「
わんさかと いれば目立たぬ ことを知る 児童の中の やんちゃするわけ」、「あそこにも あると気づいて 声を上げ 値引きシールに 駆け出す坊や」、「飛び出しの ボーヤ飾れよ 学校は 一番目指し みんな走れと」、「外国の 子も含めよの 声あるか 今の日本の 飛び出しボーヤ」

今日の最初の3枚の写真は昨日地図のD、E、F地点でそれぞれ撮った。4枚目の写真は後で説明するが、グーグルのストリート・ヴューで見つけたもので現在はない。最初の写真の「飛び出しボーヤ」は
「その90」の3枚目の写真と同じ人物がデザインしたもので、側溝の蓋の上に据え置くのではなく、電柱にくくりつけている。左上隅に「その90」3枚目の「E-73」と同じように「VA-35」の文字があって、これの意味はわからない。「その90」3枚目はすぐ際の電柱に「こどもとび出し注意徐行 箕面市」と印刷したシートを巻きつけてあるので、今日の写真も含めて最も注意喚起が促されている場所と言ってよい。それは坂の下であるからだろう。坂を下って来る車や自転車は加速度がついて子どもに衝突した場合、怪我はより負わせやすい。子どもの飛び出し注意を運転手に促す同様のシートは京都でも目立って来ていて、市販の「飛び出しボーヤ」はまだ子どもが描かれているので目立って面白いが、文字主体のシートは増えて来ている外国人にはわかりづらい。それで電柱にくくりつけるシート状の「飛び出しボーヤ」に人気がある気がするが、「0型」や今日の2,3枚目の写真のように立て看板形式のものは電柱際でなければ側溝の蓋の上に置くしかなく、道路が狭いところではやや邪魔者扱いではないか。それで据え置き型は今日の最初の「飛び出しボーヤ」のように電柱に巻くものに変わって来ているのではないか。端的に言えば、今日の最初の3点のうち、最初のものが最も新しく設置されたものに思える。地面に置くことが出来るのに電柱にくくりつけていることは、「その90」3枚目の電柱に巻かれるシートに近いからだ。そのシートが箕面市による制作および設置であれば、地元の「青少年を守る会」はその方針にしたがうだろう。ただし設置した「飛び出しボーヤ」が風化したり、事故に遭って壊れた場合の新調の際であって、そうならねば設置当初のまま長年同じ場所にあるだろう。そのことはわが学区の「飛び出しボーヤ」からわかる。10数年前にPTAが中心になって市販のデザインを模して板をくり抜いて1点ずつ手描きしたもので、ペンキはなかなか剥げず、ほとんどどれもさして風化せずにある。そのことから考えると今日の「飛び出しボーヤ」も同じくらい古いものである可能性はある。こうした手描きの看板は同じデザインであれば比較的簡単であろうが、今日の写真のものは記号的でありながらも男子と女子を描き分け、全部絵が異なっていて、男女平等、個性重視の考えが見られる。したがって「ボーヤ」と書くのはまずい。

男子は工夫のし甲斐が乏しいが、女子はヘア・スタイルや衣服に男子以上の変化をもたせられる。それゆえこれら箕面市独特の長方形の看板型「飛び出しボーヤ」は変化に富んで面白く、先日書いたこととは相違するが、子どもに描かせた下絵を元に絵心のある大人の女性が作ったものに思える。描かれる子どもの手足はぎこちなく、「飛び出す」という勢いはないが、どれも愛らしくて子どもに対する愛情がうかがえる。さて、地図のD付近は印象的な風景で、川を挟んで畑が広がり、その中にここ2,30年に建ったと思しき住宅や低層階のアパートが点在し、住環境がよさそうであった。地元の農家が畑を切り売りして新築住宅が建つことは嵐山でも同じだが、このD付近の眺めとは何かが違うように感じるのは、この付近の西国街道が蛇行しているからだろう。わが学区内にも細い川が2,3本流れているが、半世紀の間に家が建て込み、D付近のような見通しの利く眺めはない。西国街道に匹敵する古い街道は山手沿いにあって、かなり蛇行して松尾大社前から渡月橋に至っているが、西山のすぐ裾の道であるため、日は早く沈んで陰鬱な地域という印象がある。実際防災マップではその道のあちこちが崖崩れの危険があると記されている。道路から10メートルほど階段を上がった山の斜面に点在する家は、東を向けば見晴らしはいいだろうが、西は山の斜面で、住みたいとは思わない。その点、D付近は山からかなり離れ、また土地の高低はそれなりにあるが、終日陽当たりはよさそうだ。D地点に差し掛かった時に絵画を見るようなよい印象を抱いたのはそういうことを思ったからだろう。しかし今後残っている畑にすべて家が建つと、道を歩きながらの眺めは一変し、郊外のどこにでもあるような印象をもたらすかもしれない。そうなったところでそれはよそ者の考えで、どのような家並みであってもそこで生まれ育つ者は原風景として死ぬまで記憶する。懐かしいからよいという意味ではない。嫌な記憶が大きく支配していても、生まれ育った場所の印象は忘れられない。そして高齢になってたまたま、あるいは意識して、10歳くらいまで暮らした場所を歩けば、古いままに残っている家を見て悲しみを覚える。むしろ家並みがすっかり新しくなり、道路だけそのままというほうが心地よいのは、自分自身も古いままではなく、更新して来たという自負を抱えているからだ。不思議なもので、家並みが変わっても道路の幅など、必ず変わっていない何かが存在していて、この場所で生まれ育ったという思いを抱くことが出来る。何が言いたいかと言えば、D地点に残っている畑が全部消えても、その地域で育った者は数十年後になにがしかの愛着を覚えるという事実で、現在のD付近が最適な状態であるとは言えない。ただしこのブログは筆者の思いを綴る場所であって、勝手な感想を書いておく。

DからGまでは400メートルほどで、西国街道の南部は区画整理されているので、比較的新しい住宅地域であることが想像出来る。それで「飛び出しボーヤ」の看板が目立つ理由が説明出来る。少子高齢化がさらに進むと「飛び出しボーヤ」は不要という意見が出て来る地域もありそうだが、一種の伝統として意識が各地域に確立されているとも言え、わずかな子どもしかない地域でも相変わらず看板を設置し続けるだろう。今日の最初の3点の「飛び出しボーヤ」が昨日掲げた地図の青線のどこに位置するかをグーグルのストリート・ヴューで確認している間に面白いことに気づいた。今日の最初の写真は川を渡る手前の電柱にくくりつけられているが、先に書いたように、元は他の「飛び出しボーヤ」と同じく地面に置かれていた。今日の4枚目の写真の上がそれで、女子が描かれる。グーグルの撮影は2010年10月だ。車が東を向いて進んだ時に見える形で掲載され、西向きでは今日の最初の写真のように電柱にくくりつけられている。つまり同じ場所の「飛び出しボーヤ」が東向きでは2010年のまま、西向きでは2024年の撮影画像が見られ、14年の間に据え置き看板が電柱にくくりつけるものに替えられたことがわかる。据え置き型は両面に異なったデザインの「飛び出しボーヤ」が描かれていたはずだが、それはいいとして、電柱にくくりつけられたのは通行の邪魔になったからだろう。今日の2,3枚目のように個人の家の前に置かれる場合は住民がそれなりに管理し、またまさか車は側溝に突っ込まないから、長年同じ状態で保たれやすい。2010年ならば当時の小学生は成人していて、彼らは愛着を持ってこれらの古い「飛び出しボーヤ」を見つめるはずで、電柱に巻くタイプが今後増えるとしても手描きにこだわる限りは同じ子どものデザインを守るだろう。そのことは今日の最初の「飛び出しボーヤ」からもわかる。これは2010年のデザインが優れ、箕面市の顔になっていることを示す。今日の4枚目の下の「飛び出しボーヤ」は昨日の地図のGとHの間の交差点角に以前あったもので、グーグルの撮影は2013年3月だ。上の写真の女子と全く同じ動きで、衣服や髪の毛が異なる。交差点にあったものがなくなった理由はわからないが、やはり邪魔になったからだろう。車にとってというよりも歩行者にとってだ。電柱はその陰に隠れて車から身を隠すことが出来るが、こういう置き看板があれば電柱に隠れることは出来ても歩き出す際に看板が邪魔になる。そういう理由もあって今日の最初の写真のように電柱に巻くタイプが今後は増えると予想される。くり抜き型では「0型」が最も完成度が高く、しばしば店舗では宣伝用に衣服などが描き変えられる。それはそれで面白いが、「0型」は子どもらしくない。つまりかわいくない。今回の西国街道歩きで見かけた箕面市独特のものは子を思う愛情がよく伝わる。

