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●撮り鉄の轍踏み蘇鉄読み耽り、その51
会の 夢から目覚め 苦笑い 布団の中で 屁を連発し」、「邪魔者に なりたくはなし 居てごめん 動けるうちは 世の片隅に」、「蘇鉄見て 両手広げて 万歳と 叫ぶ子素直 みんな元気に」、「蘇鉄さん 達磨にされて 何想う 吾は死すとも 仲間は永久に」
●撮り鉄の轍踏み蘇鉄読み耽り、その51_d0053294_21381148.jpg
筆者が注目し始めたものはその後短期間で消え去ることがよくある。家内にそのことを言ったのは2,30前のことで、家内は大いに納得して筆者のことを「破壊神」とたとえるようになった。ある存在の最期を見届ける特別の能力があると言うのは大げさだ。誰でもたとえば人影の乏しい古い家を見ると、近いうちに取り壊されるか、大規模にリフォームされることは予期出来る。家だけではなく、植木や看板その他、人の目につくものはみなそうだ。そこに共通するのは手が加えられず、荒れたままに放置されていることで、簡単に言えばほとんど人から見向かれず、忘れ去られた存在だ。そういう憐憫を誘う存在が気になるのは誰しもで、珍しいことではない。しかしそういうものに独特の美を感じて意識の中に留めておこうとする人は少数派ではないか。たいていの人は惨めったらしさを嫌悪し、意識から排除する。そういう見たくないものという思いは、貧しさに一種の恐怖を覚えるからで、わからないことではない。しかし忘れられたような目立たない存在にしかない輝きといってよいものはあって、日本のわびさびの精神はそこに着目してのことではなかったか。話を戻して、家内から「破壊神」とたとえられるのは、筆者が着目することはその対象にとってはよくないことという意味合いが前提にある。筆者が着目したばかりに対象の命が間もなく尽きるとなれば、筆者が命を縮めたことになるからだ。つまり着目しても話題にせねばいいのに、筆者にすればその対象に独特の輝きを感じ、魅せられた理由を伝えずには済まない気になる。やがてその人が死んだり、建物が取り壊されたり、植木が撤去されたりなどなどし、そのことを家内に言うのだが、それは家内にすれば筆者に着目されると縁起が悪いことになる。たとえばこのブログで取り上げた頃には自分でもまさかその対象が消えるとは思っておらず、後になってその対象の最期を本能的に感じていたのかと、われながら驚く。しかし物でも人でもこの世から消える直前にはそのことを察してのオーラを発散しているのではないか。それはみんなから顧みられないほどに惨めで汚れているばかりとは限らない。それよりも悲しく、また美しい叫びと言ってよいもので、一時期はそれなりに立派に存在感を誇り、わびさびとは違う意味で目立っていたものだ。断っておくと、落ちぶれた有名芸能人には興味がなく、市井で普通に存在する目立つものを対象にしている。そうした気になる存在がすぐに消えるとしても筆者はただの傍観者で、最期を見届けたという諦念で心を満たす。筆者の所有物でなく、筆者にはどうすることも出来ないからだ。
●撮り鉄の轍踏み蘇鉄読み耽り、その51_d0053294_21383152.jpg 今日は撮影順に三か所の蘇鉄の写真を載せる。最初は2月12日に家内と神戸に出かけた際、横尾忠則美術館から阪急王子公園駅に向かう途中で撮った。この蘇鉄は数十年は経っていて、これまで何度も見ているはずだが、さほど強い記憶はない。本ブログに蘇鉄の写真を載せるシリーズを始めて以降、今回が初めて同館を訪れたのではないと思うが、兵庫県立美術館から向かう、あるいはその逆に同館に向かうにはJR灘駅を越えるので、その時にはこの蘇鉄のある場所からわずかに西寄りの南北の道を歩くから、この蘇鉄には気づかない。つまり蘇鉄シリーズを始めてからの遭遇で、それ以前は意識しなかった。幹が全く見えないほどに葉が多く生い茂り、毛むくじゃらの動物に見える。2枚目は2月20日に撮った。これは3年前の4月に投稿した「その3」で紹介した。嵯峨の丸太町通り北側にあって、西側に建物の壁が接近して蘇鉄の葉は肩身が狭い状態で繁茂していた。冬場は雪避けにネットを被せられ、大事にされていたことがわかるが、歩道にわずかに葉は侵入し、通行の邪魔と思う人はいたはずだ。去年か一昨年、この蘇鉄のすぐ東側の会社が閑散とし、建物は無人となった。何を作って販売していた会社かわからないが、たぶん食料品だろう。コロナで打撃を受けたためと想像する。今年2月、新たな会社が入ったようで、この蘇鉄が邪魔になったらしく、葉が全部切り取られた。この蘇鉄がある歩道は嵯峨のスーパー巡りでも10日に一度歩けばいい方で、正確にはわからないが、2月中旬には西の建物の壁に触れていた葉が全部切られていた。その時、悪い予感がしたが、おそらく葉が切り取られた直後に撮ったのが今日の写真だ。この状態では新たに小さな葉が生えて来るのかどうか。たぶん根こそぎにするためにまず葉を全部切り取ったのだろう。店が変わったのは、以前この蘇鉄を世話していた人が高齢で亡くなったからかもしれない。土地の所有者が変われば、植木が邪魔者と思われることは仕方がない。葉のない蘇鉄は羽のない鳥と同じで、見るに堪えない。しかし移植するために邪魔になる葉を全部切り取り落としたのではないかという、ほとんどあり得ないことも期待する。間近で撮影したのは、グロテスクながらも葉の根元の構造を知る見本になるからだ。幹が上方でふたつに分かれ、さらに大きくなろうとしていたことがわかる。通りがかるたびに気になっていた蘇鉄は3年経って拷問に遭ったような形にされた。3枚目の写真は先月27日に京都の一条通りを家内と歩いた時、大将軍八神社に入り、境内の北端で見かけた。幹の高さが人の背丈ほどあって、最初の写真の蘇鉄と比べると、棕櫚のように細長く成長していて、品種が違うのか、葉の剪定によるのか、気になりながらまだ調べていない。たぶん放置し続けると最初の写真のように育ち、毎年古い葉を切り落とせば上方によく伸びるのだろう。
●撮り鉄の轍踏み蘇鉄読み耽り、その51_d0053294_21385845.jpg


by uuuzen | 2024-04-03 23:59 | ●新・嵐山だより(シリーズ編)
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