうが、『脂肪の塊』や『テリエ館』は、社会の底辺にいる人物の精神の健気さを描き、彼らがブルジョワジーに搾取される現実を暴く。そこには知能は普通の人より劣るが、その分普通の人より打算がない純心さを持っているとする、社会的弱者を温かく見つめる態度がある。しかしモーパッサンが交渉した女性たちがそういう部類の女性であったとは限らず、女性は育ちや身分に関係なく、男の誘いには弱いことが本性であると思っていた節がある。生涯結婚しなかったのは、女性を心底信じることが出来なかったためだろう。さまざまな世代や職種の男女人物それぞれに成りきってその考えと行動を小説に描くには、どこまでも純粋でしかも天真爛漫な人物は存在せず、必ず性や金のことで打算が働くと考えたのではないか。しかしその一方でモーパッサンは通俗的な小説家を相手にしていなかったので、売名と金儲けだけが目的ではないという一途さ、純粋さは持っていた。その伝からすれば、ひとりの男にどこまでも忠実な女性はいることを信じていたと考えてよい。そのひとりがアクセル・ムンテの『サン・ミケーレ物語』に書かれるイヴォンヌというダンサーであったのは間違いないとして、彼女がモーパッサンに棄てられ、尼僧に見守られながら施療院で死んだ二か月後にムンテは精神病院にいるモーパッサンを目撃する。ムンテによるその描写はモーパッサンの短編のように鮮やかで、モーパッサンは一時でも愛したダンサーを見殺しにした結果、精神を病んで死んだように見え、情け容赦ないレアリスム的人生の中に一抹のロマンがあったように感じられる。もちろんそれはムンテの文章の構成のためで、モーパッサンが精神病院で死んだことはイヴォンヌを見殺しにしたこととは無関係であったとも言える。ムンテの目にはモーパッサンは天才であったかもしれないが、ある女性に飽きればすぐに次の女へと、玩具を取り替えるような無慈悲な振る舞いをする、いわば二流の男であった。それでも一時は愛した女を見捨てたことへの罪悪感からついに精神がおかしくなって死んだという読み説きをすれば、イヴォンヌにもモーパッサンにも、また彼を患者として診ていたムンテにとっても悲劇的結末ではあるが、愛は存在していたと思うことが出来る。そのムンテの文章はイヴォンヌに対するはなむけにもなった。一方、モーパッサンの短編『ピエロ』は、飼い犬を炭鉱の深い穴に捨て、一旦は罪悪感から穴の底から引き上げてもらおうとするが、その費用をもったいないと思い直して遺棄したままにする女性を描き、イヴォンヌと出会う以前の作かどうかわからないが、飼い犬と女性をモーパッサンが同一視していたかと思わせる内容だ。もちろんそういう女性もいたはずだが、ムンテの本に描かれるイヴォンヌはモーパッサンにとっては特別であったのではないか。
●『脂肪の塊』_d0053294_22553066.jpg
 『脂肪の塊』は普仏戦争を背景にする。この小説は筆者の世代では義務教育で内容はともかく、題名は教えられた。10代半ばで読んでもモーパッサンが意図したことは充分理解出来るはずだが、娼婦が主人公では教育上好ましくないと今は学校では推薦図書にはなっていないのではないか。また普仏戦争や舞台となるセーヌ川下流の街であるルーアンやル・アーヴルの位置について知らないのであれば理解は浅いものとなる。普仏戦争はムンテも関係して赤十字社の立場から本を一冊書いた。未邦訳で、いつか筆者は訳したいと考えて去年フランスから原書を購入した。ヨーロッパで赤十字社の存在を知って日本に導入したのは佐賀藩の佐野常民で、彼は京都の平安神宮と時代祭りを興した人物でもある。筆者は数年前から平安講社に属しているので、ムンテとの縁を思っている。ついで書いておくと、開高健はムンテの『サン・ミケーレ物語』を絶賛し、日本語訳本に言葉を選び抜いた推薦文を寄せているが、開高の先輩と言ってよい富士正晴は開高が推薦文を書いた本とは違う初版『ドクトルの手記』を読んでいて、やはり内容を称えている。『サン・ミケーレ物語』の真の初版である『ドクトルの手記』ついては以前書いたのでここでは触れないが、開高はモーパッサンの小説、特に『脂肪の塊』を読んで、まだ誰も小説で開拓していない分野として「食」に特化した文章を綴るようになったのではないかと想像する。もうひとつ重要なことは普仏戦争だ。『新潮世界文学22』のモーパッサンの巻の年譜から引用すると、1870年(明治3年)20歳の項目にこうある。「七月、普仏戦争始まる。モーパッサンはパリに出て法律の勉強を始めようとしていたが、応召。最初、遊動隊の一員となり、のちルーアンの経理部隊で二等兵として勤務。十二月、プロシャ軍がルーアンに侵入。彼の所属する部隊も敗走する。九月、パリ包囲が始まる。…」翌年の項目は、「一月、フランスがプロシャに降伏。パリでコミューンの乱。十一月、モーパッサンは兵役解除となり、一時エトルタに帰る。…」とあって、この小説の冒頭の描写からもわかるようにモーパッサンは激しい銃撃戦には遭遇しなかったとしても、頻繁に死体を見たはずで、フランス国民にとってどちらの国の兵士も迷惑な存在であったことを肌で感じていたことがわかる。その厭戦気分はこの小説の最後にフランスの国家の歌詞が馬車の乗客から歌われることに増幅されている。それはモーパッサンが愛国者ではなかったことを意味するのではない。小説家としてあくまでも自由を標榜、享受する考えにあったが、戦争そのものの残酷さや、その背後で利益を貪ろうとするブルジョアたち、蹂躙される弱者を目の当たりにし、人間の本性を実感した。となると『脂肪の塊』は戦争文学としてよいし、またそのように見るべきだ。
 モーパッサンが精神を病んで行くのは従軍体験が大きな原因ではなかったか。従軍して北支を歩き回った富士正晴は戦争文学から出発するが、開高健には兵士の体験はない。そのことを小説家として決定的な欠点と自覚したのだろう。それで新聞社の特派員としてヴェトナム戦争に飛び込み、九死に一生の経験もする。死を目の当たりにして悟る何かがあると予期したことの体験として銃弾が飛び交う中、辛うじて生き延びたことはその後の開高の文学にどういう決定的な影響を及ぼしたのかどうか、筆者にはよくわからない。開高は銃撃戦のさなかに平気で洗面器で食事する兵士を見てそのことを印象深く書いている。死と隣り合わせの状態にあって呑気に食事することは平和な中で暮らす人には狂気に映るが、空腹に耐えられないのは本能で、開高はその兵士を見て「食」について掘り下げようと思ったのかもしれない。弾が飛び交う中で運よく生き延びる者もいれば、先ほどまで笑顔で言葉を交わしていた者が簡単に死ぬ場合もある。そのことを平和事には適用出来ない。モーパッサンは『ピエールとジャン』の冒頭の「小説について」でこんなことを書く。「…人生の正確な映像を与えると自称する小説家は、例外に見えるような事件の連鎖はすべて念入りにさけるべきである。彼の目的は決して物語を語ったり、おもしろがらせたり、ないしは哀れをもよおさせたりすることではなく、事件のかくされた深い意味を考え、理解するようにひとを強制することである。…」もっと後にはこういう印象深い下りもある。「…人生は、じつにさまざまな、じつに思いがけない、じつに相反した、じつにちぐはぐな事柄からできあがっている。残忍で、筋がとおらず、脈絡がなく、説明のできない、非論理的な、矛盾した「三面記事」の範疇に入れられるべき異変にみちている。だからこそ、芸術家は、自分の主題を選んだあとで、この偶然と無駄とのごったがえしている人生のなかから、自分の題目に役立つ特徴的な細部のみしか使用せず、のこりはすべて、まとはずれのものはすべて、これを投げすてるだろう。…毎日事故で死ぬ人間の数は地球上では相当のものとなる。だからといって、物語の最中に、偶然の持分をつくってやらなければいけないという口実のもとに、主要人物の頭の上に瓦を落っことしたり、彼を車の輪の下へほうりこんだりできるだろうか?…芸術は、示そうと思う特殊な真実の深い感覚をひきおこすために、用心と準備をかさね、賢明な露骨にださぬ推移を準備し、構成の巧みという一手で、主要な事件を明るみへ出し、ほかのすべてに、その重要さに応じて、おのおのに適して浮きあがりの度を与える。これが芸術というものである。」この言葉には職人芸に裏打ちされた芸術への信仰がある。日本の小説家でそのことを強く意識して実践出来たのは芥川までであった気がする。
 戦争は富士やあえてそこに飛び込んだ開高らだけではなく、戦時下の無数の人たちが体験し、特別なものとは言えない。富士は好んで従軍したのではない。生死の間をさまよう経験を求めて銃撃戦の実態を経験した開高は、極限状態を知らねば迫真的な文章は書けないという「真面目」な思いが発端にあったが、実際の経験を芸術的な小説に昇華し得たとは言えない。過度の飲酒と暴食によって内臓を傷めて死んだことは、あるいはヴェトナム戦争で死のすぐ手前まで自分を追い込んだ経験が影響したかもしれないが、そのことと歴史に長く残る名作を書くことは別の話だ。平和な時代が軟弱な芸術家しか生まないのは事実の面が大きいとして、平和でもみなが幸福とは限らない。戦時中でも幸福な人はいるし、芸術は結局自己を追い詰める中でしか生まれない。開高はそれをよく知っていたからこそ、悶々とし続け、釣りで大きな魚をものした瞬間に自己解放の救われた気分を味わったが、それはモーパッサンが大好きであった舟遊びと同じで、そのこと自体を詳細に書いたところで、同好者は喜ぶが、趣味を同じくしない人からは作家の自慰行為に見える。筆者が開高の著作をすべて処分したのはそれが理由だ。モーパッサンにしても自分のことを書く。しかしそこには「構成の巧み」という自己の客観視の裏付けがある。断っておくと、筆者のブログはすべて自分がどう思うかを最重視しているが、即興で思いつくままキーを連打しているので、「構成の巧み」に腐心する余裕がない。それで芸術とは全く縁遠いものとなっていることは自覚しているが、本職の友禅染めでは「構成の巧み」以外に自己主張出来る要素はない。絵画とはそういうものだ。そのことを周知してのこのブログで、また筆者なりの「概念継続」によって書いている。本題に戻ると、『脂肪の塊』は主人公の太った若い娼婦で、渾名で「脂肪の塊」すなわち「ブール・ド・シュイフ」と呼ばれている。この小説では彼女だけ名前がないと言ってよい。そこにはわざわざ名前をつけるには値しない社会の最下層の人物というモーパッサンの差別心があるかと言えば、その反対に娼婦には同情的であった。娼婦でなくても若い女性はパリに出ればその性をさまざまな形で売って生活せねばならず、若さが失せると貧民となって死ぬしかなかった。稀に貴族や金持ちに囲われて優雅な暮らしを送る者があったが、それは現在の日本の芸能界と同じだ。芸能人になれない場合はポルノ女優になるか、あるいは世間知らずの男を騙して大金を奪うか、とにかく女は性を売り物していかに落ちぶれないかを本能的に考えて行動する。元から性的魅力がないと自覚する場合は、そのまま世間の陰に隠れて自己消耗して行き、そうなったところで誰も気にしない。それゆえ小説の材料にならない。なっても悲惨な面をことさら強調するだけで、目立たない平凡さは小説にはならない。
 『脂肪の塊』のブール・ド・シュイフはいい旦那に囲われているのだろう。普仏戦争下で彼女が四頭馬車で10人の客のひとりとしてルーアン近郊からル・アーヴルまで行く理由は、そういう旦那からお呼びがかかったのだろうか。物語で最も印象的な場面は、彼女が大きな籠に用意していた食べ物やワインなどを同乗者の口車に乗せられて平らげられてしまうことだ。それら食料について、また同乗者の羨望の描写は斬新かつ精緻で、モーパッサンはその食の描写を他の小説にそれ以上展開したことはないはずだ。開高はそこに着目したのだろう。しかし食べ物だけを取り出して読み物にしても面白いものにはならず、開高にはモーパッサンのように物語を重層的に構成する創造力はなかった。あるいは日本の時代背景からして、開高は戦後の飢餓を経験し、その反動で豪華な食に個人的な関心を持っただけで、日本は『脂肪の塊』のような身分社会を浮かび上がらせる小説の伝統を持たなかった。あるいは身分の格差があっても、馬車で同乗する、すなわち自然に遭遇する機会がほとんどない。『脂肪の塊』は食の描写の印象が前面に出過ぎている嫌いがあるのは、そこに太った女性のユーモラスな印象を重ね合わせて喜劇にしたかったためだが、その喜劇が悲劇に変わって行く。初期のモーパッサンは娼婦を描いてユーモアがあるのに、貴族の娘が結婚して夫や息子に裏切られる『女の一生』では悲劇一辺倒となる。どちらに救いがあるかとなれば、読者は太った女性のそのユーモアのある現実感に喝采を送る。ここで本題から少し外れる。普仏戦争関連のことで昔から筆者にはわからないことがある。それはロダンの愛人であったカミーユ・クローデルが12歳の時に作った「ビスマルク」の粘土像だ。彼女はモーパッサンより14歳若いので同作は1876年の作だ。当時モーパッサンはまだ有名ではなかった。カミーユ・クローデルがなぜプロシャないしドイツ連邦を代表する、そして普仏戦争でも活躍した軍人をおそらく写真を元に塑像を作ったのか。1988年に大阪大丸で開催された彼女の展覧会図録を見ると、他にナポレオンⅠ世や神話の人物を同じ時期に制作していて、有名な人物に関心があったことがわかる。ビスマルクに対して風刺の表現でないならば、そこには男性の活力に魅せられる思いが素直に出ているように思える。そしてビスマルクに代わって出現した父性がロダンであったが、そういう読み説きをカミーユ研究者がしているのかどうかは知らない。ビスマルクはドイツを統一した偉大な人物とされる一方、フランスでは王制から共和制に移行させた人物として、子どものカミーユにも人気があったのかもしれない。普仏戦争にしても興味を抱き始めると芋蔓式に膨大な情報を吸収する必要を感じさせ、200歳ほどまで行きなければならない気分になる。
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 ブール・ド・シュイフが同乗者たちに寄ってたかって食い物にされることとは別に、彼女の肉体も「食い物」にされる。娼婦は体を売って生活しているから、それは当然と言ってよいが、馬車に同乗した伯爵夫妻や工場主夫妻は、一泊した宿から馬車を出発させてくれないプロシャ軍の隊長がブール・ド・シュイフを気に入っていること悟り、彼女を生贄の形でその隊長と寝ることをそそのかす。彼女は喜んで隊長と寝たのではない。娼婦でも選ぶ権利はある。しかし馬車に同乗した人物の中にはふたりの尼僧もいて、彼女らは一時も早くル・アーヴルに着いて戦争で負傷したフランス兵士を看病する任務があるといった話をブール・ド・シュイフは聞き、祖国フランスのために不承不承に隊長と一夜を共にする。彼女は空腹に耐えかねて莫大な金を出してでも彼女が携えていた食料がほしいと馬車の中で悶えていた連中に分け与えた。ところが夜が明けて馬車が出発する前に食料を買い込むことを忘れ、昨日彼女から空腹を満たされた連中は彼女と同席しながら食べ物を一切分けず、しかも娼婦と同席していることを、あからさまに汚らわしさを示す態度を取る。また同乗者たちは戦時下ではあってもル・アーヴルに行けば儲け話があることを察知しての旅行で、どこまでも金に貪欲だ。それは貴族もブルジョワも同じだ。他者には利用出来る間はゴマをすり、望むものを手に入れると簡単に見下げる。同様の人種はいつの時代もいるが、モーパッサンの生きた時代は貴族が衰退して商人が絶大な資産を蓄えられるようになっていた。貧富の差が拡大し、そこにマルクス、社会主義が登場する必然があった。産業革命後のロンドンやパリが万国博覧会を数年置きに開催し始めたのがモーパッサンの時代で、佐野常民らが万博に出品するために渡欧し、モーパッサンの小説はほぼ同時代的に日本で紹介された。そして洋紙製造業が盛んになったのは新聞を真似て発刊したからでもあるが、新聞には連載小説が載り、そこから日本の小説家が登場して来た。話を戻して、正直者として娼婦を描くことの裏には、『テリエ館』からわかるように、肉体的な不具者である場合と知能の遅れがあるという、いずれにしてもハンディキャップを持った社会的弱者への同情の反映とは言える。世の中は小賢しく立ち回る者がいわゆる社会的な成功をつかむ。その一方、腕を磨き、幸運もあって世に出る実力者もいるが、大多数の人物は平凡で大物になろうという野心も自信も持たない。モーパッサンは自分の腕一本で世に認められた人物で、表向きはブルジョワと大差ない。しかし貴族を含めて彼ら裕福な者は、社交において芸術は必要と認めながら、本音は芸術家を飾りものと思っている。当の芸術家も金がなくては生活出来ず、芸術がわかるはずもない俗物の金持ち相手に仕事をしなければならないことが往々にしてある。それは産業革命以前も、また日本でも同じだ。
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 モーパッサンは金で称号を買ったのではない本物の上流貴族にはそれなりに憧れたようだ。そのことはムンテが書いたことからわかる。上流社会には芸術の庇護者としての貴族がいることを信じていたためか、あるいは社会的信用を得るには上流階級とつながりを持つ必要を感じていたかだが、そのどちらでもあろう。モーパッサンの隠れた野心は『ベラミ』の主人公ベラミに反映しているだろう。また『ピエールとジャン』の「小説について」から引くと、「情熱を持たない、柔和な、弱い男が、ひとえに学問と仕事とを愛している男が、どんな天才を持っていたとしたにしたところで、精力にあふれるばかりの、肉感的な、はげしい性質の元気者、あらゆる欲望、否あらゆる悪徳につきあげられている男の魂と肉体のなかに完全にはいりこんで、あまりに異なったこの存在の最も奥深い衝動と感覚を理解し提示するということはできない相談である。その男の生涯のすべての行為を十分に予見し語ることができたにしたところでそこまでは望めない。…」とあって、モーパッサンが冒頭の情熱を持たない男であるのか、逆にはげしい性質の元気者のどちらに近いかと考えていたことが気になるが、ベラミは後者で、モーパッサンは前者に近いことを自覚していたであろう。文章の続きにはこうある。「…われわれの自我をかくすのに使われるこのさまざまなすべての仮面の下で読者からこの自我を見破られないようにする、そこが腕の見せどころである。だが、完全なる正確さという観点のみからみれば、純粋の心理分析は異議を申したてらるべきものであるとしても、それにもかかわらず、ほかのすべての制作法におとらぬ美しい芸術作品をわれわれに与えることはできる。」ここでも自我が他者に入り込んでその行動を想像し、言葉で巧みに表現することの芸術性を説くが、元来弱い男が強靭な男の内面を想像し、ある出来事に対してどのような行動を採るかを確信出来るかとなると、モーパッサンが言うようにそれは無理な話だ。となれば彼の小説のどの登場人物もモーパッサンが想像し得るものであって、彼が天才的技術を持っていたにしても、いわゆる破天荒な人物は描けないことになる。そこで他者の内面の奧深くに入り込む努力をし続けて精神に分裂を来したと結論すればあまりに皮相的な見方と思われかねないが、人が時として予想外の行動をすることをモーパッサンがどのように見ていたかだ。その予想外は、先に引用した「主要人物の頭の上に瓦を落っことしたり」という人間社会にままある偶然に属することだが、そういうありがちなことを避けて構成するのが芸術的な小説だ。一方、先日まで笑顔で話していた人が急死することは誰でも一度くらいは経験するだろうが、そういういわば影の薄い人を主要人物として小説は書かれない。著者が登場人物の扱いに困って急死させるような小説は論外ということだ。
 『テリエ館』は1881年5月、31歳の出版だ。ノルマンディーの海辺の人口500人ほどの村フェカンで営業する曖昧屋の女性たちが主人公だ。1階は通りに面してカフェを営業するが、2階は売春用の部屋で、そこに3人の女が控えている。1階には娼婦ではない女ふたりとボーイ役の若い男がいる。マダムは以前ルーアンからまだ先の別の県で暮らしていたのが、叔父が死んで遺産を受け継ぎ、夫婦で経営し始めたところ、夫が2年後に卒中で亡くなり、今はひとりで経営している。村人の男たちは妻に内緒でテリエ館に通って3人のうちの誰かと寝るのだが、3人はどのような客にも対応出来るように選ばれていて、背格好などがさまざまだ。マダムは雇っている5人とは別の人種であると公言していて、村の誰も言い寄らない。マダムも含めて雇われる女全員の描写が的確で、これは実際に娼婦に取材した成果だ。太っ腹で面倒見のいいマダムはたまには5人を引き連れてピクニックに行く。テリエ館はある日、休業の貼り紙を出す。それを村の男たちは性病検査のためと早合点するが、昔住んでいた村に弟がいて、その娘が12歳になったので、マダムたちは列車に乗って義娘の聖体拝受の式に出席するために出かけたのだ。馬車旅行ではないので『脂肪の塊』のように他の客との密接な関係は生まれにくいが、それでも二等列車の中での行商人の男との出会いとやり取りは実に鮮やかで映画を見ている気分になる。物が溢れる現在では5人の女の派手さは普通に見えるだろうが、5人の女は職業丸出しのド派手な身なりをしていて、行商人は気前よく靴下留めなどをプレゼントする。最も感動的な箇所は、村に着いて聖体拝受の儀式が教会で行なわれるところで、村人に混じってマダムと5人の女は聖歌が歌われる中、感極まって泣き始める。それが会衆全員に伝染し、司祭までもが感激し、生まれて初めて奇蹟を目の当たりにしたと言ってマダムらに感謝の言葉を述べる。最も卑しい職業の彼女たちが最も心が純粋であるとして会衆を感服させることは実際にあり得る。そのように読者に感じさせることはモーパッサンの巧みな文章力のせいだ。そういう天真爛漫な彼女らであるので、テリエ館は大いに繁盛し、村では何のトラブルも生じない。聖体拝受の儀式の後、マダムの弟の家で彼女らは酒を飲んで酔っ払う。その羽目を外した行為もモーパッサンの手にかかると迫真的でしかも愉快だ。テリエ館に戻った彼女らは元どおりに営業を始め、村の男たちは待ってましたとばかりに大歓迎する。パリとは違って、田舎の小さな村ではテリエ館のような商売は大目に見られ、またそれほどにノルマンディー地方は性に対して寛容であるとモーパッサンは言いたかった。この小説は日本の映画『カルメン故郷に帰る』に大きな影響を与えたと思う。ストリップと売春の違いはあるが、派手な姿で田舎の人々を驚かせる点は同じだ。

by uuuzen | 2024-06-25 23:59 | ●本当の当たり本
●「夫には おっと喋るな この... >> << ●『女の一生』

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