「
3割の 値引き横目に 時計見る 間もなく貼らる 半額シール」、「経済を 回すと言いて ひとり占め 怖いものなし 政治の家業」、「道楽と 言われて笑う 確かにと しかし苦はあり 楽なお大き」、「音楽は やるも聴くのも 真剣に 楽しみの道 そのほかになく」

PROGはプログレシッヴ・ロックの略で、筆者は大阪の松本和樹さんが企画するライヴの名称で初めて知った。松本さんは一時期「変拍子」という謳い文句も使っていたが、PROGは変拍子の曲があたりまえで、簡単に言えば踊りにくい、ややこしい曲だ。「プログレッシヴ・ロック」の名称は60年代末期に登場したと思うが、それから半世紀以上経った現在、そのジャンルに含めてよい曲を演奏するバンドが多いのかとなると、バンド事情に全く詳しくない筆者にはわからない。それで松本さんが企画するライヴにごくたまに接して知識を得ているが、昨日大阪中津の阪急電車ガード下のライヴハウス「Vi-Code」で松本さんとしばし話したところ、コロナ禍以降、バンドの活動は戻ったものの、観客が減少しているとのことだ。松本さんの企画も同様のようで、一昨日は70名ほどであったのに、昨日は25名であった。ひどい雨が大きな原因としても、ライヴの集客の難しさを実感することになった。またチラシはほとんど効果がなく、SNSに頼るべきとのことだが、SNSでどのように宣伝すれば効果的なのかわからない。松本さんの作った今日の2枚目の画像のチラシが少々地味ではないかと意見しようと思ったが、デザインを専門家に委ねると出費が嵩む。今回のチラシは4日間のライヴ共用で、毎日4つ、計16のバンドが登場し、どれも松本さんが個人的によく知っている。筆者はそれらのバンドのうち、いくつかのライヴを見たことがある。昨日はザッパ絡みのバンドばかりが出演するので、筆者はついでにゲスト出演という松本さんの思惑であったのだろう。今回の出演依頼は去年の春にあったが、いい日取りの会場の予約は1年前からするのが得策のようだ。松本さんにすれば好きなバンドのまとめての紹介は自身の1年の最大のお祭りなのだろう。今回のチラシには「サンクスギヴィングング」とあって、秋のキリスト教の感謝祭の油彩画の画像を使いながら、出演バンドへの「感謝のお祭り」という意味だろう。先にチラシが地味と書いたが、16のバンドすべての画像を1枚に印刷することは無理で、それで日時と出演バンド名のみとなったのは仕方のないところがある。一昨年の夏、松本さんから筆者の名前も含めて、バンドのロゴをちりばめてTシャツにプリントするので、協力してほしいと言われた。承諾はしたものの、何のことかよくわからず、そのままにしていると、1年経った去年また同じことを言われ、『そうか、バンドのロゴマークのようなものを提供すればいいのか』と、ようやく思い至り、早速筆者の印章画像を送信した。

それはネットでも公開しているが、どれほどの大きさがいいのかわからず、昔のデジタル画像らしい雰囲気で描いた。それはともかく、今回松本さんとは大阪万博の話から大阪の文化についで話が広がり、筆者と同じ考えであることに、彼の性格とそして好きなバンドのライヴ企画にかける意気込みがわかった。わずかな集客では会場費や出演バンドへのギャラがどうなるのかと心配するが、そこまで踏み込んだ話はしていない。若い画家が個展しても作品はほとんど売れず、赤字は当然であるから、松本さんや出演バンドもそのことはわかっているだろう。運よく客入りが予想より多ければ、わずかであってもギャラは出るし、そのわずかな金額でも出演者は嬉しいものだ。今回オープニングに際して松本さんは音楽を50年聴き続けて来たことへの感謝としてライヴを企画したと語った。その言葉を聞きながら筆者は60年になると思った。しかし音楽は幅広くて奥深い。特によく聴く音楽は特定のカテゴリー、さらにはその中の特定のミュージシャンとなりがちだ。松本さんと筆者とでは辛うじてザッパで関心の共有があるのみで、そのことを自覚するゆえに今回のお祭りの4日間のライヴの2日目としてザッパ絡みのバンドが揃えられた。つまりザッパはPROGという捉え方で、これは広い意味では正しいが、本来の意味からすれば6,70年代のイギリスの急進的なバンドないしその系譜を濃厚に引くバンドであって、筆者と松本さんとの年齢差が微妙に好みの音楽に反映している。あるいは筆者と同じ年齢のロック・ファンがザッパよりもイギリスのPROGに心酔し、今に至っている場合はあるはずで、筆者はそういうロック・ファンとはおそらく話はほとんど噛み合わない。これはロックの音楽性における英米の差が大きく、そのどちらを好むかという問題ゆえだが、ロックを聴き始めた頃にあるミュージシャンやグループのファンになると、たいていは深掘りをして他の遠いバンドに関心を持たなくなるからだ。その点、松本さんはザッパにも関心があって、PROGの範疇に含む音楽は数多いのだろう。しかし大阪でのライヴとなると、大阪を中心としたバンドが主になるのは致し方のないところだ。昨日は東京のPROGバンドはどういう状態にあるのかと素朴な疑問をぶつけたが、話が飛躍し過ぎて松本さんは面食らったであろう。また東京に興味深いPROGバンドがいても、彼らを大阪で演奏させることは旅費の面からハードルが高い。ザッパ・ファンの畠中さんともしばし話したが、今月の10日の京都でのザッパニモヲの演奏時の客は他に2,3人ではなかったろうか。今日の最初の写真は、左がその10日のライヴで配布した筆者手製のお土産で、右が昨日配布したものだが、25部用意し、客数と同じとなった。この2枚の絵はここ数年毎年育てている鶏頭の種子蒔きである一方、ザッパつながりでもある。

さて、午後2時に会場入りしてほしいと言われ、そのとおりにしたが、リハーサルは不要で、すぐに用事で宝塚に行き、3時間後に戻った。筆者には30分が用意され、去年の段階では松本さんからのインタヴューとなっていたが、先日『ザ・イエロー・シャーク』のコンサートについて話してほしいと言われた。ステージ上のスクリーンに映写出来るとのことで、早速その画像資料を選別し、38枚を用意した。それらをグーグルのマイドライブにアップし、そのファイルを松本さんと共有設定した。その作業に1週間ほど費やしたのは、どこへ行ったかわからない資料を探し続けたためだが、結局わからず仕舞いとなっている。ザッパが来日した1976年の新聞記事の映写から始め、筆者が31歳の時に書いた最初のザッパについての文章「大ザッパ大雑把論」の原稿複写写真、そしてそれが掲載されたLPやその後のCD時代のポスター紹介などで前半を終え、後半は91年に初めてわが家で話をしたイギリスのサイモン・プレンティスさんの紹介があって実現した、92年に息子を連れて訪れたドイツのフランクフルトでのアンサンブル・モデルンによるザッパの『ザ・イエロー・シャーク』公演の話に移り、またその時に知り合ったドイツのザッパ・ファンを通じての文通と資料入手などについて語った。時計を見ていなかったが、30分を過ぎたと思う。写真の映写は、松本さんのスマホを機材につないでのことで、筆者の指示で次々に画像を変えてもらった。これまで書いたり話したりして来たことばかりだが、改めてザッパと会った33年前のことやそれに至る経緯を思い出すと、運命と呼びたい何かがそこにはあったことを実感する。その運命とは結局人との出会いにほかならない。疎遠になった人もいれば死んだ人もいるが、一方では新たに知り合う人もいる。つまり運命は死ぬまで持続中であり、場合によっては死んでも続く。誰しも年齢を重ねることで新たに見えて来ることがある。用意した38枚の写真は折りを見ながら新たに加え続けたい。となれば、筆者にとってのザッパとそのつながりの人々との出会いなど、新たに何か書ける気はしている。そういう話を聞きたい、読みたい人がいるかどうかは考えない。自分が知らないだけで優れた読者はいるものだ。書き手の自分が一番偉いと自惚れるとたちまちろくでもない文章になる。これはどのような表現行為でも同じで、高をくくるとそれ相応の卑しいものになる。今回のライヴは若い女性が目立ったが、最初のバンドの出演が終わると一斉に姿を消した。彼女らはザッパの音楽を知らないだろう。となれば筆者のザッパについてのトークも興味がないうえ、聞いたところでほとんど意味不明のはずだ。ザッパの音楽は古く遠くなったと言いたいところだが、それは古典になった、すなわち学ぶべき規範のひとつとなったということだ。
