「
寒さ増し 太る雀も 細くなる 夏場は人も 痩せるが涼し」、「雨なくば 六月はよし 爽快と 言えばそうかい 雨乞いの人」、「今のうち やっておこうの 核心は 蟻のごときの 農耕タイプ」、「諦めぬ 徴見せるや 鶏頭花 見倣う人の 顔の眩しき」

筆者は箕面に知り合いがなく、したがってほとんど興味がないが、箕面市内に西国街道が通っていて、いずれ同市内を歩くことは何年も前から思っていた。そして幸運なことに今春、北大阪急行電鉄に新駅がふたつ出来て、その延伸記念として阪急は記念の1日乗車券を発売した。モノレール全線と北大阪急行の北端の新駅「箕面萱野」から千里中央まで、そして阪急は京都線と宝塚線と千里線が乗り放題で、使用期限は今月16日までだ。それで4月下旬にモノレールの
豊川駅から箕面萱野駅まで歩いたことに続く西国街道歩きを、今月10日実行した。もちろん家内と一緒だ。記念乗車券は大人1200円で、それがなければ倍以上の電車賃を支払わねばならないはずで、今月16日までにと決めていた。いつものように茨木の国立民族学博物館に行くついでではなく、西国街道歩きのみを目的とし、また箕面萱野駅から西に歩くのではなく、阪急の石橋阪大前駅から東北に箕面萱野駅まで歩くことにした。距離は4月に比べて倍の5キロ程度で、それなら道の迷わねば1時間少々で済むはずで、家内はさほど嫌がらなかった。投稿のために歩いた道筋を地図上に青線で記したものをまず用意した。その全体図は文字がつぶれて読めないので、5、6回に地図を分けて投稿する。なお、今回は「飛び出しボーヤ」を見かけなかった。少々不思議だが、箕面萱野駅から西と東とでは箕面市内の人々の考えが少し違うのかもしれない。南北を貫く国道423線は箕面市内に流れるどの河川よりも圧倒的に幅が広く、道路を挟んで東西の人の往来は、車に乗る人はそうでもないかもしれないが、徒歩では不便ではないだろうか。あるいは西の人がよく利用する店舗が東にあれば道路を横切ることはさほど苦にならないから、道路幅よりも流行っている店が東西にどう散らばっているかが、道を挟んで東西の人の往来の頻度の条件になっているとも考えられる。さて、阪急の石橋駅はいつの間にか石橋阪大前と名称を変えた。わが地元の松尾駅が松尾大社駅に変更されたことと同じで、駅前の大きな施設を駅名に組み込むことで利用客の利便を図る意図による。石橋は筆者には全く馴染みがなく、今回初めて降り立った。この駅から宝塚線と箕面線に分岐し、地図を見ると少々ややこしい。ホームに降り立ってどこがどの方角かさっぱりわからず、同じ場所に立ったままきょろきょろした。ホーム内の壁にある地図を見ても方角がわからない。道に迷うのはいつものことだが、家で印刷した地図と睨み合いをしながら、また別のプラットフォームに立ったりしながら、西国街道に最も近い改札を探し続けた。

ふと目の前に小さな改札口があることに気づき、そこを出ればたぶん駅の西側に出られると踏んだ。その改札を出ようとしたのは古い商店街が直結していたからだ。筆者は商店街が好きで、その空気に引き寄せられてその改札から出たと言ってよい。またインクが赤しか出ないプリンターで印刷した地図によればその商店街を南に5分ほど歩くと西国街道と交わっていることがわかった。今日の最初に掲げる地図で言えばその改札口はA地点だ。そこを線路沿いに南下して至るB地点で東を向いて撮ったのが、地図を除けば今日の最初の写真だ。踏切があって上り坂になっている。撮影した筆者の背後は下り坂の狭い西国街道で、そこから西へはまたいつか歩くことにする。坂を上って行くと地図のBとCの間に「がんこ寿司店」が左手にあった。その時に撮ったのが今日の2枚目の写真で、家内が写り込んだ。この店の向かい側のわずかに南に平屋の古い建物があって、それも目を引いた。古さは「がんこ」が店舗に転用した建物と同じかもしれず、昔は馬小屋ではなかったかと思わせる。古い西国街道に似合う建物で、歴史的建築と呼べるものでは全くないが、新しい建材でプラモデルのように短期間で建てられる住宅とは違って陰影があってよい。とはいえ、耐震の観点からはこういう木造の簡素な古い建物は数十年後にはみななくなっている可能性が大きい。その馬小屋らしき建物は「がんこ」の駐輪場として使われていて、100台は停められそうだ。「がんこ」がそれほど大きな駐輪場を屋根つきの一戸建てで用意するところは好感が持てる。しかし自転車でこの店を利用する人がどれほどあるだろう。駐輪場がなければ困るが、広過ぎるものを用意するには店の経済的負担になる。それで普通の店であればこの平屋を住宅地として売り払うはずだが、それをしないところに「がんこ」の矜持があるのだろう。「がんこ」は京都や大阪でもよく歴史的な屋敷を店として利用している。料理の値段は張るだろうが、今なら外国人観光客に人気があるのではないか。回転しない寿司を日本の風格ある木造の建物の中で食べることは楽しいと思いながら、食にほとんど関心のない筆者にはそういう機会がほとんどない。ともかく石橋駅近くに古い木造の建物を利用した「がんこ」があることに気分はよかった。グーグル・マップで調べると、この店は池田市にある。池田の東隣りが箕面で、その境界は今日の地図のE地点にあるが、境界線はかなり入り組み、西国街道は両市の間にあると言ってよい。ただしそれはEまでで、それ以北の西国街道はみな箕面市内にある。市が変わると雰囲気ががらりと違うかと言えばそうではない。住民もそのことを意識していないだろう。池田や箕面市は落ち着いた高級住宅地のイメージが昔からあって、双方の市民はそのことに誇りを持っているだろう。

地図のC地点は大きな交差点で、阪大生数人が個別に大学のある山手に歩いているのを見た。こういう国道が交わる大きな交差点は気分をぶち壊すが、西国街道沿いは古い家や店があってまだ落ち着いた情緒は保たれている。交差点をわたってさらに上り坂が続く。山手は京阪神ではどこも裕福な人が暮らすので、道沿いは落ち着いた雰囲気がある。今日の3枚目の写真の眺めはD付近の東側だ。撮影しなかったのでグーグルのストリート・ヴューから採った。西日が差しているが、筆者らが歩いた時はまだ午前中で太陽は頭上にあった。用水路の上をコンクリートで塞ぎ、車が数台収納出来るガレージのようだ。円形の窓が並び、また紫色の壁面は趣味がいいのかそうでないのか、判断に苦しむ。保守的な考えの主でないことは確かなようだが、周辺の家から苦情が出なかったのだろうか。しかし紫色は落ち着いた彩度に抑えられ、殺風景な灰色の壁面よりもよい。筆者がこの家の住民ならば同じような色を塗装店に頼んだかもしれない。成金かどうかはわからないが、資産家であることは確かだろう。Dを北上するとやがて国道423号線沿いの道を歩く。そこで撮ったのが今日の4枚目の写真で、前方の道が二手に分かれている。地図を確認するとどちらも423号線だ。なぜそのようなことになったかを想像すると、左の道の前方に高架道路の171号線が走ることに理由がある気がする。立ち退き買収がうまく行かず、三日月型の小さな土地を囲む形で423号線が分離したのではないか。西国街道は写真の左の道で高架下をくぐらねばならない。それは右手の道より狭く、423号線のおまけのような生活道路だ。言い換えれば西国街道らしさはある。それに地上を阪急箕面線が走り、高架の真下にその踏み切りがある。この珍しい眺めは一度歩けば強い印象をもたらす。先に出来た阪急箕面線をまたぐ形で171号線を敷設するしかなかったのだ。その時にどれほど地元住民が反対したかと思うが、高速道路につながる太い国道は成長し続ける日本には欠かせないものというもっともらしい説得に折れたであろう。それに車を使えば一気に茨木や高槻で、阪急の石橋駅から十三に出て、それから京都線に乗り換えるより便利だ。かくて日本全土に道路網がくまなく巡らされ、今もその動きは留まるころがなく、どの家もあたりまえに車を持つようになった。しかし高齢化して免許返納を考える頃になると、車移動の便利さを失って買い物に不便する人が出て来る。それが車に乗っていた人の問題だけで済めばいいが、筆者のような免許を持たない場合も同じく買い物難民になる。便利と思って道路を片っ端から造って大型スーパーやモールも建てたのは都会と地方を均質化することに成功し、全員が平等に便利さと快適を享受することになったが、少子高齢化で事情が変わって来ている。

それで車に乗らなくても用が足りる都会に住む人が増えているのかどうか、そのことは東京がよく示しているだろう。車以外の交通の便は生活を続けるうえで高齢者の重要な条件になっている。そのことをよく示すのが筆者の西国街道歩きだ。起点、終点ともに電車の駅がなければ大いに不便だ。逆に言えば電車の駅がなければ実行する気にはならない。そういう思いは車に長年乗って来た人には理解出来ず、また彼らは西国街道を歩こうとは思わない。頭の中には道路地図があって、それは筆者とは全く違う。どちらが変に見えるかとなると筆者であることくらいは自覚している。しかし長年車に乗っている人を見ると、女性はひどいO脚になり、男は10分も歩けないほど足腰が弱る場合があって、健康にいいのはよく歩き続けること実感する。「風風の湯」の常連の嵯峨のFさんは車に2年弱乗っただけでそれ以降は自分に合わないと思って全く運転していない。車の趣味があれば高級車に乗りたいなど、いくら金があっても足りないとの意見で、確かにそうだろう。それに車の便利さを大いに楽しんだ人ほど高齢になって免許を取り上げられると2年ほどで認知症になる。「風風の湯」の常連の85Mさん夫婦は以前は大阪の阿波座のマンションに住んでいたという。そこなら嵐山よりも断然買い物に便利だが、夫婦ともに車に乗らないから地下鉄を利用して難波で買い物をしていたのだろう。夫婦は嵐山に住んで5,6年になるが、何の魅力もない土地であることを早々と実感して亀岡に転居すると以前は言っていたが、歩いて2分のところに「風風の湯」がある便利さは何よりも魅力とのことだ。買い物はバスか電車で、その点は阿波座に住んでいた時と大差ない。筆者が40年前に梅津から嵐山に転居したのは、駅のすぐ近くであったことと、アトリエ用の14帖の部屋があったことだ。前者は判断が正しかった。車に乗らないならば他の交通手段がいかに充実しているかが居住を決める重要な要因だ。それで駅前に大型マンション、タワーマンションがどんどん建って、阪急の水無瀬付近は10年前とはすっかり車窓の風景が変わった。名神から南東に新たに高架の道路を引き、それは淀川をわたって枚方につながる。西国街道のような何百年も前からある古い道も相互につながっていた。鉄道はそうした街道に近く敷設され、国道や高速道路がそれに倣った。人が歩くだけなら街道で充分だが、車が走るとなればもっと幅の広い道が必要になる。車だけが走るならいいが、運転するのは人間という人間本位から始まったので、車は街道にも入り込む。車に金をかける見栄張りがいる限り、自動運転のみという時代は来ず、かくて車が、いや人が人を轢き殺す野蛮なことはなくならず、「飛び出しボーヤ」も永久に必要になる。ガレージの扉を紫色に塗る目立ちたがりはどうか。

