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●「LADY LUCK」
今日は夢見が悪かった。昔よく知っていた近所の兄さんが死んだという報せを聞くが、その後すぐに死体が台者に載せられた筆者の立つ場所に向かって運ばれて来る。



●「LADY LUCK」_d0053294_2354077.jpgシーツを深く被せられているが、乱雑に長く伸びた黒髪は地面に垂れ、仰向けにされた顔は石膏で真っ白に塗り固められて目鼻が黄色のペンキで漫画風に描かれている。体はとても小柄だ。小学生の低学年程度しかない。おかしいなと思っていると、台車はさっと別の方向に運ばれて行った。その後、死んで10年以上もなる叔父が出て来て昔と変わらぬ快活さで筆者と話す。夢で死人が登場したり、死んだ人が生きて返って現われるのはあまり経験がないが、今日はずっと気分がよくなかった。それは昨日仕事で失敗した運の悪さもある。いや、本当は筆者の失敗ではなく、使用した材料に問題があった。それを朝から出かけて交渉し、改めてもうらうことにした。それでも仕事は二度手間となって予定が遅れる。昨夜のそんな失敗が夢に影響したのだろう。それはいいとして、夢から覚めてすぐか、まだ夢の延長であったのか、ある人物が思い出された。それをKとGとしておく。もう15年ほど前のことだが、自転車で30分ほどのところに図書館があって、その近くのリサイクル・ショップによく立ち寄った。2週間に一度程度だ。リサイクル・ショップという名前の店だが、9割は古本屋で、しかもそのまた9割が漫画といった、筆者には用のない店であったが、漫画以外のわずかな物を見るために訪れていた。店員はよく変わった。おばさんであったり、70代の老人であったり、みなあまり長続きしなかった。3、4年経った頃か、そのうちKとGのふたりが常に店にいるようになった。ふたりは筆者より10歳ほど若かったと思う。やがて顔馴染みになって、何も買わなくても10分かそこらは世間話をするようになった。その店は福祉関係から援助を受けているのか、あるいは店のオーナーがボランティアに関係していたのか、KやGも福祉を受けている様子ががうすうすわかった。Kは男前と言ってよい優男、Gは反対に無口で顔に傷のある凄味あるヤクザ顔をしていたが、一見してどちらも普通の人とは少し変わっていることがわかった。身障者ではなく、またそれなりにまともに話すが、ごくわずかに知恵遅れであったかもしれない。
 子ども相手のそんな古本屋では売り上げはごくわずかなはずだ。どのようにして店の経費やふたりの給料が出ていたのか不思議であったが、結局KやGが店番をするようになってから2年も持たなかった。そろそろ店を閉じる必要があるということをKとGから何度か聞いたが、それでもふたりは別に困ったという感じはなかった。次はどこへ働くかまだ決まっていないとも言っていたが、いつもと同じ感じで店を取り仕切っていた。市の福祉から多少の援助が毎月あったのかもしれない。ふたりとも独身で、趣味が何かも知らなかったが、閉店する1か月ほど前だったか、Kは海釣りが大好きで、もし筆者がよければ一緒に早朝に出て日本海まで行こうと誘った。釣りには関心がないので断ったが、いきなりKに誘われて面食らったことの理由が大きい。店を訪れた時だけのつき合いであって、私的なことに関わり合うつもりはなかったのだ。それはKやGを信用していなかったからではない。むしろKやGはあまりにも人間として優し過ぎ、強引なことは何も主張出来ずに言われたままの仕事しか出来ないタイプであった。そして女には縁がなく、また金にもさらに縁はない。そういう人物と世間話をするのは好きだが、筆者の興味や関心とは何の接点もないから、たまに会う程度のつき合いが限度だ。店が潰れた後、KやGがどこへ行ったかはわからなかったが、数年後、中京でばたりとGに会った。Gは急いでいて真っ直ぐ前を見て自転車で走り去ったが、通り過ぎる時に筆者に気づかなかったのか、あるいはもう忘れてしまっていたのか、相変わらずのヤクザ顔のしかめっ面をしていた。その近くに住んでいるのか働いているのか、とにかく元気であるのがわかって嬉しかった。元々Gは無口で愛想笑いも一切しなかったが、それでも憎めない人柄であった。Kは軽薄な調子者だが、同じようにずるいことは全然出来ず、人を疑わない性格の点ではGと共通していた。前置きが長くなったが、そのリサイクル・ショップにCDが少し売られていて、9割はどうでもよい屑であったが、1割は誰が持って来るのか、店には全然似合わない内容のものであった。そうしたCDをよく買った。KやGは音楽の知識は皆無に等しいから屑も掘り出し物も同じ値段をつけていた。
 そんな掘り出し物として買った1枚がJ.J.ケールの『トラヴェル・ラグ』だ。帯つきの新品の見本盤で、800円ほどであった。1989年に日本のアルファ・レコードから定価3008円で出たものだ。近所にそうした見本盤をもらえるような仕事をしていた誰かが持ち込んだのだろう。ほかにも新品の見本盤があったからだ。その店に訪れるのは子どもが中心であるので、そんなCDはずっと売れなかったはずだが、筆者にはとっては思わぬ拾い物だ。早速買って聴き、たちまち魅力に取りつかれた。誇張ではなしに、おそらくこの10数年で500回は聴いた。今日も1日中聴いていた。もちろん今も聴きながら書いている。この盤が筆者にとっての初めてのJ.J.ケールだ。名前ぐらいは昔から知っているし、キャプテン・ビーフハートが74年に出したアルバム『ブルージーンズ・アンド・ムーンビームズ』ではJ.J.ケールの「セイム・オールド・ブルース」をカヴァーした収録曲があって、そんなことからも70年代から気になる存在であった。「セイム・オールド・ブルース」はとてもいい曲で、ビーフハートの人気のあまりない同アルバムでも特に光っている。またビーフハートがJ.J.ケールの曲を取り上げたことはビーフハートの音楽を知るうえでは大いにヒントになる。それはザッパの音楽にはなく、ビーフハートにだけあるものを考えさせる。それはいいとして、ずっと気になりつつもまだJ.J.ケールの歌う同曲のオリジナルは聴いたことがない。他にケールのCDを2枚持っているが、全部ほしいと思いながらもいつも忘れてしまう。全部買っても10数枚という寡作であるので、その気になればすぐに集められるが、それらを聴く前からこのCDが最もよいもののように思える。それもさておいて、気になってはいても実際にアルバムを買って聴く機会というものはなかなかない。それをすればレコード店の大半のものを買う必要がある。そのため、人生とは、気になりつつも結局生涯出会いがなかったまま終わる存在が無数にあることと同義だ。あそこに行きたい、あの人に会っておきたい、あれを読んでおかねば…、そんな思いだけがますます増えるだけで、実際の出会いはないのだ。だが、J.J.ケールに関しては違った。KやGはJ.J.ケールのことなど知るはずはなく、筆者がこのCDを買ったこともおそらく知らないのに、筆者はKやGのいる店でこのCDを買い、そして今夜も聴きながらKやGのことを思い出している。そしてKやGがいやな気分にならずに「幸運の女神」がずっとついて気分よく生きていることを願っている。
 この盤はどの曲も素晴らしい。1曲を挙げるとなると、「Lady Luck」か「Lean on Me」がよい。そしてやはり前者を選ぶだろう。先に書いたビーフハートにあってザッパにないこととは、「レイド・バック」という言葉で表現される生活態度だ。この言葉が流行ったのはウッドストック以降のことだと思うが、簡単に言えば自然回帰で、ポール・マッカートニーの『ラム』にもそんなことを歌った曲があった。アメリカはよく言われるように、ニューヨークやロサンゼルスといった大都会はむしろ別の国で、広大なる田舎にこそ本当のアメリカ的な本質があるとされる。そうした田舎と言えば南部、そして南部の白人の音楽のひとつにスワンプと呼ばれるものがあって、それをビートルズ時代のジョージ・ハリソンがいち早く目に留めてそうした音楽やミュージシャンとの接近をした。そんな中からレオン・ラッセルが日本でも大きな人気を得て行くが、レオンとJ.J.ケールは一時期中交流があった。ケールのレコード・デビューは71年だったか、レオンよりは遅れ、しかもレオンのように大ヒットがなく、音楽性が違うこともあって一部のファンだけに愛好される存在になっている。だが、エリック・クラプトンがカヴァーするなど、その作曲能力にはきわめて非凡なものがある。ブルース・フィーリングを元に作曲すると、どのように珍しいリフを作ってもみな似たような曲になってしまうし、それがまた魅力なのだが、このCDは2、3分の短い曲ばかりを14収録しつつ、どの曲も色合いが違って総体的にかなりカラフルな仕上がりになっている。ブルースの共通項を持ちつつ、一貫性を削ぐように録音時期や場所、メンバー、録音状態などがみなばらばらになっているのだが、それでも一貫したものが確かにあるという不思議さがたまらなくよい。どの曲もみなもう少し長く聴かせてほしいと思うところですっと終わってしまうため、CD全体をリピートで何回も聴くことになるが、これほどに心地よくて耳障りでない音楽も珍しい。それは田舎でのんびりとくつろいでいるといった「レイド・バック」感覚とは一概に言えず、そもそもJ.J.ケールにある人柄の反映だろう。数年に1枚しかアルバムを出さない活動でどうして食べているのかと思うが、忘れかけた頃にまた健在振りを見せるというその音楽態度も好ましい。ザッパのように1年に何枚もアルバムを出して世界中をツアーで回るということとは反対の姿勢だ。それでいて音楽がつまらないものではなく、人間の真実が込められている。数年毎にしかアルバムを出さないにしても、おそらくその間ずっと音楽を忘れていることはないに違いない。そんなある種の緊張感のようなものがこのCDからも感じられる。そのため、J.J.ケールを「レイド・バック」の言葉で定義するのも何となくずれている気がするが、では何がいいかとなると、これは彼の音楽のわずかしか知らないので勝手な想像だが、「ブルースの吟遊詩人」がいいかなと思う。
 アルバム・タイトルの『TRAVEL-LOG』(「旅行記」「旅日誌」)は、2、3年前のジョニ・ミッチェルに同じものがあった。双方ともこの言葉がふさわしい生活や経歴を持っていると言うべきだが、J.J.ケールの場合はジョニよりもっと気軽にあちこちを遍歴、放浪するというイメージが強いし実際そうであろう。音楽がより簡単であるし、ジョニが和歌とすればケールは俳句とたとえてよい。そしてそんな思いでこのCDを聴くと、どの曲もまさに俳句の世界に見えて来る。あちこち旅をしてふと気に留めたことをさっさと作詞作曲してギター1本で歌ってみる。そして形がもっはくっきりとまとまるとスタジオに入ってメンバーを揃えて録音する。そんな風にして出来たのがこのCDで、芭蕉の『奥の細道』ではないが、まるでアメリカの『眼前の広野』とでも言うような表現がふさわしい世界がある。そうなのだ。このCD1枚によってアメリカの大都会とは違った、それでいて大都会を抱えたアメリカ人の男心というものがよくわかる。ケールは旅を通じてこのCDをものにしたが、これを聴く者は同じようにケールが見たあらゆる情景を想像し、そして「生きていることはいいな」とか、「人間はいいな」とかしみじみ思うことになる。昨日今日は筆者は気分がよくなかった。簡単に言えば落ち込んでいた。それで夢の中でかあるいは目覚めた瞬間か知らないが、KとGのことを思い出し、即座にこのCDを連想した。それで早速朝からずっと聴きながら、月並みな言葉で言えば「癒された」のだ。そしてまたやる気がむくむくと出て来た。「Lady Luck」はタイトルが何だかとてもよい。歌詞は単語が少なくて単純だが、女神を本当の女性と思って解釈するとそれなりの洒落たラヴ・ソングにもなる。前半だ訳す。「幸運の女神さん、どうか聴いておくれ、空想の支配者さん、ぼくの行く手にも夢を運んでよ、こっちに来て、いい日にしておくれ。幸運の女神さん、いつもうまく逃げるね、あなたは申しわけばかり言う星だね、飛ぶのを見ていても空の果てには行き当たらないね」。訳してしまうと意味がわかりにくいが、「a pleading star」は夜空の星がいつもチラチラと光って弁明しているように見えるところを表現し、「You never hit the sky,when you are seen to fly」は、幸運の女神が空を飛ぶ時、つまり幸運をかなえている時は、そのことに限界がないという意味だろう。野球でヒットした球がぐんぐん空を飛んでどこまでも行く姿と同じだ。俳句を思わせる単純な歌詞だけに、日本語に訳すにはかなりの力量がいる。どうでもいいことだが、筆者が買った日本盤の対訳はその点かなり問題がある。
by uuuzen | 2006-05-08 23:59 | ●思い出の曲、重いでっ♪
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