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●『APOSTROPHE(’) 50th ANNIVERSARY』その3
ンドラと 砂漠のどちら 選ぶかと あり得ぬ問いに どちらも嫌と」、「寝転んで テレビ見ながら おならして 空気入れ替え 無為の日を終え」、「吾に借る 借りを忘れず 諦めず 誰も知らずも 吾を騙せず」、「適当を 嫌う人でも 拒めぬは 気にせぬことの あまりの多さ」
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「聖アルフォンゾのパンケーキの朝食」の歌詞冒頭にアザラシの毛皮密猟者が「mar-juh-reen」を盗む一行がある。この「マージューリーン」をある対訳者が「マリファナ」であると固執してその訳語をブックレットに載せたことがある。筆者は最初から「マーガリン」と思ったが、それが正しいことが今回の『アポストロフィ50周年記念盤』のブックレットに書くサイモンさんからの文章でもわかる。ではなぜマーガリンなのか。その理由もサイモンさんは書くが、パンケーキにマーガリンを添えて提供するのが習わしであることは少し考えればキリスト教徒でなくてもわかる。復活祭の前日までの1か月少々の四旬節の最初の日に供されるパンケーキ朝食は粗末なものだ。動物性タンパク質を避けて作るのが習わしで、バターの代わりに植物油脂のマーガリンを使う。密猟者はその油なら犬の小便で傷めつけられた眼球に塗って効果があると思ったのだが、近年ではマーガリンは発癌性があるとされ、わが家では買わなくなった。ただし市販のマーガリンは長期保存のためにさまざまな添加物が混ぜられ、本来の純粋なマーガリンとは異なるだろう。それででもないが、わが家ではジャムを筆者がよく手作りする。話を戻すと、ザッパの歌詞は上記のように知識がなければ理解が及ばないことが多々ある。日本語訳はあまり参考にならず、英語をじっくり解読する必要がある。というのはザッパは二重の意味を込めた歌詞をよく書いたからだ。これは一つの日本語訳ではその面白さは伝わらない。「オブリヴィオン神父」では「Was whipping up the batter」という一行が最初の方にある。この「the batter」は前述からしてバター(butter)ではないことがわかる。では野球のバッターを連想させる言葉がなぜ使われるのか。このバッターは男根を連想すればよい。神父は自身のそれを「whip out」つまり「素早く動かす」が、この一行は表向きはパンケーキの原料の小麦粉を棒でこねる作業に勤しんでいる姿を表現し、裏では、つまりザッパの歌詞による「昨夜扉の陰で」、いわば夢精的行為によって自身の急所を何度も刺激圧を与えた。ついでに書いておくと、「WHIP OUT」はザッパの好きな言葉で、『アンクル・ミート』にはその言葉を副題にした「キング・コング」が収録されたし、「WHIP」(鞭)はその後もザッパのステージなどによく登場する。さて、筆者は『アポストロフィ』を74年発売直後に入って来た輸入盤を購入した。歌詞カードは入っておらず、当時歌詞の意味を充分に理解したとは言えない。
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 解説付きの日本盤をも買う経済的余裕がなく、八木康夫さんのイラスト入りの解説を目にしたのは4,5年後であった。ネット時代になっておおよそどんなことでも即座に調べられるようになって理解が進みやすくなったが、それでもザッパの歌詞は行間を読まねばわからないことが目立ち、中には前述のような誤解も混じる。『オールド・マスターズ第2巻』を購入した時、『アポストロフィ』のLPには「APPROXIMATELY(おおよそ)」との断りが冒頭にある歌詞カードが添付された。今回の発売ではブックレットに全曲の歌詞が載る。それはザッパ生前に発売された『同第2巻』の歌詞カードの転載で、相変わらず「おおよそ」の言葉もそのまま使われるが、ザッパの眼を通したものとみなしてよい。筆者が買った初版の輸入盤LPに歌詞カードが入っていなかったのは、筆者のみのことで、レコード製造会社が封入し忘れただけかもしれないが、ザッパが歌詞内容の風刺の度合いが過ぎるので自粛した可能性もある。また当時のザッパのアルバムを発売していたワーナー・ブラザーズは日本盤の発売に際して日本独自の解説をつける必要上、歌詞を送ってほしいと依頼し、それに応じて送付された歌詞を訳したものが添えられたのだろう。その対訳は探せばどこかにあるが、面倒なのでこのまま書き進む。ネットでは「オブリヴィオン神父」の歌詞が載せられ、そこでは曲の半ば、ザッパが「ウーウーウー」を3回歌った直後の歌詞は「And he stumbleⅾ on his――」となっていて、神父が自身の何につまづいたのかはわからない。ザッパも歌でその言葉を発しておらず、上記のように棒線で示すことは正しいが、『同第2巻』の『アポストロフィ』の歌詞カードでは先の棒線箇所は「cock」と明記してある。それは今日の2枚目の写真の赤線箇所だ。筆者の想像によればワーナーがマスター・テープを聴いたところ、ザッパが「cock」とはっきり歌っていることに削除命令を下したか、勝手にその言葉を無音処理した。あるいはザッパが自粛して自分で消したかだ。そういうこともあって最初の発売では歌詞カードをつけるのはよくないと思われたのではないか。このザッパの実際の歌から削られた「cock」が何を意味するかは、筆者は学生時代に英語の先生から教えられた。「男のあそこを英語でどう言うか知ってるか?」蛇口のコックと同じと知ってなるほどと思ったが、オブリヴィオン神父が調理中に蛇口あるいは雄鶏につまずいたとして、その後の歌詞はそれなりに辻褄が合いそうだが、やはり勃起した男根が邪魔でよろけたと読み取るほうが滑稽だ。ここで留意すべきは、ザッパは神父を戯画化しているが、聖人については名前を借りているだけで、聖と俗を分けていることだ。神父が俗というのはまずいが、肯定的に捉えて身近な人間味のある存在との意味だ。
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 3枚目の写真のように手元に『聖人事典』を所持する。そこに「St.ALFONZO」が載るかと調べると、「Alphonsus Marie Liguori」(1696-1787)と「Alphonsus Rodriguez(1533-1617)」のふたりしかおらず、後者のスペイン人よりもナポリ人の前者が該当するだろう。その全文を4,5枚目の画像として載せるが、後者は拡大すればどうにか読める画像の大きさにしておいた。WIKIPEDIAにもその「アルフォンザス・マリー・リゴーリ」についての項目があって、ざっと読み比べると『聖人事典』のほうが奇蹟について言及するなどかなり詳しいものの、伝わっている若年と老年の2枚の肖像画はWIKIPEDIAにあっても『聖人事典』にはない。早熟の才能で、芸術全般、学問にも秀で、著作は100を超えるが、苦闘の人生を歩み、リュウマチの病魔にも苦しめられた。聖人となった彼が生きている間に人々に示したたとえば空中浮遊や火山を鎮火させたことなど、オカルトと言ってよい業績は今は笑い話として信じるに値しないとして、そういう神がかり的なことを実行出来て不思議でないほど秀でた人物であったことは認めるしかない。アラスカに聖アルフォンゾを祝う祭りがあるのかは知らないが、ザッパは『聖人事典』の類を所持していたのではないか。なお聖アルフォンザスは父がガレー船団の長官で、母は没落のスペイン人であったという。これは偶然だろうが、「聖アルフォンゾのパンケーキの朝食」の歌詞に登場する密猟人が目撃する男女を連想させる。さて、『アポストロフィ』のA面の話ばかりしているが、コンサートで最も頻繁に演奏されたのは5曲目「コズミック・デブリ」だ。これは有名人相手に金を吸い上げる占い師とのやり取りを歌い、最後のヴァースでは逆にその男を眠らせ、指輪や時計その他の所有物を奪うことを描く。そして相手に対して「オレにつきまとっている間に肉の値段が上がり、あんたの老いた夫人は萎んでしまうぜ。オレに時間を費やさねば肉屋ほどの金は稼げるのにな。」と警告する。これはザッパが人物の本性を見抜く能力があるとの表明と読み解いてよく、ナヌークの母と姿がだぶる。つまりは常識人であることの自覚だ。その常識から外れた無能な人物に「親切にも」ほかの職業に携わったほうがよいとザッパは意見する。この曲での詐欺師はポンチョを着ていて、それをどこで買ったのかと曲の最後で問い、占い師にありがちな服装をおちょくるその様子は、後年の「金ぴか街の大騒ぎ」と題する曲に登場するニューウェイブ・バンドの服装に対する風刺につながる。職業にはそれらしい服装という記号性があるのはどの国でも同じだろう。ザッパ/マザーズがいかにもロック・ミュージシャンという服装であったかと言えば、自由標榜の先駆的時代に登場し、形式にこだわらず、普段着で客前に登場した。
●『APOSTROPHE(’) 50th ANNIVERSARY』その3_d0053294_01092791.jpg そこに70年代のロック・ミュージシャンのひとつの美意識があったが、その美からあえてザッパが脱しようとしたかと言えば、最初期のマザーズは「醜悪さ」をあえて意図したのではなかったとしても、アルバム『マザーマニア』のジャケット写真ではメンバー全員が薄汚れて見え、そのことを「売り」の要素としたところがなきにしもあらずであった。ザッパが長髪と髭を続けたのは、理不尽にも猥褻録音の罪状で逮捕され、刑務所に入っている間に伸びたことを忘れないためで、権力者への抵抗の意思表示とした。その髭はザッパを示す記号となり、ザッパ・ファミリーの会社のロゴマークにもなって今に至るが、ザッパならではのその記号を真似たところで滑稽なだけで、その男はザッパから前述の「オレに時間を費やさねば肉屋ほどの金は稼げる」との提言を受けるだろう。一流になるには一流が持っている独自の記号性を模倣するのではなく、存在そのものがオリジナルの頑丈な記号性を獲得して行かねばならない。世間には「いかにも」というような流行に敏感ないわゆる格好よさを自覚しているが、実際は平凡か無様な男女に溢れていて、話をする機会があったところで少しも面白くないだろうが、創造行為に身を捧げ続けている者は独特のオーラがある。しかしその一種の狂気性は自己を客観視する冷静さに裏打ちされていることが絶対条件だ。「コズミック・デブリ」に話を戻すと、この占い師の「宇宙のゴミ」はカトリックの宇宙性の対極にありながら、ザッパが聖人たちや司教が集まるカトリシズムをどのように考えていたかはわからない。占い師が扱うさまざまな商売道具がいかにもそれ風のゴミ同然のものに見えるとして、その占い師ないし詐欺師がザッパと出会うことは、宇宙での塵に等しいゴミの遭遇であって、そのおそらくきわめて稀、あるいは二度と起こり得ない偶然は見方によれば双方にとっての幸運だ。もちろん相手が殺人を趣味とするのでは困るが、そういう凄惨な現実にザッパは目を向けて歌詞を書かない。この曲に登場する占い師はザッパから見れば才能がなく、そういう俗物はまともに働くべしとの忠告は優しさゆえでもある。ザッパは自分を訪問した占い師との出会いを嘲笑しながらも作曲に利用したが、それは宇宙における塵の衝突であって、そのことは同曲を聴く人、あるいはこの文章を読む人にも言え、何もない宇宙の中でせめて塵同士が理解し合えない場合があっても出会うことは人生の意味と言える。実際それ以外に人生の意味はない。この「出会い」ないし「相対するふたつの存在」は後年のザッパのアルバムにさまざまな形で姿を現わす。話を戻して、水晶球を使う怪しげな占い師は毛皮密猟人と同類ながら、相手の心理に入り込んで金をむしり取り、日本でも同様の人物の騙される人は後を絶たない。
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 眼前に現われて口説き落とそうとする相手であれば、その人柄はたいていの人なら一瞬でわかるが、SNSでのロマンス詐欺や高齢者相手の電話詐欺は顔が見えない分、騙されやすい。それは世の中の仕組みがネット上で行なわれることが急増したためで、その点から「コズミック・デブリ」の歌詞は時代遅れの感があるが、新しい、そして怪しげな宗教の勧誘は眼前の人物を介してであって、その点では歌詞は全然古びていない。人を騙して、あるいは惑わして金を引き出すことは宗教に重なる面があって、この曲がA面最後に位置するのはそれなりのまとまりがある。しかし他の4曲と違って夢ではなく、現実の出来事らしさが強い。それだけにザッパは注意喚起の意味から他の4曲以上に演奏したのだろう。巧みに騙そうとする連中がいる現実を自覚し続ければ騙されないはずだが、騙されないと思い込んでいる人ほど騙されやすいという奇妙なことがよく言われる。初対面の人物が信頼が置けるかどうかはの判断は誰しも直感に頼る。それを誤るのは人生経験が足りないか、お人よしと称されるのはいいとして、ザッパから見れば単なるアホということになる。そういう愚かな人を寄せつけない冷徹さがザッパにはあったかもしれず、ザッパが友人はいないと語ったことは、仕事にあまりに熱心なあまり、そのほかのことで気分を紛らわせる余裕がなかったからと思える。メンバーや他のミュージシャンとの会話さえも作曲の材料にしたザッパは、ゴミのような話こそが宇宙のひとつの真理を表わしていると考えたに相違なく、そういう馬鹿話も含めての宇宙の仕組みを実感していたのだろう。当然そこには夢で見たことも加わる。現実の人が見る夢も現実に含めるしかなく、かくて宇宙はゴミだらけで、それら浮遊しているものの衝突は宇宙のあまりの広大さを想像すればそれこそ奇蹟ではないか。話がまた堂々巡りするが、「堂々巡り」すなわち回転は『アポストロフィ』のひとつの概念となっている。そのB面に移るが、ビートルズの『アビー・ロード』以上にB面の曲もA面と関連している。もちろんLPやCDは回転運動をしてその情報を聴き手に伝えるので、筆者の話が同じことの繰り返しに見えるのは仕方なきところがある。ついでに書いておくと、回転は地球のみならず全宇宙の法則であろう。そのことを「宇宙のゴミ」とともに示すのが次作の『ワン・サイズ・フィッツ・オール』のジャケットの裏表や収録曲で、来年は同作の50周年記念アルバムが発売されることを期待している。話を戻して、B面最初の「エクセントリフーガル・フォルツ」は昔詳述したが、今回の『50周年記念盤』のブックレットでサイモンさんが書くこともだいたい同じだ。題名の「EXCENTRIFUGAL FORZ」は「遠心力」に「ex」の接頭辞がつき、遠心力の逆の求心力になりそうだが、実際は遠心力からも外れている力のことだ。
●『APOSTROPHE(’) 50th ANNIVERSARY』その3_d0053294_01105895.jpg
 また「ECCENTRIC(変な)」という言葉も意図しているので、結局は「フリーク力」ということだが、強いて日本語の題をつければ「変心力」となるか。ともかく、ザッパは仕事の回転運動をフル稼働しながら「変な力」を発揮している自覚があった。そこが醒めたところで、「アール・ブリュット」の画家や音楽家にはそれが欠如している。また回転運動はナヌークが密猟者の目玉を黄色い雪で円を描くように擦り込んだことに通じる一方、B面3曲目の「アンクル・リーマス」における「(回転する)グランドに鼻を近づけて(仕事に我慢する)…」という歌詞にも概念継続している。話を「変心力」に戻すと、サイモンさんは最初のヴァースに出て来る「オレは絶対に孤独ではない…」の歌詞を引用する。これは前段に「スポーツに関心がないので」との断りがあって、ザッパが作曲三昧で日々を過ごし、したがって「友人はいない」が孤独ではなかったという思いにつながる。孤独を感じている暇がないほどに仕事に熱中しなければ満足の行く作品は得られないと思いがあったとして、録音とテープ編集のためにスタジオで籠り切りになると、『アポストロフィ』のように凝りに凝ったアルバムになって、人間の愚かな面を描いて気晴らしをしたくなることは理解出来る。この「凝り凝り」がシリアスになる過ぎると芸術性が増すかもしれないが、30代半ばのザッパはまだロサンゼルスの風土を反映して明るさに突き抜けている。さて2曲目はアルバム・タイトル曲だが歌詞がない。となれば「アポストロフィ」と題した意図を汲み取りにくい。これについてのザッパの説明が最後の曲「臭足」の歌詞に登場し、聴き手の疑問は終息しそうだが、謎が完全に解明されることがないのは宇宙の仕組みと同じで、最初に聴いて半世紀経った今でも筆者はこの「アポストロフィ」と題した真の意味はわからない。あれこれの推察については明日書くとして、ザッパは本当はアルバムの題名を『’』としたかったところ、それでは意味不明なのでその記号の読みの「アポストロフィ」を綴ったのではないか。「’」の記号は中学の英語の授業で学ぶように、所有を表わす「アポストロフィ・エス(’s)」と、ふたつの単語をつないでの短縮形で使用する。サイモンさんが書くようにそのふたつの意味からの解読をするしかないが、そのことは半世紀前にこのアルバムを手に取ったファンは誰しも直感ないし想像したことで、アルバム全体がその雰囲気をまとっている。ザッパはファンにあれこれ想像させたくて煙に巻いたところがあったのかもしれない。ファンのその詮索はザッパの概念継続を過剰に拡大する場合がよくあって、「ザッパ学」はファンの数だけあると言ってよく、それら「宇宙のゴミ」が今はネット宇宙に浮かんでいる。この文章も然り。根を詰めて書いても肉屋ほどどころか、全くの無料で、お人よしにもほどがある。

by uuuzen | 2024-11-26 23:59 | ●ザッパ新譜紹介など
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