●『京琳派 神坂雪佳展-宗達、光琳から雪佳へ-』
先月15日に大阪難波高島屋で見た。雪佳展は2003年に京都国立近代美術館で開催された。図録は買わなかったが、チラシは保存しているかと思ってさきほど資料箱をひっくり返したが見つからない。



d0053294_1802461.jpgあまり印象に残らない展覧会であったが、今回もう一度見てどうかなと思ったが、結果的に同じようにたいして面白くなかった。その理由をいろいろと以下に書きたい。高島屋に着いたのが遅くて30分ほどしか見られなかったが、それでも充分であった気がする。「雪佳の源流」「雪佳の絵画」「雪佳の工芸」「琳派の意匠」という4つのセクションからなり、チケットにある金魚を真正面から描いた作品など、それなりに目を引いたものもあったが、琳派を見るならやはり宗達や光琳が圧倒的によいし、それ以降のものとなると、女性的な弱々しさを強く感じて芸術に接したという思いになれない。出口近くの囲いの中でヴィデオが上映中で、京都寺町二条の芸艸堂の社長がインタヴューに応えていた。展覧会を見る1週間前ほど、筆者はちょうどその人に会ってしばらく話をしたが、雪佳は欧米に人気があるらしく、今でも雪佳目当てに芸艸堂を訪れる人々が少なくないそうだ。つまり、昨今の日本での雪佳人気は逆輸入の形で高まって来たものなのだ。2001年春、フランスのエルメスの季刊誌『ル・モンド・エルメス』の「未知なる地球の美を求めて」と題する特集号の表紙に、雪佳の『百々世草』の中から「八ツ橋」など版画7点が紹介された。このことを契機に日米の美術館が協力して2003から4年にかけて4会場で大回顧展が開催された。『百々世草』は雪佳の代表作のひとつで版本だ。京都国近美ではその原画と木版画が並べて展示された。双方は微妙に違いがあったが、原画が版画よりいいと一概に言えるようなものではない。これは原画や版本の保存状態の問題にもよるかもしれないが、色合いや形があちこち違っていて、原画をそっくりそのまま版画に置き換えたものでないところが面白かった。これは雪佳が版木を彫らせたり、摺りの段階で原画とは若干違う表現を指示したかもしれない。今回も『百々世草』は最後の部屋で一堂に展示されたが、原画はなかった。版本の形で発表されたので、原画よりもむしろ版画の方がオリジナルと言ってよく、それで充分であろう。『百々世草』の面白さは現代的な琳派と呼んでよい表現がはっきりと出ているところで、そこには従来の琳派に倣いながらも雪佳独自の世界がある。ただし、『百々世草』以外に多くの展示があったにもかかわらず、それしかほとんど記憶にないところに雪佳の限界もあるように思う。
 今回は協力が細見美術館となっている。同館は今までに琳派展をシリーズとして何度も開催して来ているが、雪佳も所蔵の対象となって勢力的に集められたのであろう。雪佳は1866年生まれで1942年に亡くなっているから、日本での評価はまだまだこれからという感じで、作品の市場価格もさほどではなかったと思う。だが、今回のチラシ最上部のコピーにもあるように、「日本が知らなかった琳派の近代-世界は見ていた!」であって、意外なところから俄に光が当たり始め、今から収集しようと思っても高額になり始めているに違いない。また、欧米人が近代の琳派作家に注目するのは目のつけどころが日本とはかなり違っていることをうかがわせて面白い。雪佳と同時代の京都の大御所となれば何と言っても竹内栖鳳がいるが、雪佳は栖鳳より2年遅く生まれ、同じ年度に死んでいる。明治から昭和にかけての京都画壇における栖鳳の位置は圧倒的だが、雪佳は日本画だけではなく、工芸家としての仕事も多く、しかも琳派という「型」を守りながらその範囲で可能性を追求したため、栖鳳のような個性重視の作家とは別種の存在とみなされている。栖鳳の作風の直接の始祖となると円山・四条派、つまり応挙と呉春に行き着くと言ってよく、それ以前の光悦や光琳の装飾的画風の流れを強く受け継ぐ京都の作家は雪佳しかいなかった。江戸時代の円山・四条派が明治以降の京都画壇を形成した事実はそれはそれで歴史的な必然性もあったのでとやかく言う問題ではないが、工芸大国の京都にはそれとは別種の作画の方法もあって、それを忘れずに受け継いだ雪佳が注目されるというのもまたまともな成り行きではあろう。江戸時代の円山・四条派はさておき、明治の栖鳳以下の諸大家が生んだ絵というものが、日本がいくら力んでも欧米にはほとんど受け入れられないのに、むしろ傍流として顧みられなかった雪佳に人気が出ているというのは、日本美術が今後どういう方向に進めばよいかのひとつの示唆を与えているようにも思う。「雪佳など琳派の末流でたいした存在ではない。欧米人はただ見る目がないだけの話」と言うのは簡単なことだが、日本に古くある遺産をすっかり捨て去らずに、遺伝子をそれなりに伝えようとした雪佳の態度は評価出来る。
 雪佳が理想とした光悦の工芸村は、絵画が工芸と完全に分かたれることのない世界で、そこに日本の芸術の大きな特質のひとつがあることは言うまでもない。エルメスが雪佳を取り上げたというのもその点に注目してのことだ。これはある意味では、欧米で新たなジャポニズムを歓迎する動きのある証拠も見ることも出来るかもしれない。欧米ではすっかり過去のものとなったような日本趣味も、また視点を変えれば雪佳のようにいくらでも斬新な素材があるではないかという欧米人の驚きと言ってよく、そこを感ずるからこそ、逆に何となく雪佳を評価したくない純粋日本画家がたくさんいるかもしれない。琳派を積極的に取り入れた画家としては加山又造がいたが、又造の琳派は琳派文様を油彩と同格にしたような描きぶりで、雪佳のようなたっぷりとした墨の筆跡を見せるたおやかさはない。その点においておそらく今後も又造の琳派風絵画は欧米人には評価されないだろう。それはきっと欧米人でも模倣可能なものであるからだ。だが、これは明治生まれという時代の差のためかどうかわからないが、雪佳には欧米人が模倣し尽くせないものが確かにある。『百々世草』における空間を広く取りながら対象を思い切って省略した描写は、悪い意味での欧米の写実主義に毒されていては生まれなかったものであるし、それにもかかわらず江戸時代ではない近代の新しさを明確に保っている。案外そこを欧米人はしっかりとわかっているに違いない。その雪佳の遺産を現在受け継ぐとして、それが又造のような絵になってはおそらく欧米人の関心を得ることはないだろう。そこに何が失われたかだが、琳派特有のたらし込みや筆遣いなど、水墨画の文化にあると言ってよい。そして単に水墨ならば栖鳳や他の円山・四条派が江戸時代よりもさらに技巧的に極致まで進めたが、それらは一方では悪い意味での「型」にはまり過ぎて自由さを失った。だが、これは見方を変えれば雪佳も全く同じ存在と言ってもよい。にもかかわらず雪佳は欧米で注目される。これはひとつにはその文様風表現が絵画にも工芸にも自在に表現出来ることの柔軟性が芸術として素晴らしい点ということと、ひとつはそういうものが横溢していた江戸時代への憧れもあるだろう。
 前述したように、筆者は雪佳の作品は琳派の再生産で面白い芸術とは思わない。雪佳なりに新時代の琳派を考え続けたのは確かとしても、それは栖鳳の苦悩のようなものとは違って、もっとのほほんとしたものに思える。「型」どおりやっていればある程度の作品の格や質が保証されるという変な自信がそこからは見える。欧米の個人主義でも多少同じことはあるだろうが、それでも芸術で一番大切なのは誰にもない個性とされる。そのため、誰しもがその獲得に向けて死闘を繰り広げ、とにかく今までないものであれば何でもかまわないという極端な芸術至上主義が加速化した。その結果何が生まれたかと言えば、一般人にはさっぱりわからない作品群だ。そしてそういう作品でもとにかく売れれば勝ちとの考えが一部には強力にあるから、相変わらず作家や画商はそのレースを煽り、しかもそういう動きを歓迎し加担するスノッブたちは跡を絶たず、一般から乖離していてもそれは一般人たちが馬鹿だからという愚民思想を抱く。一方、明治以前の日本美術はもっと変化が緩やかで、個性は「型」にかなり埋没した形で存在した。そういう「型」を日本が失ったことを日本よりもむしろ欧米が惜しんでいるように思える。「型」を受容すると個性がなくなると恐れるかもしれないが、「型」を守っていてもそこに明確な個性の表出はあり得る。だが、作品や作家は時代とつながった存在であるから、雪佳のような仕事を今この時点で再興しようと思ってもほとんど不可能であろう。雪佳の同時代には栖鳳を初め円山・四条派の画家たちはいくらでもいたし、そういう江戸時代からの直接の流れの中にあっての雪佳であった。栖鳳のような運筆の天才的才能を持たない現代の日本画では雪佳の仕事もまた存在は出来ない。仮に試みても雪佳以上の収穫はないに違いない。そのため、欧米が注目する雪佳というものは、日本に残る最後のよき伝統の絵画遺産の発掘との意味合いからであって、もうその後は続かないという冷めた最後通達に思える。あるいは欧米が雪佳に続く現代の琳派表現を求めているとすれば、中国の歴代王朝美術と同じように個人よりも時代が作った「型」がより前に出ている表現をよしとする、前時代的な芸術を日本に期待しているからかもしれない。つまり、これは一人前の国としては認めていないということだ。それゆえ、欧米と対等にわたり合おうとする作家は、あえてジャポニズムを持ち出さず、国際様式と呼べるようなものに寄りかかった作品を作ろうとするだろう。そしてそれでもなお日本的な何かがそこに自ずと表現されると主張するだろうが、そんな簡単に事が運べばよいがと思う。
 琳派は今でも日本でブームが続いていて、展覧会は頻繁に開催される。そこには汲めども尽きない魅力がふんだんにあるという思いがあるだろう。光悦、宗達、光琳といった大きな存在だけではなく、近年は抱一や其一にも光が当たり、琳派はさらに大きな流派になった感がある。そこに雪佳がつながると、おおよそ300年の琳派の歴史があって、これは「型」としても日本美術の根本を成すひとつと言ってよい。そんな遺産は画家の方では継ぐ者がほとんどいないが、工芸では京都では呉服分野で現在もなお重要な文様表現の宝庫となっている。これはある意味では琳派の遺伝子を曲がりながらも伝えている点で歓迎すべきことだが、一方では琳派を単なる装飾の表現に貶め、そのことで強制的に終焉させたと見ることも出来る。70年代以前ならば、京都の出版社は2、3流の琳派の隠れた絵画を発掘して来て、1冊10万円以上もする画集を次々と出して商売がなり立ったが、それはキモノや帯のデザインに転用するとすぐに元が取れたことによる。そのようにして、京都は琳派をある意味では食い潰して来たし、今もそうだ。そこには聖なる絵画の意識はさらさなく、実用的なあくまでも流行デザインの創出に役立つ文様の源泉という見方しかない。つまり、琳派は厳しい個性が宿るような絵画ではなく、誰でも模倣や引用が可能な記号と化した合言葉のようなものなのだ。そういう中で雪佳も見られるから、栖鳳の絵よりありがたみがないと映るのは当然の話で、そのことは雪佳自身も知っていたのではないだろうか。だが、ここに日本美術とは何か、それはどうあるべきかという問題が横たわっていて、それはまだまだ決着がついていないと言える。そういう閉塞的状況とも思える日本画の世界を外から見る機会を雪佳は与えてくれている。そしてさらに思うことは、琳派だけが日本美術の本質ではないことだ。つまり、欧米に劣らず、いくらでも遡ることの出来る美術遺産はあるのだ。欧米が現在の日本画をさっぱり評価しないことは別に痛くも痒くもないことで、どうでもいいこのように思えるが、そんな欧米が雪佳を評価する意味合いは一考してみるべきだろう。本当に価値あるものをさっさと捨て去ってしまう性質が日本にはある。捨て去ってもまた新たに生み出すのでかまわないという成り行き任せの気楽主義もいいが、そういつまでも新たなものを汲むことが出来るかどうか。雪佳の琳派にしても明治であったからまだよかったものの、さて今それを復活させるとなると、あらゆる意味で大変なこと、いやもう手遅れと言ってよい。雪佳もいいが、たとえば応挙や呉春が描いたような水墨画ももう絶対に誰も再現出来ない。それは滅びたものなのだ。次に滅びるのは何か。
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by uuuzen | 2006-05-07 18:00 | ●展覧会SOON評SO ON | Comments(0)


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