「
痙攣の 踊りのごとき 人生を 顔をひきつり 神は見たまふ 」、「一路でも 山と谷あり 苦楽あり 紆余曲折の 人生の道」、「分かれ道 選んだ先も 分かれ道 さらに進んで いずれ途切れて」、「真実は 自分次第と 早合点 揉まれ続ける 人生知れば」

山本有三の小説『真実一路』は小学3,4年生で存在を知った。WIKIPEDIAによれば発表された昭和11年直後から映画化され、TVでもドラマ化されたが、筆者は昭和36年(1961)にNHKで全1話として放送されたものを近所の人の評判で知ったのだろう。当時10歳頃だ。わが家にTVが来たのは父の従弟に母が無理を言って届けてもらった中古で、東京オリンピックの前年の1963年であった。両親が揃った近所の家庭ではその数年前から普及し始め、筆者や妹は夕方になると「見せて~」と言いながら3軒隣理の家の玄関ドアを開けながら声をかけ、中に入れてもらった後、正座して遠慮気味に見せてもらった。夕餉時で長居は許されず、いつも30分程度であったと思う。家内工場の経営者が多い地域で、「こーちゃん、これをなあ、こうして順番に積み上げながらテレビ見いや」と言われ、時には家業のちょっとした手伝いをしながらの鑑賞であった。よく覚えているのは小学3、4年生の頃、確か4チャンネルの午後5時か6時のニュースの冒頭映像と音楽だ。TV塔を画面中央に映しながら管弦楽団による勇ましい行進曲のようなテーマ曲が流れた。その10数秒の曲は明らかにもっと長い曲の部分をつないだ不自然さが途中に一か所あって、オリジナル曲なのかどうかいまだにわからないままでいる。メロディをよく覚えていて、家内に向かって口ずさむも、知らないと言われる。そのニュース番組を家内の家族が見ていなかったのか、あるいは見ていても筆者より2歳下の家内は小学1,2年生で記憶にないだろう。筆者は生まれて間もない頃からの記憶があり、2,3歳の記憶は鮮明だ。そのひとつに、当時つまり上の妹がまだ生まれない頃、父の膝に乗って甘えていたことをよく思い出す。どういう経緯か、筆者が「テレビが見たい」と言うと、父は「本当はテレビジョンと言うのだよ」と教えてくれたが、内心『それくらいは知ってる』と思った。父は向かい側に叔父を座らせ、丸いお膳の上に置かれた海老茶色の卵が詰まった蟹を肴にキリンビールを飲んでいた。そのビールのきつい香りが筆者の顔にかかったこともよく覚えているが、瓶のラベルの麒麟のたてがみの間に「キ・リ・ン」の小さな三文字が点在していることを父に指摘され、「これは偽造防止のため」という言葉も忘れられない。膝に乗った時以外の父の記憶はあまりないが、上記のようにテレビ、蟹、キリンビール、そして厭らしいほどに父に甘えている自分の姿を自覚していたことは今もよく思い出す。父は不在がちで、その場は久しぶりに父が家にいたので存分に甘えようとしたのだろう。

「親はなくても子は育つ」と言う言葉をその頃から知っていた。全くそのとおりだ。筆者は父のことをほとんど知らずに成長した。いなければいないでどうにかなる。またどうにかして誰しも生きて行かねばならない。親の愛を知らずに育つと歪な性格になるとよく言われたし、世間ではその考えは今も健在だろうが、何事も人によりけりだ。経済的に何ひとつ不自由せずに育ってもろくでもない人物になることも大いにある。そういう実例を筆者はよく見て来た。話を少し戻すと、上記のTVを見せてもらいに通った家には筆者より3歳下の娘がいて、やがて7,8歳下の弟が生まれた。両親はその息子のTを「こーちゃんにそっくりでおとなしい」と言っていたが、7,8歳も年齢が離れると筆者は関心がない。「こーちゃんに似て」と言われるのが少し不満であったのは、Tの顔を見て学校の成績はさほど芳しくないことがわかったからだ。Tは10代後半になってビートルズを聴くようになり、その母親は「やっぱりこーちゃんに似ているわ」と言いながら、「レコードがいらんようになったら息子にくれへんか」とせがまれたことがある。どの程度のファンであるかも何となくわかっていたので聞き流した。それから20数年経った頃か、筆者の母からTが市内の阪急三国駅の商店街でうんど屋を開いたことを聞いた。店の屋号を頼りに、ほどなくして家内と出かけ。Tは昔とは面影が急変し、筋肉が目立って逞しくなっていた。筆者のことを覚えていてくれたが、筆者はTが昔の頼りなさそうな子どもとは全く違い、また顔もあまり覚えていなかったこともあって、感心しながらも『こーちゃんそっくりと言いながら、うどん屋か』と、かつての筆者の人物観察が正しかったことを思った。筆者なら絶対にうどん屋にはなりたくないからだ。Tの両親は学業優秀な筆者を表向き褒めながら、自分の息子はどんなに立派になるのかと期待をかけたのだ。当然のことだ。そして勤務人にならずに商売でひとり立ちしてほしかったのだろう。その親の期待にTは応えた。ビートルズを聴きながら小麦粉を足踏みする気持ちの余裕、もしくは弛みはなかったはずで、年齢の割に老けた、そしてあまり面白くなさそうな表情であったことを思い出す。手伝っていた奧さんは無口で細身の美人で、愛想はなかったが、それがかえって好感が持てた。そのうどん店が市内の別の場所に転居したことをやがて母から聞いた。屋号が変わり、母の記憶も曖昧で、店は探しようがなかった。両親は筆者の母よりかなり若くして死んだが、うどん屋を経営するTのことを喜んでいたであろう。Tは筆者のTVの原体験のひとつをこうして書いていることを夢想だにしないはずで、筆者にしてもTがその後どれほど商売で成功したとしてもそれを知るすべがない。人生は曲がりくねりながらも一本道で、配偶者の伴走も限りがある。
山本有三の小説は『真実一路』以上に『路傍の石』が有名ではないだろうか。前述の3軒隣りの家で筆者は『路傍の石』のTVドラマを見た記憶がある。それについてはいずれ同著の感想を書く時に触れる。さて、『真実一路』はあまりに有名で、それだけに読む必要はないと思っていた。本を読まなくても映画やTVドラマがあればそれで事足りるとも考えたからだ。しかし大人になると小説は小説、映画は映画であることをはっきりと知る。幼ない頃の心残りを少しでも解消するためもあって、1か月ほど前にネット・オークションで『真実一路』の初版本を買った。読むなら初版と決めていた。それにはいくつか理由がある。まず挿絵が近藤浩一路によるからだ。装丁は「南澤川介」と記され、これはWIKIPEDIAによれば建築家の白井晟一であることがわかる。山本有三と近藤のコンビ体制がいつ始まったのか知らないが、『真実一路』の前年に出版された短編集の『瘤』でも近藤は挿絵を描いているが、山本は近藤の技量の評判をもっと以前から知っていたのだろう。『真実一路』のその後の文庫本などでは近藤の挿絵がどう扱われているのか知らないが、やはり初版本を見るべきだろう。白い箱入りで、白井の
『無窓』やその後に出版された
『近藤浩一路画集』と体裁がそっくりだ。今日の最初の写真からわかるかどうか、表紙は鶯色のわずかに小さい和紙を全体に貼ってある。活字は大き目で読みやすく、箱は3センチの厚さがあるが、造本がしっかりしていて背割れはしにくい。挿絵の数は多くないが、それだけに印象的で、50歳頃の近藤の画風がよくわかる。1頁大のほか、見開き上部にわたってのパノラマ、言い変えれば絵巻風の挿絵がたぶん半分ほど占め、そのどれもが映画の数秒続く画面のような味わいがある。『近藤浩一路画集』の投稿でも書いたが、近藤の絵はモノクロ写真ではなく、モノクロ映像を思わせる。それは映画時代の画家であるためか。面白いことに『真実一路』でも山本は3、4回、登場人物が白黒の数コマのフィルムを見るような気分を味わう場面を描く。またこの小説には映画を見る場面も描かれ、映画が筋立ての重要な要素、さらには山本に大きな影響を及ぼしたであろう。山本は小説以前に戯曲をよく書いたようで、この小説でも登場人物の語りが半分以上を占めている。その意味で映画化はしやすかった。元は婦人雑誌に連載したもので、毎回それなりに山場を作る必要上、一冊の本にまとまると一気に読んでしまえる勢いがあり、またそれだけに読後はさして記憶に残りにくいとも言えるが、人生経験を経るほどにまた違った見方が出来て新たな魅力もわかるに違いない。それが名作と言われるゆえんで、平易な言葉で淡々と描かれる物語には凄味がある。あまり内容を詳しく書くと読む気を起させない可能性が強まるので、特に気になったことだけを今日は書く。

小学校5年生の男児の守川義夫が主人公だ。主な登場人物はその姉美津子と両親の義平と睦子、母の弟で日本画家の青香、母の若い情人で発明家の隅田、姉の婚約者の大越、義夫の1年先輩の角井に過ぎず、それぞれ性格づけがよく出来ている。特に注目するのは青香と角井で、青香は多分に近藤がモデルになっている。油彩をやめて日本画家になったこと、黒い絵ばかり描いて売れないことがそうだが、三度結婚して別れて今は独身というところは違う。この小説が出版された昭和11年の有名画家の代表として、本書は洋画家では藤田嗣治、日本画家は竹内栖鳳を挙げている。ふたりの猫を描いた複製画を睦子が経営する場末のカフェの猫がいる部屋に飾られていることが書かれるが、睦子はそうした有名画家を知っているほどに教養があることを読者は知る。そのふたりの巨匠に比較される青香を近藤浩一路とみなせば、近藤の乏しい名声が山本によって公表された形になるが、当時実際近藤はあまり売れない日本画家で、小説の挿絵画家程度との一般的評価であったかもしれない。それはさておいて、青香は自由奔放に生きる姉と似つつも話のわかる好人物として描かれ、自作が売れないことを何とも思っていない。その点は山本が近藤と話した結果、その人柄を反映させたものではないだろうか。ところで谷崎潤一郎の『細雪』にも有名画家の名前が出て来る。美術ファンならわかるそうした画家の画風は小説に彩を添えているが、そうした画家の作品を知らない人には読み飛ばされ、小説の持ち味のある部分は理解されないままに終わる。しかしそうした軽視は著者以外の人には誰にでもあるものと言ってよく、作品は作者本人にしか完全にはわかりようがない。それで通俗的な作品はごく一部の人にしかわからないようなことは盛らないように工夫する。あるいは著者の視野が狭いのでそうなるしかない。本作は子どもでも読み終えられるが、藤田や栖鳳の猫の絵云々の下りは記憶しないだろう。すると睦子の出自に理解が及びにくい。つまり、通俗的に見えてそうではない側面があって、前述のように経験を積み重ねて読むと目につくことが多いと思う。開高健は子どもが登場する映画を評価しなかった。その伝で言えば義夫が主人公である本作は開高には問題とする価値がなかったであろう。義夫はごく普通の、あるいは成績は並み以下で、秀でているのは走る能力が他の子より優れるだけだ。その平凡さでは主人公になり得ないが、夭折すると言ってよい両親の複雑な問題を背負わせながら、読者に対してこの小学5年生の男児がその後どういう人生を歩むのかと一種暗澹たる気持ちにさせたまま幕を閉じる。その読後感はトーマス・マンの
『魔の山』に通じるところがあって、山本はショーペンハウエルの厭世感に共鳴していたのかと思わせるが、小説が書かれた時期を思えばやがてやって来る戦争を予感していたのかもしれない。
義夫は印象は薄い。それに引き換え、義夫に接近して手下のように扱う角井は義夫とは別世界の人間で、山本有三のある部分をおそらく濃厚に反映しているだろう。角井は市会議員の息子で成績は常に一番、誰も怖い者がない。義夫の小遣いをしばしば巻き上げながら、たまにそのお金以上の品物を与える。自分が飽きたものは高価であっても手放して惜しくないのだ。角井の父には妾が数人いて、角井は彼女らからも小遣いをもらうなどして経済的に何ひとつ不自由がないが、素朴な義夫に近づいたのは孤独を共有していることを感知したからだろう。角井は義夫に歴史は地球を傷つけることで、戦争がその例と言う。大量殺人をしても英雄と称えられることの矛盾を思ってのことだろう。人間は他者をより多く傷つけたものが褒められ、歴史に名を残す現実を早々と知り、角井は生に幻滅を感じていると言ってよい。角井の本質は最晩年のマーク・トウェインが抱えた人類や歴史に対する幻滅とかなり等しく、底知れぬ深い孤独が角井に憑りついている。しかしそのように大人びた少年もまた普通によくいる。義夫は両親の複雑な事情もあって落第してもう一度5年生となるのに、角井はさっさと首席で卒業し、府立の中学に行ってしまい、ふたりの関係は1年かそこらで終わったように描かれる。角井を主人公に別の小説が考えられるが、山本ならどう描いたか。市会議員の息子で成績抜群、しかし他人のものを平気で盗み、陰で悪さをしても自分なら絶対にばれないという自信のある子はいつの時代にもいるだろう。そういう子が有名大学を出て官僚や政治家になるというお決まりの出世コースを歩むのが現代日本と思うが、山本は決してそういう国家をいいとは思っていなかったはずだ。というのは本作の冒頭近くにちょっとした政府批判があり、それは当時としてはぎりぎり国民の側に立ったまともな意見で、政府としても本の出版時にその箇所を削れとは言いにくかったかあるいは注意することを忘れたのではないか。それはともかく、本作からいつの時代も政府は愚かなことをすることを知るが、今は政治家はもっと質が落ちているのではないか。話を戻すと、本作の中心となる筋立てからは国家がどうのという問題は排除されている。中心の主題は「真実一路」で、誰の人生も結局はそのようにしか生きられない真実の一路であって、その真実を当人がいかに見定めるかだ。それはたいていは諦念と言えるものと思うが、好意的に捉えればこれだけは絶対に譲れないという、いわば「我儘」をいかに貫き通すかであって、義夫が長じてそのことに気づくかどうかは読者の最大の関心事となるだろう。その意味では角井も同じだが、彼は義夫とは違って取り乱す姿を見せず、世間を冷めきった目で見ていて、親の後を継いで政治家になる可能性が大きい。あるいは山本有三のような小説家か。

これも以前に何度か書いたが、また書いておく。前述したTVを見せてもらいに通った家とは反対方向の隣家にSさん家族が住んでいた。木造平屋の貧しい家に夫婦と息子ふたりがいて、弟は筆者の2,3歳年長で、筆者をとても可愛がってくれた。筆者が小学生であるのに一目置いてくれて、「こーちゃんは中学になるともっと目立って成績もよくなる」と言ってくれたことがある。実際そのとおりになって、自慢ではないが、筆者は学校では先生たちからも注目された。それはさておき、彼は兄とよく似て長身で、とても物静かで真面目であった。父親もそうで、毎朝自転車で仕事に行き、夕方はいつも同じ時間に帰宅した。そのことを筆者はある日、母から指摘された。「もうすぐお隣りさんが帰って来るで。」するとその言葉の1、2分後に自転車のブレーキ音が聞こえる。毎日きっかり同じ時刻で、母はこう言った。「伝書鳩やな。そんな人生のどこが面白いのやら…。」母は面白みのない男の代表としてSさんを見ていたのだ。夫であれば真面目に働いて家族を養うのは当然だ。今はそういう男でなければ結婚は嫌と考える女性が多いのか少ないのか、筆者にはわからないが、男も女もいろいろで、筆者の母にとって真面目に働くだけの伝書鳩夫は嘲笑の的であった。これは男なら一発大きいものを当ててやろうという野心がなければ魅力がないとの考えで、狩猟的だ。筆者は母方が農民、父方が漁民で、真面目に努力する性質と、大きいものを当ててやろうという射幸心を持っていると自覚する。前者だけでは平均的な落ち着いた暮らしをまっとう出来るが、それでは面白くない。そう思うところは母の思いを受け継いだのだろう。Sさん家族は真面目を絵に描いたような一家であったが、目立つ才能がなければそう生きるしかない。大部分の人たちがそうかもしれない。そうであるからこそ国家は運営出来るが、本作の角井は真面目だけが取り柄の人物を内心唾棄したろう。それで義夫をそそのかして金をせびり、家から盗んで来いとまで命令するが、それは金がほしいこと以上に自分の忠実な下僕をしたがえたいからだ。角井から言われるままの義夫は両親がいなくなった後、どのような大人に成長するか。姉や親類がいるので道に外れた大人にはならないだろうが、心に巣食った巨大な孤独をどう癒すことが出来るか。角井のような頭脳明晰で大金持ちならば、悪党の側面を持ち合わせていても世間では有名、成功者として生きて行くが、義夫のように自慢するものが何もないも同然の、複雑な家庭事情のある子は真面目に働くしかない。もちろんそれでいいのだが、筆者の母の男に対する見る目、あるいは義夫の母の行動を知ると、何が真実であって、その一路を貫き通す人生がどういう巡り合わせで、運よく、あるいは逆に運悪くやって来るかの現実生活におののくだろう。

筆者は家内と知り合って半世紀になる。家内と一緒になることはハードルが高く、それで駆け落ちしたが、その時の覚悟、決心は人生最大のものであった。何が何でも家内と一緒になるという思いを貫いてその後の人生、現在がある。これは本作で言えば義夫の父の義平が死ぬ間際にしたためた遺書に綴った後悔とは反対のベクトルで、筆者なりに真実の一路を貫いた。義平もそう考えての睦子との結婚であったが、睦子は義平に心を許さなかった。真面目だけが取り柄の義平はいくら誠心誠意睦子に尽くし続けても、睦子にはそれが却って嫌気が差す理由となった。山本有三は小説家であるから、真面目だけが取り柄の義平を面白みのない男の代表と思っていたのではないか。会計士のどこが面白い仕事なのかという思いは筆者にはよくわかる。税理士、会計士、銀行員など、筆者とは別世界のつまらぬ人間が携わる職業と思っている。数字の間違いのない計算に明け暮れる人生のどこが楽しいのか。3の記入が4であっても世の中が変わるというのか。ある人が株で数億儲けたと聞いても筆者は何の興味もない。その数億が数十億でも当人の人生はどう変わるというのだ。死期を知った義平もそんな気持ちであったのだろう。そして自分の人生を否定するが、それはまだましで、死の間際に自分は睦子から嫌悪された理由を自覚する。その父の遺書をいずれ読む義夫は父のような生き方をしないかどうかだが、そこは読者の想像に任される。半分は睦子の血が流れているから、義平と同じような人生は歩まないだろうが、こつこつ真面目に働くことを嫌がる人物は世間からは基本的には受け入れられない。そこで母の弟の青香のように自在に女を変えながら画家として生きるかとなれば、そこには才能の問題がある。学校の成績が平凡以下の義夫はそれに応じた人生を歩むことになるが、それはそれで仕方のないことだ。しかし本書を読み終えると、義平と睦子の子であることは両極端に分かれた性質の間にあって義夫のその後の人生の過酷さ、暗さを思わないわけには行かない。だが、現実は小説よりも奇で、本書を知ってもっとひどい境遇を思う読者は大勢いるだろう。そういう人々にも山本はとにかく無我夢中で頑張りしかないことを主張する。そのように生き続ける過程で新たな境遇が展開する。それは新たな人との出会いでもたらされる。義夫で言えば、彼が思春期にどういう女性と知り合うかだ。それは全く別の話になるので本書では問われない。しかしひとつのヒントめいたことは描かれる。それは姉の志津子の結婚話が破談することだ。志津子はたまに未練がましく見合い相手の写真をこっそり見るが、両親が亡くなった後、義夫の姉としての自覚を新たにし、結婚はどうでもいいと思うに至る。それも別の小説で展開されるべきことだが、睦子の場合と同様、女にとって結婚が最良の道とは描かれていないことは着目すべきだ。

山本は本作の全体図を最初に構築して書き進めたのだろう。その複雑と言ってよい人間関係の着想は本作で志津子と婚約相手が一緒に見たドイツ映画『黒鯨亭』にあるかもしれない。筆者はその映画を見ていないが、あらすじが青香によって語られる。そして志津子はその青香の暗示によって出自を初めて知るが、それは弟の義夫が後で知るはずの驚きよりは小さかっただろう。結婚の適齢期の大人であれば、親の事情は理解出来るからだ。ところがまだ小学生の義夫には知られてはまずい。そこでまた思うのは筆者自身のことだ。筆者はかなり複雑な事情の下に生まれ育った。そのことをたまに家内に話すと小説以上の現実にいつも驚く。そうした大人のややこしい事情を10歳になるかならない頃に多く知ってしまうと、その子がどう育つかの見本は筆者自身を含めていくつも見て来た。筆者の近くにいた人々はみな複雑な事情を抱えていたが、それに押し潰された形で早々と20歳になる前に死んだ者もいる。わが家とは比べものにならないほどの金持ちであっても、ほとんど一夜にして家庭が崩壊し、家族がばらばらになった例も見て来た。どの家にも人には言えない事情はあって、それこそ事実は小説よりも奇だが、そういう事情を知る大人は本作に現実らしさを実感するだろう。絵に描いたような幸福な家庭は珍しい。またそれは味気ないものでもある。何がそうかと言えば人物だ。苦労し放っしの人生は面白くないだろうが、それ以上に何ひとつ不自由のない暮らしは、妬みからではなく、傍目には本音で退屈に見える。貧乏人はそう思わねば前を向いて生きて行きにくい。女は経済的に裕福な男に惚れることが普通で、それで妾になることもよくあるが、睦子はそういう女ではない。睦子は40歳くらいの設定で、大学出立てのちょっとした名家の息子の発明家の隅田に惚れ込む。男の可能性を信じてのことだ。それは経済的な成功と名声の双方を勝ち得る可能性に惚れたことだが、そういう女性は卑しいか。逆に健気ではないか。卑しいのはたとえばTV局の女性アナウンサーがさっさと有名スポーツ選手や俳優と結婚することだ。筆者をいわば信じて家を黙って飛び出した家内は筆者の成功を信じたかと言えば、それはなかったはずだ。ただ筆者の目の光に賭ける思いはあったろう。筆者は成功しなかったが、人生はまだ終わっていない。またそう思える間は元気、幸福なもので、筆者は本書の最後の義夫の徒競走を頑張る気持ちと同じようなものを抱え続けている。簡単に言えば無我夢中だ。それを真実一路と本書は言いたいのだが、その真実は人によって異なる。義夫には義夫なりの、睦子には彼女なりの真実があって、どちらもそれを貫いて死んだ。それはどうしようもないことで、義夫は死ぬ間際まで隅田に走った睦子に惚れていた。またそのことを睦子は嫌悪していた。

義夫一家は東京の下町に住んでいる。睦子の経営するカフェは新宿ではなく、たぶん足立区にあって、女給や部屋の描写が生々しい。そういう安っぽい家の一室に隅田の専門書や試験管があるということから、睦子と隅田の関係、隅田の末路が暗示される。本書は東京以外に千葉県南東部の太平洋に面した大原という田舎の海辺、そして群馬の伊香保温泉が舞台として登場し、そのどちらにも睦子と隅田が登場し、義夫は隅田と会う。そのようなまずあり得ない奇遇はいかにも小説だが、それをアホらしい作為とは感じずに『こういうこともあり得るだろう』と好意的に読み進めるのは、ドラマとしては欠かせない『運命の出会い』の醍醐味を味わうからだ。たまたま保養に出かけた辺鄙な海辺や温泉、すなわち普段の暮らしとは違う開放感ある場面転換において本来会ってはならない人物が出会うことは、人生を短く凝縮した作品として描く時は効果を発揮するし、月並みかもしれないが、そうでなくてはならない手法と言える。小説は作り事であるし、読者はそう思って読むが、現実にはあり得ない奇遇が二度もあることに、作り事ではない真実味をかえって感じる。これは誰しも運命的な出会いを希求しているからだ。小説のような人生こそ最上で、その意味でも義平のような真面目一徹の仕事ぶりは仕方なく称えられはするが、誰でも内心退屈と思っている。それはともかく、近藤の挿絵は大原や伊香保温泉の場面を現地取材したのだろう、なかなか印象深い。近藤は水墨の風景画家と言ってよいが、本作では人物を大きく描く場が何度かある。最も印象的なのはカフェでの睦子で、その表情は小説から受ける印象と変わらない。近藤はどのように描けばいいか悩んだであろう。青香は睦子から女を描くことが出来ないと揶揄されるが、それは山本の近藤評でもあるだろう。そこで近藤は大胆に睦子の座像を描いた。一方、義夫は3回描かれるが、表情が一定せず、実際の顔がわかりにくい。それは本作での義夫が親や先生に従順ではあるが反抗的でもあるといった捉えにくさの反映だろう。近藤が挿絵でどう描くか迷ったとすれば、映画やTVドラマでの配役はもっとそうで、それでやはり小説を読んで人物のありようを想像するのがよい。「真実一路」は北原白秋の詩からの引用であることが本書の扉で謳われる。では近藤が本名の浩に「一路」を加えたことも白秋の影響か。そのことをまだ調べていないが、「一路」は「真実一路」の言葉以前によく使われて来たから、近藤は白秋の詩から感化を受けたのではない気がする。白井晟一がなぜ「南澤川介」という名前で本書の装丁を担当したのか。これは白井がどこかで理由を明かしているかもしれない。装丁は近藤の水墨画の挿絵によく似合って無駄がないのに色気がある。今日掲げる挿絵の倍以上の数が初版本には載る。文庫本では挿絵があるのかどうか。
