「
ちら見する 機会求めて 街の中 意外な出会い いかに育む」、「見たままの 人と耳にし なるほどと 身なり顧み 意思は鋼に」、「カラフルな ガラスかプラか 傘きのこ 花より目立ち 店の看板」、「脈々と 続く笑いの 造形に おどけ道化の 誇張の舞いも」

今日は今月15日に撮った残りの写真を投稿する。家内が勤めていた頃は筆者が主に食材をスーパーで買っていた。とはいえひとりで食べる昼のおかずで、てんぷらやカツの揚げ物であった。利用したスーパーは従姉が住む梅津のムーギョがほとんどで、運動のために往復1時間ほど歩いていた。たまには従姉夫婦の家に寄って雑談したが、家内が60歳で仕事を辞めた後、つまり10年前から家内と自転車で梅津に買い物に行くようになった。それが渡月橋をわたって嵯峨に変わり始めたのは5,6年前か。それにはいくつかの理由がある。あまり詳しく書いてはまずいが、従姉が旦那を毛嫌いし、それがいささか病的と思えるほどになって来たからだ。老人特有の怒りっぽさが原因と言ってもいいが、若い頃の不満が徐々に我慢出来ないほどの愚痴となって来た。筆者は聞き役であるから、毎回同じ愚痴を聞くこともひとつの義務とは思っていたが、あまりに同じ話ばかりで次第に足が遠のいた。一方、「風風の湯」の常連のFさんはやはり5,6年前から「風風の湯」を利用し始め、1,2年後には筆者と親しく話をするようになった。また梅津への自転車での買い物は交通量の多い高齢者には危険で、さらにはムーギョがなくなってスーパーは2軒になった。嵯峨には徒歩圏内で5,6か所もあって、梅津に行くのと距離は大差ないので足は北に向かうようになり、今ではめったに梅津に行かない。今日の3枚の写真もいつものように家内と一緒に嵯峨のスーパーを梯子する間に撮った。最初の写真は有栖川で、ここでは5,6羽の鴨がよく水深の浅い川面に浮かんでいる。桂川から飛来しているのだろう。川面は道路からかなり深く、擁壁を降りることはまず無理だ。雌の後を追う鴨の雄は筆者の視線を警戒して雌をかばっている様子が伝わり、好ましい眺めだ。川岸に野生の水仙の花が満開になっているのも風情があり、嵐山の鴨たちは幸福だ。鴨はわが家の裏庭に接する小川にもたまに泳いでいて、真夜中にはガーガーとひどい声を発して飛び回ってもいる。縄張りがあるのかどうか、生きて行くことは大変で、番ならば互い協力するのが本能だろう。人間では熟年離婚があって、だいたい妻が夫を嫌悪する。熟年が何歳くらいを指すのか知らないが、従姉は70代半ばで、今さら離婚はないだろうが、顔を合わせるのも嫌という思いが募っては家庭内別居となるしかない。わが家では家内と終日顔を合わせてはいるが、家事はすべて家内に任せ、昨今の若い夫婦では考えられないほどの亭主関白宣言だ。たまに電車やバスで出かけるが、たいていは美術展目当てで、行く場所は決まっていると言ってよい。

10年ほど前か、家内は姉から「郁さんの趣味は大山さんやな」と言われた。つまり何事も筆者の言いなりで、監視の下にあるという揶揄だが、一方では夫婦仲のよさを暗に言ったのだ。嵯峨への買い物は夏場は自転車に乗るが、やはり危ないので夏以外は歩く。ふたりとも健脚だが、いつまで持続するか。高齢になるほど日時の経過は早く感じるもので、筆者も家内もあっと言う間に80代になる。そうなった時、自分の足で往復1時間から1時間半かかっていた買い出しはその倍の時間を要する。となれば外出せずに食材を調達するしかない。その時はその時で、今は何も心配していないが、元気でいる間が人生の華という意識はますます強くなっている。今日の2枚目の写真は三条通り沿いの古い美容室の玄関脇の植え込みだ。夜間照明にもなるのだろうか、最近きのこ型のものが無造作に何本も埋め込まれた。本物の花はその隙間に咲いていて、双方相まって賑やかだ。店主は高齢の女性で、目立つものや面白いものが好きな性質がこのわずかな植え込みからわかる。こういうものに注目することは女性専門と世間では認知されていると思うが、その意味では筆者は女性っぽいのだろう。繊細と言い換えてもよい。しかし繊細さはわずかな差異を認識する力でもあって、男のマッチョ性にもあるべきものだ。それなくしては敵対する相手に負ける。心の余裕と言ってもいいものだが、それを誇示し過ぎると嫌われるから、黙って無知な風を装っておくのがよい。そうすればたいていの本当の無知は自分を大きく見せる、つまりマウントを取った態度を示す。今日の3枚目の写真は嵯峨の丸太町通り沿いにある文具店で、そのすぐ近くにスーパーがある。1週間から10日に一度くらいしかそのスーパーを利用しないが、やや高級でもあっていつ行っても客は少ない。文具店は出入口が歩道から2,3メートル奥に引っ込んでいて、また間口は広くないので前を歩いてもほとんど気に留まらないが、写真を撮ったのは珍しくも来春の大阪での万博グッズがポスターを張った立て看板とともに持ち出されたテーブルの上で売られていたからだ。大阪ではどうか知らないが、万博を宣伝する店が京都にあるのは珍しい。これらの万博キャラクター商品がこの界隈でどれほど売れるのかどうか、たぶん店主個人の趣味で終わる気がする。そうなってもよいという覚悟が店主にはありそうだ。半年で取り壊すパヴィリオンを建設する場所は京都市内にはないが、既存の建物を使っての京都らしい万博は出来るのではないか。しかし現実は外国人観光客の姿のほうが目立つ京都で、連日が市内中万博同然だ。展覧会巡りが趣味なので万博に行ってもいいが、料金がかなり高い。それに1970年の万博のように世界から一級の美術品を集めて展示する案も浮上しなかった。半世紀で大阪の文化を代表する人たちは目も当てられないほどに低俗になった。

