「
豚饅と シュウマイを手に 母帰宅 難波で夜遊び 家で待つ子に」、「蝉餃子 味は価格に 見合えども たまにそれのみ おかずに食事」、「町中華 待ち客増えて 儲かれど 主疲れて 店を閉じけり」、「高級な 中華料理を 食べたいと 言いつ千円 未満のランチ」

5日に展覧会を見に家内と神戸に出かけた。
2月12日以来のことだ。前回訪れた阪急と阪神の春日野道駅をつなぐ春日野商店街にまた訪れ、中華料理店でランチを食べた。同商店街に4,5軒あって、たぶん最も安い店と思う。母が70歳の時、京都駅ビルのホテルに入っている高級中華料理店で妹ふたりの家族とともに食事会を開いたことがある。その時、わが家は息子含めて3人で15万円ほど出した。それが人生でも最も高価な中華料理であった。若くてきれいな若い女性が数人料理を小皿に分けて口元まで運んでくれるようなサービスぶりで、緊張のあまり、おいしいものを食べた記憶が全くない。そういうキャバクラ紛いの人件費を含めばひとり5万円のランチになっても当然だ。しかし世の中にはもっと高額な中華料理はいくらでもあるはずで、ひとり5万円は慎ましい価格だろう。大阪から京都に移住した頃、西院の今もある「餃子の王将」でよく食べたものだ。当時は金のない学生目当ての食堂で、味は普通だが腹いっぱいになった。同店が全国にチェーン展開した後、今は1000円では満足に食べられないことになっているが、物価、人件費の値上がりからは仕方がないというより当然でもある。筆者は昔からどの同店でも必ず天津飯と餃子2人前を頼むが、天津飯の味がひどい店が増えた。酢が好きで、餃子のタレも酢を全体の5割以上になるほどに皿に注ぐが、昔は天津飯はもっと酢の味が効いていた気がする。出て来た天津飯に勝手に酢を注げばいいようなものだが、そう簡単な問題ではないだろう。店によって料理人が違うので同じメニューでも味が違って当然だが、一方では筆者の老化もあって、昔と全く同じものでもおいしいと感じないかもしれない。それはさておき、料理の味はだいたい価格に見合っていて、千円前後のランチとなればどれも同じようなもので、感激にはほど遠い。さて、神戸に家内と出ると必ず昼は三宮駅からすぐ北の中国人経営の中華料理店で食べていた。ご飯の量がとても多く、家内は半分を分けて筆者に椀に盛るが、そうなれば全部食べた後、しばらく椅子から動けないほどに満腹になる。数年前までザーサイが食べ放題であったので、それも大きな魅力であったのが、代わりに黄色いタクワンが2枚出るようになって足は次第に遠のいた。三宮には同じような価格で同じような量の中華料理を食べさせる店はいくらでもあるとはいえ、通い慣れた店がよい。それに地下の食堂街は苦手で、座席から外がよく見える店がよい。5日は同店で食べるつもりもあったが、春日野道商店街をまた歩くことにした。

前回と違って阪神の駅で降りて北上した。祝日であるからか、前回と同様殺風景で、ほとんど人は歩いていない。たぶんここが最北と思った店に入った。ランチが千円未満であったからだ。中国人が経営し、細長い店舗内部にテーブルは5つほど、壁には中国の赤い剪紙飾りがいくつかあった。安っぽい雰囲気のいかにも町中華の店だが、中国人が商売をするとなれば中華料理店は妥当なところだろう。ついでながら筆者が小学5,6年生の同級生に「孔」という名字の中国人がいて、彼の父親は散髪屋を経営していた。話を戻して、筆者は玄関扉に向かって座り、向かい側に銀行があることを知ったが、座る前に店の一番奥の座席に中年親子と成人した息子を見かけた。客は彼らだけであった。筆者に背を酒を向けていた父親は何度か酒を注文しながら韓国語で大声で話していた。地元住民で、馴染み客だろう。筆者らが食べ終わろうとする頃に眼鏡をかけた40歳くらいのバイク乗りの男性が入って来て、玄関扉に一番近い席に座った。若い女性店員とのやり取りから常連であることがわかった。商店街に4,5軒中華料理店があっても住み分けていて、店にふさわしい客をつかんでいるだろう。高級そうな古い店の前に前回も立ったが、家族が何かの祝いで利用するような雰囲気に満ち、家内とふたりで1万円では足りないだろう。しかしふたりとも70歳を超えるとなると、もうあまり食べられない。さて、ただ腹がそこそこいっぱいになったという思い以外に感想のない店であったが、千円程度ではそれは常識だろう。急激に物価が上昇中で、賃金をもっと上げろとの声が大きくなっているので、ランチが千円という状態は数年後に二千円することになるのは確実だ。最低限の年金暮らしでは外食はままならず、スーパーの安売り目当てに、またそれを運動と思って出かけるしかない。食事後、さらに北上して阪急の駅から乗らずに、阪神の駅に戻った。2月と同じように大通りの向こうに大型スーパーの四葉のクローバーのロゴが見えた。同店のカードを家内は持っているので立ち寄ってもよかったが、大通りをわたる気分がしない。同スーパーの西隣りに京都の西大路五条にもある2基のガス・タンクが目に入った。「今昔マップ」で調べるとそれは19世紀末にはもうあった。当時は浜が埋め立てられず、こういう物騒な印象のある施設を海岸線近くに設けることはつごうがよかった。大型スーパーやその他の有名チェーン店がすぐ隣りにあるのはあまりいただけない眺めだ。東京では足立区の綾瀬に同様のガス・タンクが戦前からあると思うが、そのことからも阪神春日野駅の情緒は東京の人に想像出来るだろう。筆者は下町育ちなので山手よりもむしろ雑然とした街を好む。今日の2枚の写真はグーグルのストリート・ヴューから採ったが、利用した中華料理店はここ1年以内に出来たようで別の店が写っている。
