「
驚きを 人は喜び すぐ忘れ 何かないかと スマホを見つめ」、「アイデアが 尽きて困らぬ 焼き直し そのうちバズる 数撃てばよし」、「わずかな差 見分けられぬは 素人か この世は広い みんな素人」、「おっとっと またポケモンか 手難きや 興味なけれど 買い物籠に」

週に二度ほど嵯峨のスーパーに家内と出かけるが、必ず中ノ島公園を横切って渡月橋南詰めに至る。その際、5,6年前に設置される現場をたまたま見かけたポケモンのマンホールの蓋 の脇を歩く。その蓋は飛翔する鳳凰で、SNSに大量の写真が挙がっているはずだが、今なお外国人観光客がその蓋をスマホで撮影している様子によく遭遇する。ポケモンについて全く興味がなく、そのマンホールの蓋にも関心はないが、時代は常に進むのに新しいことに興味を持てなくなる人はいつの時代でも多いし、筆者も素直に自分が時代遅れの人間と認めねばならない。老若男女の誰もが新しい何かに興味を示すという状態は不気味なことだ。ポケモンで言えば筆者はその最も有名なピカチューという黄色い猫か狐のようなキャラクターを昔最初に見た時、その尻尾が直線で構成された稲妻型であることに新しさは感じつつ、何か規則破りの、新奇なものを生み出すには何でもありの方法を見る気がして、あまりいい気はしなかった。そのピカチューの尻尾はたとえば文字のデザインで言えば全体がゴシックであるのに最後の一画が明朝体になっていることに似て、面白いかもしれないが、美しいと言えるものではない。漫画であるのでどのような奇天烈も許されるであろうが、自在に動くピカチューの尻尾が常に直線のジグザグの形をしているというのはやはり変で、少しも面白くない。そのピカチューの尻尾の形ひとつでポケモンの全体が推し量られる気がするのだが、それは偏見とは言い切れない。それはともかく、「おっとっと」におけるピカチューがどのように表現されているかを凝視したことはなく、ジグザグの尻尾がどのように動くかも知らないが、ピカチューの輪郭を小さなスナック菓子で象るには尻尾よりもまずは耳や体躯であるはずで、ジグザグの尻尾は添え物に過ぎないだろう。しかしその添え物に内在する違和感、あるいは子どもにとっては大いなる好ましい形象なのだが、いずれにしても「おっとっと」の商品開発部のデザイナーはピカチューを小さな菓子に象る際、その尻尾をどう表現するかはかなり悩んだと想像する。「おっとっと」のキャラクターはある生き物や物体の全体像を象ることが前提となっているが、恐竜シリーズでは2個や3個の菓子をつないで恐竜一頭を構成するアイデアが登場し、そのことから推せば、いずれポケモンの新シリーズの「おっとっと」として、ピカチューを3,4個の菓子で構成される可能性がある。そうなった時、確実に直線のジグザグの尻尾のみの菓子が登場するはずだ。

そのジグザグの尻尾のみで子どもはピカチューとわかるのは言うまでもない。筆者ですらそれは判別出来る。となれば、ピカチューの最大の発明はその尻尾ということになりはしまいか。昔ポケモンがTVアニメで放映された時、画面の明暗は瞬時に何度切り替わって子どもが失神したという事件があった。その頃、その画面がどういうキャラクターがどういう行為をしたのか興味がなかったが、考えてみればピカチューという名前のピカは光や稲妻を表わすかもしれず、それで体が黄色いのかもしれない。またピカチューが閃光を発するキャラクターであれば、尻尾が稲妻の形をしていることは不自然ではなく必然と言える。しかし現実の稲妻は直線のジグザグではなく、やはりピカチューの曲線で描かれる体躯に尻尾のみ直線というのは様式的に不自然だ。だがあえて不自然を狙って印象づけることが現在は大流行している。ただし全体が不自然であっては格好悪いという意識が前提にある。全体としては正統的であるのに部分が不自然というのが格好いいとされる。ヴィヴィアン・ウエストウッドのパンクを基本にしながらも古典的な制服のデザインを強調した服はその一例で、ポケモンの登場はパンクあってのことだろう。また日本の美術展覧会のポスターやチラシの文字デザインにおいて、明朝を基本に一部の画をゴシックや絵にするなど、明らかに一風変わった視覚デザインで衆目を集めるアイデアがよく使われている。文字だけではなく、題名の言葉にも及び始め、いわゆる若者言葉が使われるようになって来ているうえ、それは図録所収の文章にまで及んでいる。展覧会はなるべく多くの若者に見てもらうのがよく、迎合というのではないが、敷居を低くすることは重視されるべきなのだろう。筆者は家内と話す時に若者言葉をあえて使うことがある。たとえば「スゲー」だ。それを連発するのは少しも対象を「凄い」とは思っていないからで、いわば批判的に使っている。それよりも筆者は家内だけに通じる言葉を絶えず作り出している。たとえば「カムチャッカ半島」で、これは「無茶苦茶」の意味だ。TVで野球の空振り三振の場面を見た時はすかさず「空堀商店街!」と言う。「トンデモナイ」は「何でもTOY」と言い換えるし、とにかく家内相手に始終カムチャッカ半島だ。さて、「おっとっと」のピカチュー・シリーズには興味がないので、
以前買ったデザインの箱のものをまた買った。初めてのことだがまあいい。中身の菓子は以前とは違うものが混じっているはずで、どれがどのキャラクターかさっぱり関心がないが、とにかく白い皿にだぶりのない形を全部並べて写真を撮った。これらのキャラクターを諳んじている子どもはその才能をいずれ別の対象に発揮して新たな大発見を為すかもしれない。そういう教育的効果も幾分かは狙って「おっとっと」の企画室は調査と研究をしているだろう。物価の上昇が悩みとは思うが。