「
超人と 呼ばれたき人 スーパーで 働き続け 暮らしかつかつ」、「均されず 奈良ならではの 眺めあり 大仏と鹿 シカトはされぬ」、「遺言は 遺産を前に 価値なしと 分け前主張 遺族の意欲」、「美田より 現金がよし 孫の声 本音の骨は 世の中は金」

河出書房刊の『カラー版 世界文学全集』のうち第15巻はフローベールとモーパッサンの小説が収められている。近くの商店街の本屋で買ったのは1968年10月9日、17歳であった。フローベールは『ボヴァリー夫人』のみ収められ、同巻の3分の1ほどを占める。それを読み終えたのはその年か翌年だ。本の背表紙に『ボヴァリー夫人』と並んでモーパッサンは『女の一生/脂肪の塊/他』とあって、短編が収録されていなかったこともあって全く読まなかった。それでこのブログ投稿が気になって短編の『野あそび』を読むために文庫本を買い、また確か『カラー版 世界文学全集』よりわずかに遅れて発刊され始めた『新潮世界文学』の全巻を去年の夏にヤフオクで入手し、まずはトーマス・マンの『魔の山』を読み終えた。その後モーパッサンの巻を巻末の解説も含めて最近全部読み終え、ついでに隣家に積んである『カラー版…』の第15巻を引っ張り出したところ、今日取り上げる長編の『ピエールとジャン』が含まれていることを知った。翻訳者は『新潮世界…』と同じ杉捷男だ。『カラー版…』よりも読みやすい版組の『新潮世界…』で読んだのはよかったとして、17歳で購入した『カラー版…』に『ピエールとジャン』が含まれていることを知らず、55年経って買った『新潮世界…』でその小説を読み終えたことに、「人生光陰の矢のごとし」を実感すると同時に長年の借りを返した気分でいる。70代はおまけの人生で、今さらじたばたしても仕方がない。それで新たな関心を相変わらず広げる傍ら、長年気になっていることを少しでも減らそうと自分を多忙な境地に追い込んでいる。『ピエールとジャン』は『新潮世界…』を買ったことで初めて意識した小説だが、これを『カラー版…』を入手した17歳の時に読んでいればその後の筆者の人生がどう変わったかを考えると、全く変化はなかったと断言出来る。それは筆者にとって意味がないからではない。全くその反対だ。筆者の10代から今に至るまでの変わらぬ考えがモーパッサンによって書かれていることに大いに納得し、満足しているからだ。モーパッサンがこの小説を刊行したのは38歳だ。43歳で精神病院で没するまで5年しかなかった。そのことはさておき、この小説が意外であるのは冒頭に「小説について」と題する文章が添えられていることだ。ざっと文字数を数えると、400字の原稿用紙で39枚ほどだ。この文章はその後に続く小説とは関係のない独立したもので、3回読んだ。たぶんモーパッサンは一気に書いたろう。解説を読めば続く『ピエールとジャン』もほとんどそうであることを知る。
この小説は最初雑誌に発表され、単行本となる時に序文の形で「小説について」が書かれた。評論家への反論から始まって先立つ多くの名著を引き合いに出しながら自分の小説観を述べ、後半は敬愛するフローベールとその友人のルイ・ブイエとの交友を回顧し、フローベールから教えられた「作家は長く我慢を続けるべき」を守って来たかを伝える。ところで、開高健がこの「小説について」を読んだことは確実視してよい。開高は小説家とは小さな説を唱えるものと解釈した。それは小説の大家と称されたとしてもしょせんは個人が勝手に小さなことを呟いているに過ぎないとの謙遜の思いだろう。あるいは歴史に残る名作を書いたところで、いつの時代も大多数の人はその本を読まないどころか、存在にも気づかず、世間で評判の通俗作家の本が何十倍も売れて有名人になる。その現実は富士正晴も当然知っていたが、小説家は芸能人と同じようなものと書いたところ、生きている間に有名になって文筆で飯を食う立場を自覚していた。しかし富士は最晩年は少しは経済的余裕に恵まれたようだが、ほとんど貧困に苦しみ、出版社の情けも手伝ってどうにか本を書き続けることが出来た。それらはもっぱら客観主義の呑気な雰囲気に満ちて切迫感がない。それをどう見るかは読者の勝手で、好きな人は大いに好むが、否定したい人は富士を偽物と言うだろう。一方、富士のもとから出た開高は亡くなった時に確か30億円ほどの遺産があって、富士の何十、何百倍もの名声も得た。開高は富士と同じように酒豪ではあったが富士の自滅型に対してもっと激しい破滅型で、命を縮めることに憧れがあったように見える。前に書いたことがあるが、筆者と同じ年齢の友人が開高の大ファンで、30代前半だったと思うが、本を勧められた。それから10数年経って別の友人が開高のほぼ全著作を送って来たので読んだ。しかし二度読みたい気は起らず、また10数年後に別の友人に全部送った。開高はモーパッサンと同じように小説家は先人があらゆることを書いたのでもはや書くことがないと書き、何を書くかに悩み続けた。その結果釣りと食道楽に開眼したが、その豪放性は大衆の人気をさらい、TVによく出たこともあって富士とは比較にならないほどの名声と金を得た。思うに開高には絵画や音楽の関心はほとんどなく、富士は一時期画家を目指したこともあったという点において筆者は開高より富士を好むが、舟遊びを好んだモーパッサンは圧倒的に開高に近かった。開高の女性に対する奔放さはモーパッサンほどではなくても、富士とは全く違っていたが、有名になって出歩く機会が多くなれば女性と知り合う機会が増すのは当然で、開高は小説のネタにする意味もあって女性と交遊したのだろう。実際女性との同衾のことは書き、そこには自己解放がされ切らない退屈さや空虚感が濃厚で、醒めた眼差しがある。
小説家であるかにはそれは当然かもしれないが、開高には恋愛小説は書けなかった。話を「小説について」に戻すと、この題名は『カラー版…』では単に「小説」となっている。異なる題名にしたのは『カラー版…』と同じでは具合が悪い、あるいは「小説」では意味がわかりにくいと考え直したからであろう。開高健が「小説」を「小さな説」と捉えたのはどこまで本気であったろう。またモーパッサンの「小説について」はフランス語ではどういう題名かが気になるのでWIKIPEDIAで調べると、「Le Roman」であることを知る。これは英語では「The novel」となるが、このふたつの単語は語源が違うだろう。「小説」という言葉を発明したのは『小説真髄』の著作のある坪内逍遥で、シェイクスピアの翻訳で有名であるから英語の「novel」を「小説」と訳したはずだが、開高の思いからすれば長編小説は「長ったらしい小さな説」という意味になりそうで、これでは長編小説を得意とする作家は立つ瀬がない。となれば坪内の「小説」という訳語は感心出来ないが、どのような小説も結局は娯楽に過ぎないとの思いがあったのかもしれない。そうであれば小説に一生を捧げる作家は道楽者の烙印を押されてもそれを受け入れる覚悟がなくてはならない。それはさておき、「novel」はラテン語の「novus」が語源で、そこから英語の「new」が出て来た。フランス語で「new」は「アール・ヌーボー」の「nouveou」だが、一方で「ヌーヴェル・ヴァーグ」の「nouvelle」があって、英語の「novel」は「nouveou」や「nouvelle」に因む言葉でなければならないのに、モーパッサンは「Le Roman」と題したから、フランス語と英語とでは小説の捉え方が違うことになりそうだが、国が違えば文学は特色を変えるから、「小説」に相当する言葉はフランスと英米では違っても不思議ではない。しかし、「小説について」の最後の方にモーパッサンがフローベールを師と仰いで、「七年間、わたしは詩を書いた。コントを書き、ヌーヴェルを書いた。のみならずわれながら吐きすてたくなるような劇さて一つものした。一つものこってはいない。先生は全部読んでくれた。…」とあって、「コント」と「ヌーヴェル」は翻訳されていない。そのことが不思議で「小説について」のその「小説」がモーパッサンがどういう言葉を使ったかが気になった。モーパッサンにとって「小説」は「ロマン」であって、「コント」と「ヌーヴェル」は習作の意味合いが強かったのだろう。では「コント」と「ヌーヴェル」が何を指すかとなれば、訳者はふさわしい日本語がないのでそのまま音を片仮名にするしかなかったのだろう。「コント」が小説で、「ヌーヴェル」が中説、「ロマン」が長編小説とすればだいたい当たっている気がするが、「長編小説」は「大説」とすべきだろう。
しかし「大説」は的外れな言葉だ。それにふさわしい貫禄を持つのは聖書や仏典だけだろう。結局坪内が言い始めた「小説」が現在まで使われているが、小説に匹敵する読み物としてはたとえば上田秋成にあって、また『源氏物語』の例からもわかるように日本では「物語」と呼んで来た。坪内がなぜその言葉をシェイクスピアに適用しなかったかは『小説真髄』に書かれているかもしれない。それはひとまず無視して、モーパッサンが『ピエールとジャン』の最初に「Le Roman」を書き足したのは、自分にとっての小説とは何かを回顧しておきたかったのだろう。「ロマン」は日本で「浪漫」の漢字が当てられてこの字面からいかにも時代がかったロマンティックなものを思い浮かべるが、「浪漫」の造語は漱石が考えたとされる。だが、「ロマン」とはそもそも何かとなるとそう簡単ではない。誰でも漠然と知っている、あるいは思っているだけで、たとえば「ロマン主義」となるとその実態を正確に言い得る人はほとんどいないだろう。「ドイツ・ロマン主義」に限ってもややこしくて曖昧だ。古典主義の後に起こったことは誰でも知るが、文学、音楽、美術においてそれぞれ独自の発展があり、またその影響は現代に及んでいる。「ロマン」が「ローマ」に関係のある言葉であることはやはり誰でも気づくが、そうなればローマ時代に遡らねば「ロマン」の意味が正しくわからないことになって、ますます茫然とする。専門に学ばねば理解出来なかったラテン語に対して庶民がわかる言葉で書いたものを「ロマン」と称したとの説明を読むとなるほどとわかり、坪内が「小説」という訳語を適用したことは正しかった。知識階級の「聖」に対して大衆の「俗」を満たしたのが「ロマン」で、それを「小説」と訳すことは封建社会に理解を示す人にとっては的を射たことに思えるだろう。しかしローマ時代から「ロマン」が書き続けられて来たとして、封建社会が崩壊してからは「聖」と「俗」を身分で分けることは時代にそぐわず、聖書や聖典は相変わらず存在するとして、「ロマン」に聖と俗と言ってよいような階層が生じて来た。大衆のものでありながら、古典として何百年も読み継がれる作品を「聖」とひとまず言いたいが、「novel」が「新しい」との意味が中核にあるならば、文学は常に新しいものが生まれ、その新しさを人々が歓迎するものと言える。モーパッサンの小説は古典になっているが、「新しさ」の点からは時代遅れと言ってよい。しかし古典に新しさ、あるいは時代を経ても決して古びないものは必ず含まれる。逆に最新の小説であっても古臭いとしかいいようのない、悪い意味での「俗」な作品はある。モーパッサンは先人の名作文学を意識しながら時代の先端で前人未踏な域にある小説を書くことに格闘し続けた。これは天才以外のどのような大家も同じだ。
モーパッサンの「Le Roman(小説について)」は「小説論」と題すべきと思うが、「論」に該当するフランス語が使われていないので「小説」ないし「小説について」と訳すのが最適と思われたのだろう。WIKIPEDIAではこの『ピエールとジャン』の冒頭に書き添えられた文章を「essay」としている。これは「ロマン(小説)」ではなく、日本語では「随筆」とされている。日本語の「論」に相当する英単語は「thesis」がいいかと思って筆者はドイツで知り合ったザッパ・ファンに自著の『大ザッパ論』の題名を説明するのにその言葉を用いた。しかし『大ザッパ論』の「論」は、大なるザッパについての大雑把な論という笑いも含めた「はったり」を意識して選んだ言葉で、「thesis」はふさわしくないとの思いがある。言うなれば「随筆」ないし「随想」だ。それで「thesis」よりは「essay」であると伝えた。しかし「随筆」の言葉から筆者が思う格調の高さからはいささか外れたことを書いたので、それで「大雑把」を連想させる題名にしたのだが、「essay」は便利な言葉だ。モーパッサンの「Le Roman」はそうとしか呼べない内容で、しかも小説以上に面白いと言えばモーパッサンは嘆くだろうが、ともかくモーパッサンの本心が吐露されていて、小説の背景を読み説くよりももっと直截にモーパッサンの思想がよくわかって何度も読みたくなる。そしてモーパッサンがおそらく同類の文章をあまり書かなかったことは、「随筆家」よりも「小説家」でありたいと考えたからで、小説を随筆よりも高い位置に置く意識が見える。これは日本でもそうで、随筆は論文とは違って作者が思ったことを気の向くまま書き散らす印象が強い。全体の強固な構築性をあまり意識していない点で読者は読みやすいが、その分すぐに忘れ去られやすい。しかし随筆もさまざまで、論文に近い、あるいはそのものと言えるものがある。筆者は小説を書く気はないが、書いたとしても実際にあった自分の経験を元にすることしかなく、『ピエールとジャン』のように登場人物の創造はとうてい出来ない。それで筆者のこのブログは随筆であることを再確認し、また「批評」を時に交えながらの「日記」と称するのがいいが、ネット時代になって不特定多数に読まれる可能性のあるブログが出現したことに飛びついたものだ。その意味では「新しい」すなわち現代の「ヌーヴェル」と言ってよいものにも思える。その後、ブログが多くの読者に読まれると書き手に収入がもたらされる仕組みが出来たが、筆者は多くの読者を獲得出来る魅力があるとは思っていない。その意味では全く無欲でただどこまで続けられるか、また自分の興味がどのように広がるかを楽しみに書いているだけで、その読者の反応のない孤独さが楽しい。それを気位の高さと謗る人はあるかもしれないが、筆者の耳には届かない。
話を戻すと、「小説について」は評論家に対しての反論から始めて、文章を書くことの高度な意図を表明し、小説家だけではなく、文壇の作家を志す者に勇気を与える。ただし次のように書いている。「すでに知られた手段で公衆のご機嫌をとりむすぶことのみを念願とする男は、凡庸なまでにけろりとした顔で、無知な有閑大衆のためにお膳立てされた作品を書いてゆうゆうとしている。」この言葉に該当する作家はモーパッサン以降に発明されたラジオやTV時代になってさらに急増し、さりとてTVを見ない若者はスマホ・ゲームやSNSに時間を費やす現状を見れば、モーパッサンの短編はいざ知らず、長編である「ロマン」を読んだことのある人は千人にひとりもいないだろうし、その割合は今後もっと減少して行くに違ない。「ヌーヴェル」が「新しい」という意味から生まれた言葉であれば、小説は常に新しい作品と読者を求めている。それはモーパッサンの時代でも同様であったが、モーパッサンは俗な作家を糾弾する目的でこの「小説」論を書いたのではない。当時すなわち19世紀後半には古典文学に連なることを意識する作家と金目当ての作家は住み分けていて、双方に交友はほとんどなかったのではないか。当時のフランスの文芸評論家で現在までその文章が本になって読み継がれている者はほとんどいないと思うが、モーパッサンもあえて名を挙げずに評論家はどうあるべきかと書く。モーパッサンが自作を出版するたびに「これは小説ではない」と批評する評論家にそれが届いたかと言えば、彼らは先の「すでに知られた手段で…」という言葉にふさわしい商売をしていて、「小説」の新しさを理解しない。「新しい」作品は作家が生み出し、その意味では「新しい」批評は作品の「新しさ」を真に理解する人でなければ書けない。「小説について」から引用する。「才能とは独創あってのものである。独創とは、思考し、眺め、理解し、裁断する特有な方法のことである。ところで、自分の好きな小説をもとにつくりだした考えによって、「小説」というものを定義しようという批評家、小説作法の不変の規則若干をこしらえようという批評家は、新しい様式をもたらす芸術家気質を向こうにまわして永久に戦うのであろう。批評家という名前に完全に値する批評家は、傾向を持たぬ、好ききらいのない、偏見のない分析家以外のものであってはならぬ。絵の鑑定家のように、人から渡される芸術作品の芸術的価値のみを評価しなければならない。彼の理解力は、あらゆるものにひらかれていて、自分が人間としては好きではないが、裁判官としては理解しなければならない書物を発見してきて、その値打ちを吹聴することができるくらい完全に自分の個性を没却していなければならぬ。だが批評家の大部分は、けっきょくのところ、読者にすぎない。…」
また自分のことを書く。このブログは映画や音楽、絵画などの感想を主体にし、筆者はモーパッサンが「…読者にすぎない。…彼らはほとんどいつも見当違いにわれわれをしかりつけるか、ないしは留保ぬき、節度抜きでお世辞をいう。」と書く批評家に限りなく近いが、筆者が対象にするのはほとんどが古典となった作品で、お世辞あるいは逆に欠点と思える箇所を指摘したところで、当の作品はびくともしない。しかし趣味同然に活動しているプロとは言えない人々の作品についてたまに書く必要に迫られる、あるいは自らその立場を強いる機会があって、そういう時は励ましの意味からなるべく辛辣なことは書きたくないが、一方で自分の気持ちに正直にありたいと思うから、葛藤に囚われることがままある。話はまた変わるが、筆者は音楽雑誌の類を買ったことがほとんどない。無料であっても読みたいとは思わなかった。それはたとえばクラシック音楽の雑誌であれば絶対にジャズやロックについての批評は載らず、ロックの雑誌であればクラシック音楽に無関心かあるいは敵意を抱いている人物が評論しているからだ。ロックもクラシックも聴く筆者からすればそうした雑誌に書く批評家は結局信用出来ないとの思いがあった。なぜかと言えば視野が狭い連中と思うからで、その意味でモーパッサンの「批評家という名前に完全に値する批評家は、傾向を持たぬ、好ききらいのない、偏見のない分析家以外のものであってはならぬ。」との言葉は自分なりに意識して来て今に至っている。このブログは無収入であるから作家や作品におべんちゃらを書く必要はないが、現在活動中の作家に対して好悪の感情抜きに感想を書いているかと言えば、正直なところ、若い人たちの作品、表現行為を高齢の筆者がもはや理解出来るはずがないという意識を忘れないようにしつつ、結局はモーパッサンが続けて次のように書く言葉を基準にしていることに気づく。「読者というものは、書物のなかでひとえに自分の精神の本来の傾向を満足させることを求める…。要するに公衆はわれわれに向かってそれぞれ次のように叫ぶ一群の人々の集まりからできている。――慰めてくれ。――楽しませてくれ。――悲しがらせてくれ。――感動させてくれ。――夢想にふけらせてくれ。――笑わせてくれ。――戦慄させてくれ。――泣かせてくれ。――考えさせてくれ。」最後の「考えさせてくれ」は批評家を意識した言葉だろう。ところで開高健は映画については考えさせる作品は駄目で、「ああ面白かった」と感じるものが名作と書いた。同じことを小説についても思っていたかとなれば、小説もさまざまで断定不能と思っていたろうが、どういう小説が古典として残るかについては開高には予測出来ず、古典を意識した小説を書く気もなかったろう。それは富士正晴も同じだ。その意味でふたりとも基本は随筆家であったと思う。

開高は小説は誰でも書けるとし、魚屋やたばこ屋、酒屋など、ある職業に従事する人がその立場で書けばこれまでにない小説が生まれると考えた。片手間に小説を書くことは可能で、それが大ベストセラーになることはままある。そうなれば書き手は自分を文豪と思い込む場合もあろう。そのように小説は誰にでもいつでも門戸を大きく開いている世界と考えることは文章を綴ることの好きな人に勇気を与える。ギターを少し練習すれば誰でも自分の思いを作詞してギター片手にオリジナル曲を人前で披露することは出来る。またその人が稀な美貌に恵まれていれば、今ではSNSを通じてごく短期間に有名になることはいくらでもあり得る。富士が小説家は芸能人と似ていると書いたのはそういう思いがあってのことだろう。簡単に言えば本をたくさん売ることは人気商売だ。その人気は芸能人には必須だ。しかしモーパッサンは「凡庸なまでにけろりとした顔で、無知な有閑大衆のためにお膳立てされた作品を書いてゆうゆうとしている」作家の存在を知りながら、そういう作家を相手にしていない。モーパッサンは当時の批評家から「これは小説ではない」と書かれ、一部の人からは凡庸な作家とみなされていたのだろうが、モーパッサンがフローベールの後を継ぐ大家として作品が古典となったのは、批評家の視野の狭さをよく知り、また自分の才能に自信があったからだ。その自信の裏付けについて「小説について」の後半にふたりの師を引き合いにして明確に述べる。話を戻して、開高が小説は誰でも書けるとしたのは、小説は「小さな説」に過ぎないとの思いからだろう。誰が何を書いたところで現代の日本では輝く古典となって末長く残って行く小説はないと考えたとすれば、そこにはモーパッサンが言うように、あらゆることは書き尽くされたという、絶望感と言えば大げさだが、何をどう書けば多くの人に納得してもらえるかという大きな問題の前で手足が出ないという気持ちになったと想像する。結果的に大衆の大きな人気を得て巨万の富も転がり込んだが、それで開高が文学の巨匠であると自惚れたかと言えば、話はそう単純ではないし、開高はそこまでの俗物では全くなかった。晩年に至るほどにモーパッサンとは違うペシミズムに囚われ、それを振り払うために酒と美食に逃げたようにも見えるが、富士と違って開高は文体を強く意識した。それは小説家として当然として、その技巧が見え透く、あるいは何とはなしに鼻につくと読者に思われれば失敗だ。その意味では富士はどこまでも自然で衒いがなかったが、開高はモーパッサンと同じく、現代の言葉を使って「新しい」ことを書こうともがき、男女の「ロマン」ではなく、男のそれにますます限って行ったところ、モーパッサンの「ロマン」とは違って物足りなさがある。それは開高が男女の恋愛を綴ることはモーパッサンその他が極め尽くしたとの思いがあったためだろう。
「小説について」のほとんど最後にこうある。「新しい表現を探したり、ないしは、人の知らない古い書物の奧に、われわれがその使い方や意味を忘れてしまったようなもの、われわれにとってはいわば死んだ言葉であるようなものを、わざわざ探すよりは、句を自分の思うとおりにあやつるほうが、その一句にすべてを、表面に現わしていないことまでもいわせるほうが、言外の意味でみたし、秘密なはっきり形に現わさない意向でみたすほうが、事実、ずっとむずかしい。のみならず、フランス語は、気取屋の作家が濁らせることのできなかった、そして今後も決して濁らせることのできないであろう澄める水である。各世紀がこの清澄な流れのなかに、その流行を、そのもったいぶった古風を、その様子ぶりを投げ入れたのであるが、こうした無益の企てから、力のない努力から、なに一つ浮かびあがったものはない。この言葉の本質は、明快で、論理的で、きびきびしていることにある。あいまいにされ、堕落させられるようなものではない。」モーパッサンは言葉を徹底して吟味し、登場人物の内面の動きを強固に組み立て、そして一気に読み通せる気迫と面白さを意識したはずであるから、音楽のようなリズム感が内蔵されているはずだ。翻訳者はそのことを留意するのは当然として、モーパッサンの唯一の文章が訳者の数だけの文章に化けることの不自然さを、読者は留意しながら読む。そしてフランス語がわかる人がモーパッサンの小説を読めば日本語訳とどう趣が異なるのか筆者にはわからないことがもどかしい。多言語を操る人がフランス語を美しいと思っているかとなれば、生まれて最初に覚える国の言葉の支配によって、客観的な評価が出来るとは言えず、フランス語のリズムをドイツ語や英語のそれより美しいと主張してもそれは絶対的評価ではあり得ない。ただし前述の「フランス語が明快で論理的」ということは広く認められている。「難解で非論理的」な度合いが勝る言語があるとして、それにはそれなりの独自の価値はあろうから、結局のところ、作家が書いた言葉で読むのが最適で、翻訳では意味は解せても作家が意図したリズム感まで移すことは難行だろう。なぜこんなことを書くかと言えば、先の長い引用文は日本語独自の構文のせいもあるが、滑らかなリズムとはあまり言えず、それにモーパッサンは詩も書いたし、西洋の詩は特に日本語には移しにくいと思うからだ。筆者はAIがさらに進化すると翻訳者は仕事を失うと考えている。あたりまえのことながら作家は常に翻訳者の上位にあり、たとえば日本語で書かれた文章は世界中の言葉で短時間で翻訳される時代の到来を夢想しながら、あえて翻訳されることを急ぐ必要はないと考えている。またAIによる翻訳は永遠に完璧な精確さには届かないことも思っている。各国の言語が持っている微妙なニュアンスは風土や歴史の異なる国の言葉には移し得ないからだ。
ではそうしたニュアンスは不要と考えて書いた小説に価値があるかと問題を提起した時、マンガにおける絵と言葉の双方の極端化した記号性から、現在は「凡庸なまでにけろりとした顔で、無知な有閑大衆のためにお膳立てされた作品を書いてゆうゆうとしている」作家の全盛時代かと思わないことはない。フランスで日本のマンガが大ブームというニュースに接するたびに、フランス文学の古典を引き受けて現代のそれを目指している作家がどれほどいるのかと思う。それはたとえば『ピエールとジャン』をマンガに出来るのかとの疑問があるからだ。そういうマンガがあるとして、モーパッサンの小説の全言葉から何を絵にし、何を吹き出しの言葉に選ぶことが正しいのか、またその行為はモーパッサンに対しての冒涜ではないかと思う。一方、言葉という記号の集積体の小説が、マンガにおいては極端に単純化された記号である絵と、同じく端折られ、話し言葉に凝縮された文字との相乗性の、見方によればそのかなり曖昧な作品に変節されることを不純と思わない人々が圧倒的多数を占めれば、文学は衰退に向かうが、すでにそうなっているのかどうかはわからない。筆者は流行の小説やマンガを読むよりも10代から気になっている古典の小説や音楽を鑑賞することに関心があって、話は最初に帰ってなかなか先に進まない。また「小説について」から引くと、「…異なった諸流派が全く正反対の小説作法をもちいたに相違ないということは明らかである。」として、その後にモーパッサンと正反対な小説家とモーパッサンとの小説の違いを詳述し、モーパッサンの小説を批判する批評家が評価する小説がどういうものであるかを説く。「一つの波瀾を道具立てして、それを大詰めまで興味をつなぐように、展開してみせる代りに、彼は自分の一人あるいは多数の人物をその存在のある時期においてとらえ、それを、自然の推移によって、次の時期までみちびいてくるであろう。」この「彼」はモーパッサンのことだ。「彼の設計の巧妙さは…恒常的な小さな事実の巧みな集合のなかにあり、そこから作品の決定的な意義が自然に出てくる。もし彼がある生涯の十年を三百ページに盛り、それをとりまくすべての存在のなかにあって、その特別な全く特徴的な意義がいかなるものであったかをしめそうというのなら、無数の日常のこまごまとした事件のなかから、すべて無用なものを排除し、特別なやり方で、あまり慧眼でない観察者から見のがされるような、しかもその書物に対して、その意義を、その全体としての価値を与えるようなものをすべて、明るみに出さなければならない。そのような小説の構成法が、…筋という名前を持つたった一本の太いひもの代りに近代のある種の芸術家によってもちいられる、非常にこまかい、非常に秘密な、ほとんど目に見えないすべての糸を批評家が発見し得ないこともわかる。」
モーパッサンは写実派の芸術家を自認し、次にこう書く。「真実を描くということは、だから、事物の通常な論理にしたがって、真実の完全な幻覚を与えることであって、事物の継起の雑沓のなかに奴隷的にこれを敷きうつすことではない。…才能のある写実主義者はむしろイリュジヨニストとよばれるべきである。」この「イリュジオニスト」は訳語が難しいので片仮名表記にしたものだが、「幻覚」に「イリユジヨン」のルビが振ってあって、「幻覚主義者」とでも訳すしかない。単に「幻視者」としてもいいだろうが、そうなれば聖人か病人、すなわち極端な才能を持った人物となる。「幻覚主義者」であれば幻視を冷静に見定める作家となって、モーパッサンはその意味で使った。先の文章の続きにこうある。「…われわれはめいめい、世界についての幻影を自分でつくっているだけのことである。おのおのの性質にしたがって、詩的な、感傷的な、陽気な、憂鬱な、汚ない、あるいは凄惨な幻影を。作家は自分のまなんだ、そして自分の自由に駆使しうる芸術上の手法のすべてを使ってこの幻影を忠実に再生すること以外の使命を持ってはいない。…偉大な芸術家とは人類に自分の幻影をおしつける芸術家のことである。」この後、二つの対立させられて来た理論を挙げる。「心理解剖小説」と「客観小説」のそれだ。モーパッサンは後者を「なんというあほらしい言葉だろう!」としつつ、自分がその理論に立って小説を書いていることを説明する。「…純粋の心理探求にふける者は、すべての作中人物を配置するさまざまな場合において自分をその人物に置き換えることしかできないのである。…われわれの視覚像、五感の助けによって得られた世界に関するわれわれの知識、われわれの人生観、そういうものをわれわれはすべての作中人物のなかへ一部分持ちこむことだけしかできないのである。作中人物の未知の内生活を暴露すると称してはいるが、事実はこれである。だからそれはいつもわれわれ自身だったわけである。…われわれの自我の年齢と、性と、社会的地位と、人生におけるすべての状況とを変化させることによってわれわれの人物をさまざまに変えているものにすぎない。われわれの自我をかくすのに使われるこのさまざまなすべての仮面の下で読者からこの自我を見破られないようにする、そこが腕の見せどころである。」モーパッサンは「純粋の心理探求にふける者」を自覚し、またそこに作家としての独創性の矜持を示しているが、これはフローベールから教わった態度だ。しかしフローベールが「ボヴァリー夫人は私だ」と言ったことをモーパッサンに適用すれば、彼はベラミであり、ピエールであり、ジャンであることになって、小説が真実味を増すほどにモーパッサンは多くの人格に分裂する状態に身を置くことになる。それはやがて精神の分裂を招いて不思議でない。
開高健が小説ではあらゆることが書き尽くされたと思ったのと同じことをモーパッサンも思いはしたが、もちろんそのことでどちらも筆を折らずに独自の方法を編み出した。「小説について」に笑いを誘う箇所がある。その直後以降から最後まではモーパッサンが小説家として生涯胸に抱いた決意だ。それを読まずとも自ら気づいた者の中から、運がよければ、歴史に名を留める才能が生まれて来る。しかしモーパッサンのその文章を読むことも覚醒の機会であって、モーパッサンは若き才能に伝えておきたかった。また引用する。「こんにちのような時代に物を書くなどとは、じっさいのところ、気ちがいざたであり、大胆不敵な話であり、傲慢不遜な話であり、ないしはよっぽどばかでなければならぬ! じつに千差万別の性質を持った、複雑な天才をめぐまれた巨匠の輩出したあとで、やられなかったようないかなることが残っており、いわれなかったいかなることが残っているというのか? われわれのなかで、だれが自慢できるか? どこかに、ほとんど同じような形で、すでに存在していないような一ページを、一句を、書いたといって? …」この後にモーパッサンは天才でない人は「ただ努力の連続によってのみ征服不能の意気阻喪に対して戦うことができる」と書き、そのことをルイ・ブイエとフローベールから教えられたことを明かす。ふたりとも彫像がある著名人で、その列にモーパッサンが並んだことはフランス文学の輝かしい歴史を示している。モーパッサンはフローベールからこう言われた。「きみがいまに才能を持つようになるかどうか、それは私にわからない。きみが私のところへ持ってきたものはある程度の頭のあることを証明している。だが、若いきみに教えておくが、次の一事を忘れてはいけない。才能とは――ビュフォンの言葉にしたがえば――長い辛抱にほかならない、ということを。精を出したまえ」それは年譜によればモーパッサンが18歳の頃で、精を出し、七年間、さまざまな作品をフローベールに持参した。モーパッサンはフローベールの私生児ではないかとの疑惑があることが『新潮世界…』のモーパッサンの巻の月報に書かれる。その可能性はゼロではないようだが、ともかく若きモーパッサンがルイ・ブイエとその友人のフローベールと出会ったことはその後の人生を決定づけた。「長い辛抱」はどれほどの年月か。それは多感な20代前半までに限るから、モーパッサンの作家としての修行時代の7年は充分だろう。その7年は30、40代、あるいはそれ以降の何倍もの重さがある。筆者は70代になってこうした長文を好き勝手に書いているが、これは20代では10倍ほどの質量であって、逆に言えば高齢になれば水増しした作品しか生めない。「長い辛抱」は若い頃にこそ価値がある。奔放な生活はどんな若者でもするが、同時に才能を磨くために「長い辛抱」をする者のみが頭角を現わす。
「――才能はながい辛抱である――問題は表現しようと思うすべてのものを、だれからも見られずいわれもしなかった面を発見するようになるまで、十分長くまた十分の注意をこめて眺めることである。どのようなもののなかにも、まだ探求されてない部分というものがある。…どんなささいなものでもいくらかの未知をふくんでいる。それを見つけようではないか。…」このモーパッサンの言葉を筆者は本を買った17歳に読まず、70歳を超えた今頃に知ったが、筆者が設計会社を辞めて友禅染めの世界に入った時、誰に教えられるまでもなく、このモーパッサンの言葉を自覚して創作に励んだ。その筆者なりの成果は「友禅論」として一冊の本に実例とともに書く気持ちはこの半世紀保ち続けているが、友禅染めに長い歴史はあるものの、あまりに閉ざされた狭い世界で、本を書いても興味を持つ人はまずいない。それに遊びたい盛りの10,20代に「長い辛抱」に堪えられる人がどれほどいるか。いてもそれは入試や資格獲得のためで、芸術を思ってのことではない。モーパッサンが言うようによほどの馬鹿でなければ、「独創的な点を一つ持っているならば、なにをおいてもこれを発展させなければならない。もしも持っていないなら、一つはどうしても手に入れなければならない」というフローベールの言葉を信じない。モーパッサンはブイエから言われたことも書く。「百行の詩が、否おそらくもっと少なくても、芸術家の名声を決定するには十分である。もしもそれが非のうちどころがなく完成しており、たとえ二流の人物でもその才能と独自性との精髄をその詩句が含んでいるならば、というのである。」さらに「どんなに名のきこえた作家でもほとんど一冊以上のものを後世にのこしてはいない。」とも書き、その時点でモーパッサンは自分の代表作がどれであるかと自問したとして、それは最新作であった『ピエールとジャン』でしかあり得ないだろう。この小説はWIKIPEDIAによれば「naturalist」もしくは「psycho‐realist」の作品とある。後者は「サイコ」が「多重人格」や「精神分裂」の意味で使われるが、「サイコロジー」からすれば「心理」となって、「心理描写に長けた現実主義者」とでも訳しておくが、小説の登場人物に現実感を付与するためにその人物の精神になり切る作業を根気よく続けると、いずれ自己が分裂して行くことは避けられない。真摯になるほどそうなって、モーパッサンが精神病院で死んだことはあまりに文学に忠実で小説家としての責任を果たしたからだ。それは傍から見ればアホや馬鹿がすることで、そのことをモーパッサンは自覚していた。人生全部を使って壮大な無駄と言ってよい馬鹿をやる。それこそが芸術で、普通の人には理解出来ず、理解しようとも思わない。それで凡庸な作家が無知の有閑大衆相手に人気を博し、大金持ちにもなる。

さて、以上で「小説について」と同じく原稿用紙39枚分を書いた。『ピエールとジャン』の本編の感想に移るが、この小説の主人公のピエールは医者の卵だ。そのことにモーパッサンと『サン・ミケーレ物語』の著者アクセル・ムンテの交流が影響していると読み解く研究があるのかどうか知らないが、筆者はピエールの人格の措定にムンテの人物像がいささか反映したのではないかと想像する。この長編小説はピエールの精神の葛藤を主題にする。母が自分を産んだ後、一家の親友であった独身の男と情交を結び、そして弟のジャンを産んだことを知るのだが、それは母の浮気相手が死んだ後、全遺産を弟のジャンに与えたことがきっかけだ。なぜ自分には全く遺産が与えられなかったのかという疑問から母を疑い、母の口から現実を知る。そこで大波瀾が生じそうなところをピエールは耐え忍び、父やジャンに何を言わずに家を出て船乗りの医者になることにする。人並みに嫉妬と憎悪に苦しみながらそれに耐えたピエールの態度は立派だ。モーパッサンらしい苦味に満ちた内容でありつつ、赦す行為はセーヌ河口の海辺の雄大な風景描写も相まって後味は悪くはない。ピエールを若い医者に設定する必要はなかったが、かかりつけの精神医であったムンテの人柄をモーパッサンは好ましく思っていただろう。モーパッサンの小説に登場する人物はだいたい俗物だが、そうではない人物も描かれる。ピエールが両親と弟が暮らす港街のル・アーブルを離れるのは精神的苦痛から逃れるにはそれしか方法がなかったからとして、運命を受け入れる態度はやはり潔い。事実を何も知らない温和一方の父と、小説では詳しく描かれない母の犯した許されない過ちは、非現実的に見えてよくある話と言ってよく、この夫婦の設定は短編の『野あそび』と同じだ。純朴ないしアホと言い変えてよい男に清楚な美人が嫁ぐことは珍しくない。しかしそういう妻が夫を裏切っていることはままある。他の男が夫の鈍感さを見抜いているからで、女は夫にはない優しさを見せる男に身を任せることは動物的には自然でもある。この小説ではそのことに重点を置かず、母の秘密を知った息子の態度と行動に焦点を合わせ、そこにモーパッサンがフローベールの子どもではなかったという世間の推察が生ずる根拠があるかもしれない。小説から浮かび上がるモーパッサン像は深刻な出生事情があったように思わせる。なぜ10代半ばで「長い辛抱」をすることに同意したか。ムンテによればモーパッサンは二流の人物になりそうだが、モーパッサンはそのことや大馬鹿であることを自覚しながら破滅して行った。それと引き換えに歴史に残る小説の大家となった。たぶん幸福で長生きする作家は一級の作品を生み得ない。富士正晴はそうであったと言いたいが、緩慢に死に向かうことにもそれなりの得難い味わいはある。長生きしてようやく気づくことはある。アホは特に。
