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●『LIVE AT THE WHISKY A GO GO』その2
来にも いいことなきと 悟りつつ 明日の楽しみ 何を食べるや」、「ウィスキーを 一気にあおり もっと飲も 酔わずに醒めて 死者を想いて」、「嫌な奴 浮かべば消して 深呼吸 気持ち整え やりたきことを」、「窓の外 気配感じて 月覗く カーテンさらに 開けて見つめる」
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昨日はウィスキー・ア・ゴー・ゴーがハリウッド大通り沿いにあると書いたが、それより一本南側を東西に走るサンセット大通りの間違いであることを気づいた。ウェスト・ハリウッド地区にあることは知っていたが、ロサンゼルスに行ったことがないこともあって、有名な大通りがどこをどう走っているのかを覚えようとしない。マザーズの最初のアルバム『フリーク・アウト』に告知文があって、当時1ドルをMGMに送るとザッパが作った『フリーク・アウト・ホット・スポッツ』と題する地図が送付された。それは1985年に通販されたLPのボックス・セットである『オールド・マスターズ』の第1巻所収のブックレット内に複製されたが、地図上の丸い番号数字がどういう施設であるかの情報は省かれた。ザッパが亡くなる前々年に海賊版を複写したボックス・セットの『ビート・ザ・ブーツ』の第1集が発売され、白黒ではあるが、そのブックレットで初めて全図が紹介された。今はネットでザッパの製作どおりの色合いで見られるが、その現物を所有するファンは日本にいるだろうか。その地図で興味深いのはライヴハウスの位置情報以外に、爆発の煙が立ち上る場所がたくさんあることだ。ウィスキー・ア・ゴー・ゴーのすぐ近くでもそれは記され、60年代半ばのロサンゼルスは不穏な空気が流れていたことがわかる。『フリーク・アウト』でザッパは「トラブル・エヴリ・デイ」という曲を発表して自ら歌った。そのトラブルは前述の地図上の煙が立ち上る場所が示すように暴動を指す。大きなそれは65年夏にロサンゼルス南部のワッツ地区で生じた。警察による黒人差別問題が根底にあり、黒人は不等に差別されていることを抗議してのことで、多くの死者や負傷者が出た。同様のロサンゼルスでの暴動はザッパの最晩年にも生じ、韓国系アメリカンが発砲する映像が盛んにTVで紹介された。いつまで経ってもアメリカの多くの黒人は貧しいままという状態がそこからは見えそうで、何年経ってもアメリカの本質は変わらないようにも見える。時代が進めば何もかも事態は好転するかと言えば、そのような楽観主義は通用しないことを今の若い世代はよく知っている。昔はよかったかもしれないが、今は決してそうではないという不平感は日本では毎年顕著になっているだろう。前述のマップは中央に警官3人がひとりの男性を捕らえようとしている写真が載る。これは盗みを働いた黒人を逮捕する瞬間だ。写真の上に逮捕者の言葉として「パストラミがほしかったんだけだ」とあって、警官は「黙れ アホ!」と叫び、空腹の黒人が万引きを働いたことが想像出来る。
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 「パストラミ」の言葉は最後のアルバム『文明、第3期』でアンサンブル・モデルンのメンバーが口にする。同楽団員がザッパを交えた雑談で漏らした言葉に過ぎないが、ザッパがその発言をアルバムに使ったことは『フリーク・アウト』を思い出したからではないか。それに同じ頃にロサンゼルスでまた黒人の暴動が生じ、65年と同じように発砲があった。『文明、第3期』には発砲音も曲に使用されている。それは84年のイタリア・ツアー中にシチリア島でのライヴで収録されたもので、客が暴れて軍が出動して鎮圧のために催涙ガスを発砲し、ザッパのコンサートは途中で終えざるを得なくなった。話を少し戻すと、60年代半ば、ザッパが暮らしていたロサンゼルスで暴動があったことを作曲に反映したものの、黒人メンバーの起用はまだなかった。しかしベースのロイ・エストラーダはメキシコ系、ジミー・カール・ブラックはインディアン、またマネジャーのハーブ・コーエンはユダヤといったように、多様な人種のグループであった。そのことはマザーズを取り巻いたグルーピーにも言える。『ホット・ラッツ』のアルバム・ジャケットに登場したクリスティーン・フルカは名前からして東欧系、映画『200モーテルズ』にも登場するルーシーはプエルトリコから来たことが本作のブックレットからわかる。また今回その中の解説者のひとりとなったパメラ・デ・バレは後にロック・ミュージシャンと結婚してそのフランス風の名前を名乗り、離婚後も改名しなかったが、元はパメラ・アン・ミラーと名乗った。彼女が解説で言及するヴィト・ポウレカスやその舞踊グループに所属していたカール・フランゾーニも東欧やイタリアからの移民の子であることは明らかで、60年代のロサンゼルスのアングラ文化は多国籍人によって形成されていたことがわかる。そうした文化を代表する人物たちが「フリーク」で、ザッパは音楽畑でその一員を自覚したが、不当に差別される人々の側に立ったのは言うまでもないとして、やはり目立つ存在になるには才能と努力と考えていたことは確かであろう。あるいは官職に就かないのであれば職人や自由業として生計を立てるしかなく、またそれは望むところであったろう。そうなると同業者から抜きん出るには並み以上の努力では不十分であることを自覚していた。黒人差別問題は後年アファーマティヴ・アクションによって黒人優遇措置が取られるようになったが、ザッパはそれには懐疑的であった。努力しない者を優遇するのは逆差別との思いがあったからではないか。オリジナルのマザーズを解散した理由のひとつもほとんど楽器を演奏出来ないメンバーが混じっていたからだ。先の地図で東西のビヴァリー大通りと南北のラ・ブレア大通りの交差点南東角以東を「文化的砂漠」と記す。もちろん一戸建ての瀟洒な住宅が並ぶ地域で、文化は雑多雑様から生まれる思いがザッパにはあった。
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 ザッパは20歳を少し過ぎた頃、ある男性の依頼で部屋に連れ込んだガール・フレンドにポルノを演出した声を出させて録音したところ、その男性は刑事であることを明かし、ザッパを猥褻物製造の罪で逮捕した。その事件によって警察や権力への不信が刻印されたと思う。『フリーク・アウト・ホット・スポッツ』には点在する警察署の位置が明示され、表向きはこの地図を片手にハリウッドを訪れる人が暴動などの危険なことに遭遇すれば、安全地帯として駆け込むのにつごうのいいためのように見えつつ、奇妙な格好で歩くと警官に尋問される可能性があることを注意喚起する意味合いが強い。ザッパやパメラのようなロック・ミュージシャンとその取り巻きは、「文化的砂漠」の住民や警察官にとっては眉をしかめる存在であったことを自覚しつつ「フリーク」を自称した。それは芸で生きる覚悟を持つことであって、その若者文化を理解しない連中が「文化的砂漠」に住むと考えることは極論と言えないこともないが、ザッパが言わんとしたことは、ブルジョア嫌いのモーパッサンと同じで、ブルジョワは金儲けにしか関心のない俗物や成金であるとの思いだろう。しかしそういうブルジョアにも文化はあるし、最新のロックに強い興味を抱いて地元のアングラ・ロックを聴くためにライヴハウスに足を向ける者はいるだろう。それを充分理解しつつ「文化的砂漠」とするのは、ザッパが最先端のアメリカ文化の一翼を担っている自覚があったからで、いずれ有名になって金も儲けるという決心につながったろう。本作の録音当夜、タートルズやストーンズのメンバーその他の有名ミュージシャンが来たと言うが、同業者意識の一方で競争を自覚したろう。実際人気商売はいかに目立つかだ。アングラのミュージシャンとして出発しながらもアルバムごとに名を高め、ニューヨークでの滞在から戻った68年春には西ハリウッドの北方の山手の大きなログハウスに住み、娘のムーンのベイビーシッターとしてクリスティーン・フルカを雇い、彼女はパメラなどの同世代の女性と一緒にザッパと契約してアルバムを発売するまでになる。ザッパの妻のゲイルはウィスキー・ア・ゴー・ゴーの秘書をしている時にザッパに見初められたが、同じ時期にクリスティーンやパメラと出会っていればゲイルを選んだかという興味が湧くが、ゲイルを妻にしたことはザッパがかわいらしくてしかも秘書の役割が出来るしっかり女性が好みであることを示し、クリスティーンやパメラは愛人にはいいとしても妻には向かないと思ったのではないか。クリスティーンは編み物好きで、自分で縫製した奇妙な飾りの多い服を着ることを好んだが、それだけの取柄しかないことを自覚していた。彼女はまたアリゾナからロサンゼルスに出て来たばかりのアリス・クーパーに惚れ込み、ザッパに契約を持ちかけ、ザッパはすぐにそれを了承する。
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 本作のブックレットの最後にアーメットによるそのアリスへのインタヴューがあるが、それについては明日触れるとして、本作の収録曲について説明する。5時間のライヴとなればザッパはショーを二度披露したのだろう。ザッパのライヴは2時間から2時間半が普通で、また同じ曲を同じ順でほとんど演奏しながら毎回演奏時間の半分ほどは即興演奏となったが、本作にはその特徴が垣間見える。ヴォーカリストのレイ・コリンズの出演は珍しく、彼の甘い、いかにも50年代のロック風の声はラヴ・ソング向きで、マザーズでは限定的にしか出番がなかった。彼の風貌を捉えた写真は少ないが、本作のジャケットの白黒写真ではザッパのすぐ背後に控え、あまり特徴を伝えない。同じ場所で同じ時刻に撮影されたカラー写真がブックレット裏面にあって、そこではレイは帽子を取り、かなり額が後退した顔を見せている。このカラー写真によって、ウィスキー・ア・ゴー・ゴーの建物が肌色と淡い紫色の二色で塗り分けられていたことがわかり、その配色が本作CDの盤面デザインに転用されている。ニューヨークのガリック劇場でマザーズが演奏した間、レイはメンバーから外れていたと思うが、それもあってか、アルバム『金こそ目当て』ではザッパが声色を変えてヴォーカルを担当し、華やかな歌声のレイの出番はますますなくなっていた。つまり時代遅れになっていた。猥雑さをひとつの売りにするからにはそうで、あえてレイに歌わせるとすれば『いたち野郎』の収録された「オー・ノー」くらいなもので、同曲はザッパがレイに歌わせた最高傑作だ。話を戻すと、本作の半分は『フリーク・アウト』に収録されたヴォーカル曲と『アンクル・ミート』などで収録されるインスト曲で、残り半分はザッパの指揮によるメンバーの混沌とした、調性のない即興演奏で、全体として後年のステージのショー仕立てとほぼ同じと言ってよい。違うのは混沌さの具合が過激で、しかも長く演奏されることだ。70年代すなわちオリジナルのマザーズ以降はその混沌さはほとんどなくなる。時代の変化はより速度を増し、それがザッパの変容の速度に呼応して、冗漫すなわち退屈と思われかねない演奏を排除して行ったからだ。そのことはオリジナルのマザーズ特有のみな文句を言いそうなメンバーがザッパの言いなりになるメンバーと交代したからで、その分マザーズが面白くなくなったと見る向きは理解出来る。だがザッパは優れた演奏技術で誰も模倣不可能な真のフリークとでも言うべき曲の演奏を目指した。それは嘘の徹底した排除で、ザッパはより真面目、真剣になった。演奏ミスや冗漫さはただちに客に伝わる。それはミュージシャンとして命取りになる。画家でも同じだが、何千本の線から成る1枚の絵画に1本のだらけた線があればそれは駄作であって、たちまちその画家の実力のなさがわかる。続きは明日。
●『LIVE AT THE WHISKY A GO GO』その2_d0053294_00562227.jpg


by uuuzen | 2024-06-28 23:59 | ●ザッパ新譜紹介など
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