「
河津から 早咲き桜 広まりし 京でも知られ 弥生の色と」、「夢に見る 知らぬ街にて 知らぬ人 二度は会えぬも 面影残り」、「次々に 知らぬこと増え 忙しき 早めに寝ても 知らぬ道行く」、「喜びは 驚くことと 知る人は 未知の扉を 夢でも探し」

わかってしまったと思う対象には興味を失う。言い変えれば未知のことには興味を抱く。と言いたいところだが、誰しも未知のことだらけで、知らないことを別段恥とも思わない場合は多い。未知のことすべてに関心を抱いてその実相を知ることに努めるには人生はあまりに時間が限られている。それで縁があってたまたま未知の感心する何か、つまり魅力に出会えばそれに意識が集中し、実態を知りたくなる。それが異性ということは普通にあることで、筆者のような高齢者になってもごく稀に「いいなあ」と思う異性が出現することがある。もちろん会って話をした結果のことで、その気になればもっと話をする機会が得られないでもないが、若い頃と違ってそのエネルギーがない。というより無理に気持ちを抑え込んでしまい、親しく、楽しく話をしていることを想像するだけに留めておく。これは女に共通する実体がもうよくわかったからと言える面はある。わかったというのはすべて理解したというのではない。むしろその反対で、女のことは相変わらずよくわからないままで、もうわかりたいとは思わない。わかったと思うのは錯覚で、その錯覚を実感したくないからだろう。それで別の魅力ある何かを相変わらず求めているが、これは夢中になったある対象に飽きれば次に移るという浮気性の側面はあるだろうか。そうかもしれないが、一度夢中になって冷めることは、その夢中になった対象を否定するのではない。一時の熱中から距離を置いて眺められるということで、嫌いになることは筆者の場合は珍しい。それはそれで奧に保存しておきながら新たに別の何かに夢中になる。そのようにして自己の内面を充実させ続けると言えばえらく格好をつけているようだが、そのように思わねば楽しくない。さて、ある何かに急に開眼することは若い頃にはよくあるが、高齢になればそのように心が炎のように燃えることは珍しいのではないか。とはいえ他人の内面についてはわからず、興味もない。ある何かを知らないままで人生を終えることはあたりまえであり、ある日夢中になった存在に対して、感謝すると言えばおおげさだが、その魅力、魔力のようなものに触れ得たことは人生の喜びと思える場合はこれまでの生活とは違って今この瞬間が輝いて感じられるということが筆者にはよくある。その対象に出会えたことはたいていは自分で発見してのことだ。その点から言えば縁あって出会うべくして出会ったと言ってよく、筆者の人生の関心事は一枚の葉のその葉脈のようにつながりつつ広がっていることをつくづく思う。しかし一方ではこうも思う。

人生は時間に限りがあり、200歳まで生きれば当然出会う対象とは縁のないまま、つまり筆者にとっては実質的には存在しないまま、すなわち未知のまま、言い変えれば縁のないままとなって、そのことを想像すると惜しいのではあるが、仕方のない話だ。それで夢中になれた、なっているものだけで満足するのだが、こう考えてみることはある。ある時期に夢中になって対象と出会えなかったとして、筆者の意識、人生はどう変わっていたであろうか。黒歴史という言葉があって、若い頃の一時の過ちのような経験は誰しもあるだろうが、その記憶が完全に消し去ることは可能だろうか。そういう黒歴史も含めての当人の人生で、現実に会った過去を無にすることは出来ない。出来たように思っているだけで、心の壁に棘のように刺さって血を流し続けている。話を戻して、夢中になれる対象と出会うことは人生の最大の意味と言ってよいが、それに出会うにはそうではない対象に多く出会う必要はある。中には嫌な印象を抱くことも大いにある。この事実は魅力あると思える対象に出会うことは自分の隠れた内面を知ることでもあって、人生に対して別の新たな視点が得られる。つまり他者によって自己が成長する。そのように考えられない人は筆者は苦手だ。前述したように筆者の心を動かすものは自身で見つけるが、そこに自惚れはない。それよりも人生が全く新しく見える新たな魅力にようやく出会いがあったことを喜ぶ。誰でもそんなことはある。ある人からは『今頃知ったのか。視野が狭いな』と笑われることはもちろんあるが、誰しも魅せられる対象は無数に存在し、限りある人生ではそのごくわずかしか触れ得ない。そしてそのわずかでも人生に彩を与えてくれる現実に感謝せねばならない。さて、最近建築家の白井晟一つながりで白井の姉の夫であった画家の近藤浩一路に関心を抱き、画集を買った。その話は明日にでもするとして、近藤夫婦が関東大震災で家を失い、その静岡に移転した後、妻の、つまり白井の生地である京都市内に移住したことを知り、その住所を訪ねて界隈を歩いた。昨日はその時に撮った写真を載せたが、今日はその残りだ。堀川通りの一条戻り橋には早咲き河津桜が満開で、数人の西洋人が珍しそうに見上げていた。その戻り橋から堀川通りを横切り、歩を西に進めた。道幅は戦前から変わらず、近藤が堀川通りを南北に走る市電を降りて何度も歩いたはずの一条通りを大宮通りまでゆっくりと歩くことはとても楽しかった。もちろん近藤が暮らした家は今はないはずだが、町の雰囲気はほとんど同じはずで、近藤が京都にいた間に描いた絵を味わうには一度は大宮一条界隈を歩かねばならない。幸い筆者はその気になれば市バスに乗ればすぐで、京都住まいであることをありがたく思う。もちろん近藤は嵐山にも足を運び、今もある風景を画題にした。そういう作品を見ると近藤は筆者の眼前にいる。

