「
UVとは 紫超えの 意味なれば 紫超線こそ 正しき訳語」、「天才の 前に霞むや 小才も 取柄はありて 時代を映す」、「金のみが 世を動かすと 疑わぬ 人に話さず 近寄りもせず」、「キリギリス ギリギリ生きて キリリ死す 蟻との比較 ありはせぬこと」

アマゾンでザッパの『アポストロフィ』50周年記念盤の発売予告が表示されないかと確認していると、今日取り上げるフランチェスコ・ザッパの『6つの交響曲』の発売予告を見つけた。早速注文したのが先月17日で、今月7日に届いた。どういう音楽かは見当がついていたが、予想どおりの内容だ。せっかく買ったので最低10回から20回は聴こうと思いながら、もうそれ以上は聴いている。しかし途中で聴き耳を立てないBGMと化し、音楽に集中出来ない。それでも聴き続けると少しずつ印象に残る箇所が増えて来る。また何度も聴こうとするのは本能的に心地よいと感じるからで、フランチェスコの意図に嵌まっているのだろう。ザッパが『グローヴ音楽事典』によってフランチェスコ・ザッパの存在を知ったのは、最新のデジタル楽器・コンピュータ楽器のシンクラヴィアを導入し、それを使って作曲録音する際に雇った助手のデイヴィッド・オッカーによってであったと思う。早速作品1と4を録音してLPを発売したのが1984年で、それから40年も経つ。同アルバムの中袋にはいずれフランチェスコの交響曲もヨーロッパの図書館から発掘するとあったが、その後進展がなかった。ザッパがフランチェスコの作品に関心を抱いた理由は、イタリア人で同じ姓を持つ作曲家の存在を面白く思ったこと以外にはなかったはずだが、わざわざアルバムを出したのは、60年代後半にビザーとストレート・レーベルを創設し、グルーピーを集めてのGTO‘sや大道芸人のヴォーカルストであったワイルド・マン・フィッシャーの一回限りのアルバムを出したことと同じで、着眼を面白がる性質ゆえで作品の芸術的価値は信用していなかったに違いない。実際『フランチェスコ・ザッパ』はシンクラヴィアの音色で自動演奏されたという物珍しさはあってもそれだけのことで、楽譜を入手して演奏し、レコードを発売しようとする音楽家はいなかった。それは作曲家の評価は歴史的に定まっているという理由が最も大きいが、レコードの発売は賭けの商売であり、損することが明らかであれば、まだ録音されていない忘れ去られた音楽を録音しようとする者がいないことは誰にも明らかだ。それで巨匠とみなされる作曲家のレコードばかりが競って録音され、ますます巨匠として多くの人々に受け入れられ続ける。そういう現実を否定したい変人かつ暇人が、ほとんど誰も知らない作曲家のレコードを買う。筆者がその部類かと言えば、クラシック音楽の絶大な自称するほどではなく、前述のようにザッパ絡みでアマゾンで見つけたので買ったに過ぎない。

『フランチェスコ・ザッパ』は冒頭曲はそれなりに印象深いが、やがてどれも同じ曲に感じられて眠たくなる。それと同じことが本作『6つの交響曲』にも言えるが、電子音でなく、ピリオド楽器を使っているので古風な時代の雰囲気が濃厚に漂って心地よい。6つの交響曲はどれも3楽章形式で、急緩急の速度で演奏される。何度か聴く間にやはり気になるのはモーツァルトで、彼の交響曲のCDを取り出して聴く羽目になるが、フランチェスコは1717年生まれで1803年まで生き、モーツァルトは1756年から1791年であるので、フランチェスコの生涯に収まる。モーツァルトの父レオポルトは1719年から1787年までの人生で、フランチェスコはレオポルトと同世代だ。レオポルトはアマデウスを売り込むことに精を出し、宮廷音楽家としてヴァイオリンを演奏し、作曲もしたが、その作品は録音されたことがあるのだろうか。息子の天才の陰にすっかり隠れて作品は顧みられない。それはそうと1980年代、筆者はNHK-FMで毎週日曜日に1時間放送されていた吉田秀和のモーツァルトの全曲放送をすべて録音した。吉田の語りを省いて2時間のカセット・テープにほぼケッヘルの番号順にダビングしたが、吉田はディヴェルティメントを放送する際に「こういう音楽は宮廷の要請から書き散らしたようなもの」といった否定的な言葉を発した。モーツァルトにも退屈な作があったということだが、ディヴェルティメントの定義からして、その場限りの楽しさを提供すればそれでよく、立派な芸術作品という意識はモーツァルトにはなかったであろう。ただしそうした曲でも専門家が仔細に分析すれば、モーツァルトが名曲を生むことのわずかな着想源にはなったであろうし、またモーツァルトらしさはあるはずだ。あるいはタイパ重視の現在、駄作は無視して名作のみで充分と考える人が多いか。吉田秀和の先の放送ではバッハの長男のカール・フィリップ・エマニュエル(C.P.E.)・バッハとモーツァルトの関係が何度か言及された。筆者はバッハの子どもたちの音楽に興味がないではないが、レコード、CDを購入したことはない。それに彼らの録音は父に比べて圧倒的に少ない。モーツァルトが影響を受けたC.P.E.は1714年生まれで1788年に没しているからレオポルトと同世代で、吉田がしばしば放送で言及した言葉「ギャラント様式」をアマデウスが学んだということになる。放送を聴きながら、この「ギャラント様式」が具体的にはどういうことかとわかりにくかったが、バロック音楽とは違う新しい流行で、美術で言うバロックの次のロココ様式と思えばよい。ただし美術のロココのイメージは筆者にはあまりいいものではなく、ダイナミックなバロックの方がいいのだが、時代の経過は新しい流行の発生を伴ない、当世の人々はその新しさに意義を見出す。
その意味からすればモーツァルトの音楽は19世紀には古いとみなされたことになるが、現代の個人がレコードないし生演奏を通じてどの時代の音楽を好むかは自由で、録音技術がなかった時代では想像が及ばなかったほどの過去の作曲家の作品を知ることが出来る。しかしその幸福を前に何を聴けばいいか迷う不幸もある。それは一生費やしても全部聴くことは出来ないレコードが存在するというあたりまえのことではなしに、聴いて大いに感動することがどれだけあるかという疑問を思うからだ。それでも感動を求めて日々聴き続けるが、感動は知識が増えることで増す場合はままある。また楽譜を読むこと、楽器を演奏することで新たな視野が広がることは承知しているが、大多数の人はその暇や才能がないままに音楽を享受する。話を戻して、「ギャラント様式」のひとつの特徴はアルベルティ・バスにあるとされる。これはバロック音楽の作曲家のアルベルティが始めたとされ、筆者はこのベース音の分散和音をモーツァルトの曲でよく思い出しては心地よくなる。実際に聴いて楽しくなることとは別に、想起してそうなることは音楽の効能で、モーツァルトの場合は特にそれが大きい。ところでC.P.E.は生誕300年を迎えてCD50枚組が発売された。当然のことながらハイドンやモーツァルトとも違う音楽性とされ、その50枚を聴いてみたいと思いながらが、優先したい音楽があるために距離を置いている。同じヨーロッパの同じ時代の宮廷音楽家であっても音楽家の個性によって作品の持ち味が異なる現実は、よほどのクラシック音楽でない限り、また一度聴いただけではわからない。ロック音楽はどれもうるさいと固定観念のある人にはイギリスとアメリカのロックの違いはわからないのと同じで、より聴き込み、より知識を増やすことで違いの大きさがよりわかって来る。絵画と違って、音楽は最初から最後まで聴き、またそれを何度か繰り返して微妙の味わいを知る必要がある。モーツァルトや大バッハ、ハイドンの曲をよく知る人がC.P.E.の50枚組を聴き通した時、その評価は結局のところモーツァルトや大バッハに及ばないと思った時、50枚を根気よく聴き続けた時間は無駄であったろうか。二流どころの作品に貴重な時間を取られては損という常識はそうとは限らず、C.P.E.が二流であると認める必要もない。しかし現実はC.P.E.の50枚組は大いに売れているとは言い難いはずで、世間の歴史的評価を覆すことは不可能と言ってよい。しかし絵画ではたとえばフリードリヒのようにすっかり忘れ去られながら2世紀ほど経て再発見される場合はままあり、C.P.E.の名声が大いに復活する ことはあり得る。そのように考えるとなおさら50枚組を入手したくなるが、筆者は年々関心が広がり、本やCDを次々に買っては頭の中の整理が行き届かなくなっている。
フランチェスコ・ザッパの本作は10数年前にアメリカの大西さんからのザッパ・メールで伝えられたように思う。録音は2008年で、当時CDが出たはずだ。今回筆者は新譜として買ったが、再版のはずだ。最初はドイツのハルモニア・ムンディのレーベルから発売され、それをURANIAレコードが再発したが、ジャケット右上に「ARCHIVIO DELLA MILANESE」の「VOL Ⅳ」とあって、ミラノの宮廷音楽家の作品のシリーズ化の第4作目であることがわかる。指揮者はヴァンニ・モレットで、名前からしてイタリア人かイタリア系だが、演奏はアメリカのアトランタ・フュージエン・オーケストラだ。ジャケット見開きの演奏中の写真を見ると左端に明らかに日本人女性が写っていて、名前のクレジットからもそうとわかる。ハルモニア・ムンディが最初に発売したことは同レーベルの姿勢から納得が行くが、10数年後に別の会社に譲渡した理由は、売れ行が芳しくなかったからか。ハルモニア・ムンディは主にバロックを中心にその前後の時代の音楽のレコードを発売して70年近くになるが、歴史に埋もれた作曲家を発掘して録音することはほとんどないと思う。したがって同社50周年記念の50枚のCDボックス・セット2種も大半がよく知られる作曲家の作品で、フランチェスコは当然として、C.P.E.の作品でさえ含まれない。そうなると臍曲がりのクラシック音楽ファンはそうした忘却された作曲家に肩入れしたくなるだろうが、じっくり聴いたところで結局現在の歴史的評価に納得しつつ、反骨心から「これはこれで価値がある」と思い込む。ヴァンニ・モレットがミラノの宮廷音楽家の作品を発掘して録音するのは自国の歴史文化を誇るためとして、 それ以外に世界中の音楽ファン、しかも聴くだけの人々の興味を拡大化させるためだろう。専門家は楽譜だけあればよいが、そういう人は稀で、レコードは意義が大きい。フランチェスコの交響曲が当時の楽器で演奏されてCDになることは、モーツァルト以外の眼で18世紀のヨーロッパの空気を感じ、またミラノの宮廷ではどうであったかの一例を知る。モーツァルトは旅に明け暮れたが、当時の音楽家はだいたいそうで、職を探してヨーロッパ中の宮廷を巡った。そのようにして見聞を広め、新たな作品を書く契機を得たが、吉田秀和が先に言及した番組で語ったように、天才芸術家と言われても音楽家の身分は低く、宮廷では料理人と一緒に食事した。本作のブックレットに書かれるようにフランチェスコは晩年貧困に陥ったが、年金があるわけではなく、86歳まで長生きすると音楽の流行がすっかり変わって出る幕はなかった。その点、現在の日本の有名芸能人は数億、数十億の金を貯め込む場合があって、芸術は芸能にすっかり座を奪われてしまった。しかも下品なほど人気があって、当人も自惚れるという醜悪な業界だ。
宮廷音楽家にピンからキリまであったことは想像出来る。世渡りの才能は必要だが、芸を売る身であればどれほど多作かが勝負だ。その点モーツァルトはやはり天才で、30代半ばまでによくぞ大量の作品を書いたと改めて驚嘆する。フランチェスコ・ザッパの作品はどれほど楽譜が残っているか知らないが、ザッパが録音した「作品1」と「作品4」以外に今回の6つの交響曲といった程度では、歴史に名を留めるほどにはとうてい及ばない。本作が録音されたのは、ブックレットの最初に書かれるようにザッパがシンクラヴィアで録音したアルバムを発売したことが最大の理由のはずで、ザッパ経由でフランチェスコの名前が世に出たからだ。そうでなくてもヴァンニ・モレッティは本作を録音したかもしれないが、有名どころのオーケストラではなく、アメリカの地方楽団を起用したところ、それが限界であった。CDが大量に売れることはないことを充分知ったうえで、それでもなおザッパつながりで少しは再発見されたイタリア18世紀の作曲家を紹介しておくにはちょうどいい機会だと思ったに違いない。そのことはこうして筆者が取り上げて紹介していることにつながっていて、ザッパが『フランチェスコ・ザッパ』のジャケット裏面にモーツァルト張りの若者が「このアルバムを誰が手にする?」との吹き出しつきで描かせたように、商品として世に出れば誰かがそれを買って注目する。そういう道はフランチェスコの時代の音楽家にはなかった。楽譜の出版はあったが、それが大いに売れて多分の利益をもたらすことは稀であったろう。それで演奏する尻から消えて行く音楽作りの担い手は、食べれば消えてしまう調理人と同格ということは納得が行くが、そう考えると録音時代に生まれたザッパは幸運であった。しかしそれはそれでだいたいは巨大な娯楽産業のわずかな一員として消費されるのが定めで、レコード会社は次々に新人を発掘して流行を作る。その点でザッパは自分のファンに直接アルバムを売る方法を考え、フランチェスコのように晩年は金欠で困ることがないように動いたし、また動ける時代であった。さて、フランチェスコはヴィオロンチェロすなわちヴィオラ奏者で、宮廷では作曲の仕事のほかに演奏者の役割があった。レオポルトも同じで、演奏者兼作曲家で、ザッパもそうであった。20世紀になると演奏はしないが作曲する音楽家が登場するが、ザッパは自分で書く楽譜は自分で演奏出来た。当初ミュージシャンとして食べて行くためには楽器の演奏は不可欠で、演奏の合間に作曲したのだが、フランチェスコの時代、録音はなかったので彼の仕事は楽譜でしか残っていない。これは演奏に費やす時間が多ければ作品が少ないことになり、モーツァルトのように名が残りようがない。それで結局ごくわずかにしかない録音から推察するほかないが、本作のブックレットには興味深いことが書かれる。

『フランチェスコ・ザッパ』のジャケット裏面のことを前述したが、そのアルバムを引っ張り出して写真を撮った。それが今日の3枚目で、中央のフランチェスコになぞらえた肖像画の背景はフェルメールの超名画『デルフトの眺望』で、それを配した理由が今回のブックレットからよくわかった。因みにフェルメールは17世紀の人で、フランチェスコより1世紀古いが、フランチェスコがオランダの宮廷で活躍した頃、デルフトの景観はフェルメール時代と同じであったろう。この絵の川の中に「DUKE OF YORK」とピンク色の文字で書かれた肖像画が落ち込もうとしている。本作のブックレットによればフランチェスコの音楽活動は1763年から1794年までで、46歳から74歳までとなるが、46歳以前の記録が残っていないのはモーツァルトのような神童ではなかったからだろう。また74歳以降死ぬまでの12年は貧しさから忘れ去られた存在になったとみなしてよい。1763年から翌年にかけてミラノの宮廷音楽家で、「ミュージック・マエストロ」として音楽好きのヨーク公が死ぬ1767年まで仕えたとある。これはミラノに本籍を置きながらロンドンに滞在していたとみなすべきだが、当時フランチェスコは50歳で、人柄のよさで王侯貴族に気に入られたのだろう。しかし安定した庇護を失うと自力で稼がねばならない。友人の音楽家たちと頻繁にフランス、ドイツ、オランダへと演奏旅行に出かけた。パリでは革命前夜で物価の高騰に驚き、ロンドンの方が生活費が安くて済むと友人に手紙を書いている。無数の演奏会を開くことでそれなりに多くの収入をもたらしたはずだが、安価な生活費の国に腰を据える態度は定収のない音楽家稼業の現実味を伝える。演奏旅行で披露した曲は自作や友人の曲であったとして、日々そうした演奏に追われると作曲の時間は削られるし、その意欲も湧かないだろう。演奏旅行の最も成功したのは1771年9月22日、フランクフルトでのものと1781年のダンツィヒでのものとあるが、公演の内容までは触れていない。ところで、本作のデジパック・ジャケット裏面にフランチェスコについて簡単な説明があって、その最後は本作を購入させることを意図したきわどい文言がある。「…オランダとドイツの宮廷で長い成功と名誉を得た後、貧困のまま死去し、さらにはレオポルト・モーツァルトが示した一種の軽蔑による「damnatio memoriae」さえも経験した。」ダムナティオ・メモリアエはローマ時代、反逆者に対してその記録を破壊する処置のことを指し、レオポルトがフランチェスコを敵対者とみなしたように読めるが、ブックレットを読むとそうではないことがわかる。ただし、フランチェスコを「facile:安直な」作曲家とみなしてアマデウスに手紙を書いている。当時アマデウスは22歳、フランチェスコは61歳であった。
それが1778年のことで、レオポルトはフランチェスコを含むオランダにおける3人の「マイナー」な音楽家をやり玉に挙げ、彼らの音楽商売についてやんわりと批判したが、取るに足らなくはない音楽としてフランチェスコの『6つの交響曲』と『GRAN SINFONIA CONCERTATA』を挙げ、それらは新鮮さと独創性において識別されるものであって、音楽家の作曲の地平を広げたと褒めている。このレオポルトの考えは的確で、高齢のフランチェスコが時代に応じた新鮮な曲を書いていることを称えている。本作を聴くと誰しもモーツァルトを思うであろうし、その意味でフランチェスコはアマデウスの父親世代でありながら、時代に応じた曲を書く能力はあったことを示す。ただしアマデウスにあってフランチェスコにない部分、あるいはその逆が本作からどれほど聴き取れるかとなると、これは感じ取るしかないことだ。ドイツ語を話すモーツァルトとイタリア語、しかもロンバルディア地方のフランチェスコとでは音楽性が違ってあたりまえで、本作のブックレットには18世紀半ばのミラノは器楽曲の重要なセンターであったと書かれ、そういう場所でフランチェスコが腕を磨いたことがほのめかされるが、「マイナー」な作曲家であっても時代の流行を知ってその空気を反映させた曲を書いたことは明らかで、本作はバッハやモーツァルトの音楽だけではわからない、また隙間とは断言出来ない18世紀半ばの宮廷音楽の隠れた見本となっている。レオポルトがフランチェスコを安直な作曲家と思ったことは、ソロのチェロ・ソナタあるいはハプシコードとヴァイオリンやチェロとヴァイオリンなどのデュオといった構造が簡単で家庭で演奏出来る曲が目立ったからだが、そこには作品本位主義が垣間見える。言い変えれば芸術主義で、誰も書かなかったような複雑な構成を持ちながら奥深い情緒に満ちる曲だ。そこで筆者はモーツァルトの交響曲を聴きながら思う。特に晩年の曲で、そうした有名な曲を聴きながら当時の誰がそうした曲の神髄を理解し、また聴きたいと思ったのか。それはベートーヴェンの交響曲につながるが、そこにはフランス革命があって庇護者は王侯貴族のみではあり得なくなった時代の到来がある。ザッパは自分が書きたい曲を書いて演奏し、たとえばフランチェスコは王侯貴族というパトロンのために謙って作曲したという思いを抱いたであろうが、王侯貴族にも音楽のわかる人物はいるし、そういう人物が作曲家に委嘱する場合はよくあって、芸術家は才能をいかんなく発揮する場はあった。つまり市民が政治を司る時代になったから芸術家は思う存分好き勝手が出来て幸福と考えるのは短絡過ぎる。いつの時代も真に芸術を理解する人は少数で、芸術の価値はほとんど正確に見定められる。もちろん時代にあまりに先んじて理解されない場合はあり、いつの時代もそういう例外はごくわずかに含む。
本作のジャケット写真はどこの風景であろう。ロンバルディア平原の可能性が大きいと思うが、アトランタか、あるいはドイツかもしれない。どこであってもこの光に満ちた自然の眺めは音楽によく呼応し、フランチェスコが演奏旅行中に馬車で移動しながら眺めた風景を髣髴とさせる。ザッパも北米やヨーロッパを毎年のようにツアーを重ねたが、各地独自の風景を楽しむことはなかった。そのためもあってザッパの曲は自然とは切り離されていると言ってよいが、フランチェスコの交響曲は宗教的な陰鬱さは皆無で、どの曲も快活さに満ちている。それは交響曲第1番と6番が同じ変ホ長調で、他の4曲はみな主音が異なる長調であることから当然とも言えるが、モーツァルトも41曲の交響曲のうち短調で書いたのは2曲で、フランチェスコは当時の常識に沿った。そうなるとますます本作は聴くまでもないと思われそうだが、C.P.E.バッハが独自の音楽性を持ったのと同様、本作はやはりモーツァルトにはない味わいを誰もが聴き取るだろう。ザッパが生きていれば本作をシンクラヴィアで演奏したろうか。そうなれば『フランチェスコ・ザッパ』で味わったどこかロボットじみた単調ゆえの退屈さが支配したであろう。同作のジャケット表はサングラスをかけた猫を写実的に至近距離から描く密室性の暗さが支配し、録音される音楽性に見合っている。一方、本作では山と平原の写真で、これはロマン主義性と言ってよい。パリの物価高騰に愚痴をこぼすフランチェスコは現実的で、その彼が貧困のうちに世を去ったとなれば、さらに現実的だが、存分に行動が出来る間に喝采を浴びる日々があったことは生きた甲斐があった。その証拠として本作が録音され、しかも『フランチェスコ・ザッパ』以来40年目にして筆者が手にしたとなれば、運命として何度も聴くことは義務と思いたい。レオポルト・モーツァルトの批評がどれほど、またどう正しいのかよくわからないが、彼のフランチェスコへの思いが「記録破壊」と言うより、断罪に見えて一定の評価を下しているところ、フランチェスコにとっては幸運な「記録保持」で、クラシック音楽ファンに未知の音楽を提供するきっかけとなった。本作のブックレットの最後に、『グローヴ音楽事典』のアルファベット順に並ぶ項目として、「フランチェスコ・ザッパ」の次に「フランク・ザッパ」の名前があることが書かれる。そのことがザッパの生前に行なわれたかどうか知らないが、『フランク・ザッパ」の項目にフランチェスコの音楽を見出してレコードを発売した功績について言及があるのかどうか、少しは気になる。クラシック音楽は聴き始めるとしばらくは他のジャンルの音楽を聴きたい気持ちを生じさせないが、今は昔買ったレヴァイン指揮のモーツァルトの後期交響曲集をもっぱら聴いている。それはまた別の話。
