「
余暇はよか 腹満たされて ふと気づく 生物はみな ぼんやり好む」、「地図を手に 街道歩き 胸は鳴る 坂を上れば 何が見えるか」、「箕面にも 個性豊かな 人はいて 飛び出しボーヤ かわいき描き」、「飛び出すな 道の角にて 右左 人も車も 一旦停止」

今日は昨日の投稿の続きだが、「飛び出しボーヤ」の題名で投稿する。最初の2枚の写真は昨日の地図を除いた最初の2枚の写真の次に撮った。昨日掲げた地図のモノレール豊川駅から西200メートルほどのT字路付近で、最初の写真の道路の左右の「飛び出しボーヤ」の奥に2枚目の「0型」の「飛び出しボーヤ」が小さく写っている。これら3つの看板はほとんど同じ場所であるのに3種となっているのは面白い。まず最初の写真の右端は茨木市や高槻市に多い男子デザインの手製で、「とよかわ」という文字だけが見える。これは「豊川駅」近くであるので地名であることはわかるが、箕面市内に豊川北小学校と豊川南小学校はあるが、豊川小学校はなく、どの学区が制作したかはわからない。それはいいとして、この手製の看板があるところ、東隣りの茨木市に近いことがよくわかる。そして箕面市は茨木に倣って同様の手製の看板がたくさんあるのかどうかだが、今日の3枚の写真だけではそれはわからない。ところで地図で箕面市の範囲を確認すると、豊川駅は市の東南の端に位置するが、実際は同駅は茨木市内にある。それでも豊川の名称がつけられたのはこの辺り一帯が昔から豊川と呼ばれていて、川の水で田畑が広がっていたことを想像させる。また行政の区画によって街のたたずまいに差が出来て行くとしても、ある市の端はその隣りの市と区別がつきにくいことはままあるだろう。そう思えば今日の最初の写真の右端すなわち道路の北側の「飛び出しボーヤ」が茨木市で見かけるものと同じであることの理由がわかる。箕面市と茨木市の境界はかなり入り組んでいて、豊川駅のすぐ西ではなおさらそうだ。今回歩いた西国街道は北200メートルほどのところに国道171号線がほぼ平行し、街道と同国道の間に川が流れている。その川が両市の境界になっていて、国道は豊川駅から400メートルほどは茨木市内に属する。川から100メートルほど南が今日の最初の2枚の写真の撮影位置で、茨木市内でよくみられる「飛び出しボーヤ」と同じ型のものを設置する理由はそこからもわかる。両市の境界線はまとまった住宅街をかなり乱雑に走っていて、その境界線付近の住民は戸惑いが大きいのではないか。なぜそのような境界線になったかと言えば、元の田畑では問題はさほどなかったのに、そこに次々に家が建つ間に飛び地のような形が生じたのであろう。筆者の住む地域でも同様のことがあり、わずか数件が地図上はかなり離れた自治会に所属している。その土地は田畑から駐車場、そして家が建ったが、最も便利な隣接する自治会に入ればいいのに、どの自治会にも入る気はない。

最初の写真の左には市販の「飛び出しボーヤ」が写っている。これはわが学区でもよく見かけるもので、男女が左右一対で電柱などに巻けるようになっている。写真では女子が写り、裏は男子だ。最初はこの女子は片足を蹴り上げて白いパンツを見せていた。それではまずいと思われたか、白は青に変わった。下着のパンツであるのは同じで、また文句が出たのか、その後は短パンになった。写真のものはそれだ。帽子に赤い横線が見える。これは補修テープだ。児童が被害に遭わずに看板がそうなった。グーグルのストリート・ヴューではこの市販品以前は今日の3枚目の写真のように手製の長方形の看板が建っていたことがわかる。それを小さな市販品に替えたのは、この曲がり角が車の出入りが多いことを物語っているかもしれない。この付近の街路は明らかにニュータウンのそれで、住民が比較的若いことは昨日や今日の写真からもわかる。どれもせいぜいここ2,30年で、それゆえ子どもが多く、「飛び出しボーヤ」が必要ということだ。箕面市のほぼ南端に171号線が横断し、車を使えば箕面は高槻や伊丹からすぐだ。しかも豊川駅が出来た。今後ますます残る田畑は家に変わるだろう。古い世代には何となく味気ないことだが、箕面市は滝や温泉施設で京阪神では有名で、筆者らの世代であれば遠足で必ず訪れた土地だ。これは言い換えれば滝のある山手しか知らないことであって、今回そこからかなり離れた市内を歩いたことはよい経験になったが、箕面市が西国街道を含むからで、その意味でも箕面が古い歴史を有することがわかる。車に乗らない筆者はもっぱら阪急電車で京都大阪間を移動するが、茨木の次に大阪市に入って行くことをあたりまえと思っていたところ、家内の兄から国道171号線なら茨木の次は箕面と聞いて面食らったことがある。阪急で箕面に行くならば一旦大阪に出てから宝塚線に乗り換える必要がある。それはちょっとした旅行気分になるほどの面倒な気を起させる。ところが西国街道を歩けば茨木から箕面はすぐで、また眺めが激変することもない。さて今日の2枚目の「0型」は個人が家の前に建てたものだろう。これも市販品だが、あまりに有名かつ代表的な「飛び出しボーヤ」で、買うならこれとこだわったのだろう。3枚目は昨日の地図ではB地点の少し西だ。道幅は狭くなり、上り坂になっている。この付近から急に景色が変わり、歴史的な、つまり西国街道らしくなる。写真の「飛び出しボーヤ」には「豊川南小学校 青少年を守る会」の文字がある。この小学校はBから100メートル南にある。北小学校は171号線の北方だ。「青少年を守る会」はわが学区の「少年補導委員会」と同様の組織だろう。手描きの看板は絵の上手な子どもが描いたのか、よく出来ている。道路の特色ある舗装や右手の石垣、その上の玉垣はみな新しく、何となく裕福な箕面市を感じさせる。

