人気ブログランキング | 話題のタグを見る

●当分の間、去年の空白日に投稿します。最新の投稿は右欄メニュー最上部「最新投稿を表示する」かここをクリックしてください。

●西国街道、その46
れても 直す気はなし 使い捨て 代わりはあると 地球も捨てて」、「便利さを 求めて気づく 天職は コンビニ店主 これに限ると」、「狭い土地 高層ビルの 構想に 高僧夢想 百層の塔」、「繁華街 何をたとえる 華の文字 人モノ溢れ 繁禍とも言い」
●西国街道、その46_d0053294_23494227.jpg
今月5日に阪神岩屋駅から三宮まで歩いた西国街道を3分割し、今日はその最後の区間について書く。最初に掲げる地図のH地点で撮ったのが今日の最初の写真で、川をわたってすぐのところで撮った。帰宅して生田川であることを知ったが、神戸市には生田区がある。川の左岸すなわち東側で信号待ちをしていると、山手からピカピカに光る黒い10トン・トラックが走って来た。六甲山の宅地造成がまだ続いているのかどうか知らないが、土砂を運ぶ同様のトラックは毎年嵐山の桂川沿いを頻繁に走るので、神戸市内で見かけることは不思議ではない。去年か2年前、神戸の新開地から東に西国街道を歩いた時、めったに見かけない重機が国道2号線を轟音を立てて走って行った。その様子に家内が驚いた。京都市内では見かけないと言うのだ。しかし筆者らが知らないだけで、工事現場でしか見られない重機はバスやタクシーに混じってたぶんいつでもどこでも走っている。そこに戦車が混じれば物騒だが、そういう眺めのある国はあるだろう。こう書きながら思い出しているのは阪急桂駅南の自衛隊駐屯地だ。電車の中からカーキ色の特殊な車が何台も停まっているのを見ると、あまりいい気はしない。それと同じ気分が信号待ちをしている時に山手から走って来た黒いトラックに対して湧いた。街中ではあまり走ってほしくないが、運転手もそれを察してなるべく道路を選んでいるのではないか。それが生田川沿いということだ。トラックが向かった先には海岸があり、そこは重工業の本拠地であった。大型トラックがそこに向かうことは何ら不思議ではなく、必要なことだ。あるいは国道2号線に入って他府県に向かうかもしれない。大型運搬車は工事現場だけではなく、物流には欠かせない存在になっている。そのように理屈としては理解しているのに、信号待ちの自分に向かって突進して来る様子に遭遇すると、それまで歩いて来た西国街道とは異なる何かを感じさせられた。つまり今日の地図のH地点は西国街道の大きな分断箇所になっている。実際そこから東と西は街の様相は一変する。春日野道商店街や大安亭市場を中心とする、小さな木造の店が目立つ下町の雰囲気が消え、高層のマンションや大型のパチンコ屋や飲食店が混在する繁華街となり、三宮の駅が間近であることがよくわかる。住友ゴムの社員は三宮から東に歩いて会社に向かうのかどうか、たぶんそう思うが、10分ほどの距離であり、その途中に娯楽施設や食事どころが密集するのは常識と言いたいところだが、大阪の淀屋橋や肥後橋を想起すれば、そうとは限らない街もあるだろう。
●西国街道、その46_d0053294_23501339.jpg
 筆者は最初に就職した大阪の東三国にあった設計会社に勤務した3年間、もっぱら神戸市内の河川や下水道の設計に携わり、神戸市と兵庫県庁はよく訪れた。神戸市役所には有名な花時計の前をいつも南下して訪れた。阪神大震災でぺしゃんこになった市役所の2階に土木設計担当の部署があって、下水道設計担当の一休和尚に似た人物の顔を今もよく覚えているが、次の担当者もストリップ・マニアを公言して独特の雰囲気を持っていた。明石市の下水道課の長も商店主といった雰囲気、もっと平たく言えばあまり賢くない感じの人であったが、最も紳士で筆者とウマが合ったのは兵庫県庁の河川課の長だ。ま、そういう話はどうでもよい。三宮は頻繁に訪れたにもかかわらず、いつも同じ道を往復したので三宮の東がどういう状態であるかは全く知らず、知りたいと思ったことも一度もない。ところが先日の5日、初めて西国街道を歩いて三宮に達すると、「ああ、この辺りに出て来るのか」という感慨があった。大震災での西国街道沿いの被害の実情を知らないが、昨日書いたように建物が一新したとしても街の雰囲気は案外昔のまま保たれる。道路が変わらず、山や海がそのままであるからで、また住民の大半は同じ場所に住むだろう。ある青年が年齢を重ねて若い頃とは違う服装になっても、人物の全体的面影はさほどの変化はない。それと同じで、街並みは人物の服にたとえていいのではないか。しかし、では人物に例え得る街の本質は何かという疑問が湧く。それは住民ということになるか。とはいえ、下町が下衆な人種が住み、山手が上品の代表たちが陣取るかと言えば、そういう面は大きいとしても人間は移動し、また経済的成功を勝ち取る一方、破産もするから、下町と山手とで完全に住み分けるものではない。それに下衆な人間は山手にも混じるはずで、反対に下町に人間的に立派な人も住む。それを当然としながら、やはりガス・タンクが百年前からあるような地域と、高級住宅地が集まる地域とでは地価の差があり、したがって暮らす人の仕事も違って来る。それはどの街でもあることで、そういうモザイク状の街並みを道路が結ぶ。そのひとつである神戸三宮近くの古い西国街道のわずか2キロを歩き、街の様相が次々に変わることを目の当たりにすると、街がきわめて合理的に、また歴史的にも必然的に現状があることがわかって面白い。この2キロに限れば、産業の変化や大震災に遭遇しながらも住民は逞しく生きて来たのであって、百年後がどうなっているかは予想がつく気がする。西国街道はそのまま残るであろうし、相変わらず10トン・トラックは生田川沿いを走っているはずで、大きく変わるとすれば駅周辺にタワー・ビルが増える程度であろう。「程度」と侮って書くのは、超高層ビルはもう見慣れているからだ。それに憧れを抱く子どもや若者がいるのだろうか。
●西国街道、その46_d0053294_23504100.jpg 阪神の岩屋駅から西国街道の西方を見た時、ずっと奥の道路の両側にタワー・ビルが見えた。そこに向かって歩くのだなという思いは単に目印になってよいというもので、それらのビルがマンションか会社かは関心がなかった。昨日書いたように、左手のタワー・ビルは住友ゴムの会社であることを知ったが、東面には一切窓がないことでマンションではないことがわかるが、なぜそういう構造にしたのか。学校の教室は黒板に向かって右手が必ず廊下になっていて暗い。それは右手から明るい光が差すと、本やノートが右手の陰になって読みにくいという配慮による。会社のビルの東側を閉ざすことは教室と同じ効果が得られる。陽が西に傾く頃には仕事は終わりであるから、日中の光は東からは入らない方がよい。そのように考えて住友ゴムのタワー・ビル会社の東側に窓が一切ないことの理由としておく。さて、今日の最初の写真は生田川右岸にそびえるタワー・ビルで、東に窓があるのでマンションであろう。先ほど調べると、右手の手前のビルは高齢者用の介護つきマンションで、三宮から徒歩圏内であることで近年急増中の駅前のタワー・マンションと同様に人気があるのだろう。これは介護される高齢者が出歩くのに便利がよいと言うより、家族が面会に訪れるのに交通の便がよいという理由のほうが大きい気がする。認知症を患うと、駅の近くであろうが山奥であろうが、本人はわからない。現代の金持ち用の姥捨て山は駅に近い高層ビルとされる。生田川の東方には大震災の被害を受けなかったような昭和時代の木造モルタルの小さな一軒家がかなりあって、大地震が起これば高層マンションが必ず安全で、古い木造住宅が危ないとは限らない現実を見る気がする。あるいは大地震でも小さな区域ごとに地盤の状態が違い、木造住宅が倒壊せず、高速道路の橋脚が倒れることがあるのだろうか。こうなれば全くの運で、人生をそう捉えるほうが精神衛生上はよい。つまり、タワー・マンションに憧れることは個人の趣味に過ぎず、その部屋が古い木造のアパートの一室よりもいいとは限らない。木造の平屋の時代からやがてタワー・ビルが出現するようになった事実のみで、タワー・ビルが木造平屋よりもあらゆる点で優れているとは言えず、筆者なら木造平屋が断然よい。そのため、西国街道を歩きながら、タワー・ビルには目が行かなかった。それがどのような用途の建物であっても意識から排除されたのだが、別の理由として、住友ゴムは別だが、建物のフロント、ファサードに名称が確認出来ても、たいていは横文字でマンションに相違ないからで、意外性がないからだ。しかし、交通の便を重視する人やとにかく新築に住みたいという人は多数派で、ローンの金利の低さもあって高層マンションのブームが続いている。人口が減少する一途であるから、空き家が増加し、やがてそれらは廃墟となって家の役目を終える。
●西国街道、その46_d0053294_23512544.jpg 今日の2枚目の写真は地図のI、3枚目はJ、4枚目はK地点でのもので、人の往来が次第に増す。3枚目の上は歩いている時に見かけると必ず撮る丸い置き石(ゴッタと呼んでいる)で、これまで数十枚を取りためているが、投稿の機会がない。左手の塀は何が建つのかわからないが、駅のすぐ近くであるのでタワー・ビルではないか。三宮から西方しか知らなかったので東方の賑わいは意外であった。三宮から元町方向は神戸市内の最も繁華な地域で、三宮に出ることがあればほぼ必ず元町に行くが、反対方向すなわち春日野道方面にも飲食店や遊興施設が集まっている地域があることは、三宮の地下センターの賑わいとは別の、もっと庶民的な地域と地続きである様子を認識させ、また庶民性が大安亭市場やさらに東の春日野道商店街に続いていることは徒歩圏内ゆえに身近な存在と感じられる。これは大安亭市場の近くに住んでもいいかという思いだが、もしろん高齢の筆者にはもうそこまでの決断力も行動力もない。阪神岩屋駅から東方へと西国街道をまだ歩いていないが、西灘には水道筋商店街があって、春日野道商店街より道幅は狭いが、多くの店が並び、賑わいがある。それは源泉かけ流しで銭湯料金で温泉が味わえる「灘温泉」が商店街の東端にあるからでもある。同温泉は岩屋駅からの西国街道東方にもあるが、水道筋商店街と同様、西国街道沿いではないので足を延ばす必要がある。灘温泉は「風風の湯」の女性常連客が数人でたまに訪れるほどの名声がある。銭湯並みの低価格だが、ただしサウナは別料金だ。灘温泉で思い出す。以前に何度か書いたことがあるが、岩屋駅から兵庫県立美術館に至るまでの間にある高速道路の高架下に半端ものの菓子を販売するおじさんが7,8年前までいた。筆者はそういう人とは割合すぐに仲よくなるが、そのおじさんの店舗兼倉庫の存在を聞いて家内と一度訪れたことがある。阪急西灘駅から線路沿いに5分ほどの北側で、大量に菓子を詰めたドンゴロスの袋が天井の低いガレージ内にところ狭しと置かれていた。賞味期限を気にする人は絶対にそういう菓子を買わないが、いわばカステラの端っこのような製造過程で生じた規格外品で、百貨店に出店する神戸の有名洋菓子店の商品が混じっていた。それはさておき、おじさんは大阪市内各地にも販売に行き、毎日倉庫に戻ってから水道筋商店街端にある灘温泉に行くのが日課と言っていた。携帯電話番号を聞いていたので、神戸に出る時は何度か電話して兵庫県立美術館近くに出店しているかどうかを確認したものだが、高架下に勝手に出店するなと通報され、その場所はロープが張られて立ち入れないようになった。おじさんは須磨在住で、地下鉄の名谷駅近くと聞いた。前述のように倉庫を別に持っているので経済的にはひどい困窮状態ではなさそうだ。70代後半になっているはずで、元気かどうか、またあの素朴な赤ら顔を見たいものだ。
●西国街道、その46_d0053294_23520988.jpg


by uuuzen | 2024-10-09 23:59 | ●新・嵐山だより
●西国街道、その45 >> << ●「そう言えば 見かけないかな...

 最新投稿を表示する
 本ブログを検索する
 旧きについ言ったー
 時々ドキドキよき予告

S M T W T F S
1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31
以前の記事/カテゴリー/リンク
記事ランキング
画像一覧
ブログジャンル
ブログパーツ
最新のコメント
言ったでしょう?母親の面..
by インカの道 at 16:43
最新のトラックバック
ファン
ブログトップ
 
  UUUZEN ― FLOGGING BLOGGING GO-GOING  ? Copyright 2025 Kohjitsu Ohyama. All Rights Reserved.
  👽💬💌?🏼🌞💞🌜ーーーーー💩😍😡🤣🤪😱🤮 💔??🌋🏳🆘😈 👻🕷👴?💉🛌💐 🕵🔪🔫🔥📿🙏?