「
早起きの ふくら雀や 枯れ木の実 今朝も米待ち 爺の窓見る」、「鬼旦那 外で働き 福を内 戦い無くば 喜びは褪せ」、「まじないを マジないと言う マジシャンも 運のよきこと 信じ行ない」、「ご利益は 事なきことと 知る余裕 生を感じて 儲けものかな」

今日は昨日とは違うカテゴリーに投稿する。今月3日に開催された天龍寺の節分会の豆撒きは、今日の最初の写真のように筆者は法堂前の特設ステージの左手に陣取った。毎年そうだ。豆を撒く人たちは右利きが多いはずで、右手方向にたくさん撒くと思うからだ。写真右上の赤い旗の真下に着ぐるみ姿の「月橋渡」という天龍寺前商店街のマスコットの頭が見える。渡月橋近くの食堂の主が中に入っていて、彼は毎年この豆撒きの舞台に登場して豆を撒くが、視界が狭く、動きがあまり自由でないため、豆が20から30粒ほど入った5色の小さな紙袋を巫女が抱える三方から大量につかんではほとんど真下に全部落とす。それを狙って大きな紙袋を頭上で開いている人がちらほらいる。筆者はそこまでしてたくさん得るつもりはない。豆は大きなドンゴロスの袋にびっしりと詰められていて、その袋が空になるまで続けられる。豆撒きが終わった後、人々が解散して甘酒接待の場に戻る際、修行僧が同じドンゴロスの袋を用意している姿に出くわす。彼は豆袋を拾えなかった人にそれを2,3袋ずつ配る。つまり豆撒きでは誰でも必ず最低2,3はもらえる。筆者は毎年20から30袋を獲得するが、凄まじい奪い合いで、たかが豆ごときと呆れる。これが人間の実相で、世間の金の奪い合いはもっと熾烈で人殺しまで起きている。さて、家内より先に出かけたので家内が豆撒きに間に合ったのかどうか知らなかったが、散って行く人々の背中に混じってこっちを向く家内の姿が見えた。豆撒きの最中に着いたのはいいが、200から300人の人ごみの中に入ることは出来ず、数袋しか得られなかったと言う。そんな話をしていると、近くに50歳くらいの眼鏡をかねた女性が同感という表情で微笑んでいた。それで自然と言葉を交わした。彼女は車折神社の近くに嫁ぎ、義母から求められている「見守不動尊」の御札を毎年もらいに来ると言った。そんな御札のあることは初耳だ。どこかと訊くと、蓮池のすぐそばと言う。その前の道は毎年豆撒きの法堂に急ぐ時に歩く。法堂前は南方にある蓮池の両側、つまり東西に道があって、筆者は渡月橋に近い西の道を北上して法堂に至り、帰りは東の道を南下して商店街に出る。節分会はその東西の道にある各塔頭が七福神に割り当てられてそれぞれ守護の札や品を授けている。2000円の福笹をまず買って七福神を巡るというのが慣わしなのだが、商家ではない筆者は十日戎もそうだが、笹を買ってそれに種々の縁起物を付け足す気がない。主に経済的理由によるが、笹を飾っておく場所がない。あっても1年の間に埃まみれにしてしまう。

話を戻す。先の女性と別れて早速見守不動尊のある塔頭に向かった。気づかなかったが、今日の2枚目の写真のように人の背丈以上の看板が立てられている。看板を見上げながら、「ああ、この護符か」とすぐにわかった。不動明王が持つ剣を中央に描き、そこに文字が書かれる。この護符を家に貼っておくと不動さんが見守ってくれるというのだが、これをまじないとして一笑することを筆者は好ましく思わない。確かにまじないではあるが、不動明王の色や形、またそこから導いたこういった御札のデザインは長年の伝統がある。それは多くの人々に受け入れられて来たからであって、いわば聖なる形だ。そこには独自の完成美がある。美に敏感な者はそれを無視出来ない。2000円の笹を買っていないが、早速塔頭の門をくぐるとすぐに60歳くらいの女性が立っていて、手に御札の束を持っていた。1枚ほしいという素振りが伝わったのか、彼女は笑みをたたえながら無言で1枚手わたしてくれた。今日の3枚目の写真は門を出て撮った。家内が守護札を見ながら歩いている姿を捉えた。御札は浅い朱色で紙は薄いのが気になるが、早速玄関ドアの内側上部に貼った。3枚目の写真中央の赤い節分会のポスターは毎年同じデザインで、筆者はこの深紅が大いに気に入っている。この濃い赤は血の色と言ってよく、動物的で生気がある。体によく効く漢方薬の雰囲気に通じ、筆者が幼少の頃、頓服薬はこの色に近いハトロン紙に包まれていたものがあった。御札をもらった後、蓮池の北側を東の道へとたどった。天龍寺の節分会ではその笹などの縁起物を燃やす場所が前述の東の道にあって、太い緑の竹が何本も用意されて炎を上げている。昭和30年代半ばまではこうした「どんど焼き」は大阪市内でよく見かけた。冬場に暖を取るためで、集団登校前によく尻や手を温めたものだが、今はほとんど許されない。火事の心配と煙を迷惑と思う人が多くなったからだ。それでタバコも嫌われるようになった。天龍寺の節分会ではこの「どんど焼き」から少し離れたところに不要になった御札などを入れる大きな籠が用意されている。その籠のそばに木製の棚があって、高さ5,6センチの赤い小さな張り子の姫だるまが2個置かれていた。吉田神社の有名なもので、郷土玩具でもある。不要になったので燃やしてもらうために誰かが持参したのだが、燃やし係の男性は持ち帰ってもいいと言う。それでもらって帰った。新品同様で去年の吉田神社の節分会で買ったものだろう。底に鬼のシールが貼ってあって、それを剥がすと中に御御籤が入っている。それを確認しながら取り出していない。以前の所有者が引いた籤を確認することは罰当たりと思うからだ。七転び八起きしながら今年も不動の心で無事過ごせますように。I PUT A SPELL ON MEと替え歌を思い浮かべながら。

