「
国にある 聖なるものを 宿す場は 緊張強いて 背筋伸ばせし」、「境内を 通り抜ければ 近道と スーパー目指す 夫婦早足」、「犬を連れ 神社散歩は 許されず 猫は自由に わが者顔で」、「山桜 緑の葉添え 三分咲き 吾見上げつつ フレーム二分」

嵯峨のスーパーには家内といつも3か所は回るが、徒歩圏内にその倍の数の店がある。最もよく利用するのは車折神社のすぐ北側の古くて小さな店で、そこは魚が豊富で自治会住民のFさんも夕方7時頃に割引された刺身目当てに自転車で出かける。筆者は刺身もいいが、ほとんど買わない。鯛のあら炊きやブリ大根、あるいはサバや安価なイワシの煮つけが好きで、調理に手間がかかるゆえ家内はいつも渋い顔をして筆者との攻防が催される。そんな話を「風風の湯」の常連のFさんに話すと、Fさんは肉好きで魚は食べないと言う。ひとり身では焼くだけで済む肉がいいのはもっともな話だ。筆者も家内がいるので魚目当てにそのスーパーによく行くのであって、ひとり暮らしでは自分では調理しないだろう。それはともかく、そのスーパーに三条通りから行くには車折神社の南門から北門を抜けるのが近道だ。たいていはそうするが、北から南に抜けることもある。だいたい午後3時から5時の間で、筆者は小さな車輪が二個の買い物籠の「コロコロ」を必ず引いてのことだが、境内は自転車通行禁止の表示がある。『それはあたりまえとして、このコロコロは咎められまいか』といつも気にしながらで、音を立てないように滑らかな場所を選んで転がし、社務所前を通過する時はなるべく早足にと思う。気が小さいことの表われだが、自転車の半分に満たないサイズとしても禁止の半分は犯している気になるからだ。では車椅子はどうか。やはり小さいので通行は許されるだろう。毎月何度も車折神社の境内を通行するので珍しいものは何もないが、毎回それなりに心は引き締まる。聖なる空間との意識があるからだ。そういうものを持たない国家は存在しないが、宗教が違えば聖なるものの意識がどう違うかは筆者にはわからない。それで神社などただの観光施設と思う外国人観光客はいるだろう。宗教が違っても聖なる場に共通する雰囲気はあるはずで、そのことに敬意を表するのがまともな人間と言いたいところだが、そうでない人々は日本人でもいるはずだ。それはさておき、今日の写真は2月20日に車折神社の南門を入ってすぐの早咲きの桜で、品種は知らないが、この神社は平野神社ほどでは全くないにしても富田溪仙が植えた大きな桜があるなど、品種はそれなりに多いのではないか。今年は買い物ついでながらも溪仙桜をじっくり見て写真を撮るつもりでいる。渡月橋から歩いて10分ほどのこの神社はまだ外国人観光客はほとんど訪れないようで、住宅に囲まれた、そして大量の朱色の木製玉垣を巡らせた聖域として、今後も特に芸能、芸能人好きは一度は訪れたいだろう。
