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●嵐山中ノ島の鵜屋の取り壊し、その3
ゴサーチ 出来る間は 幸福か 死ねばすっかり 忘れ去られり」、「壊すのも 段取り尽くし 事故はなし 廃材分けて それぞれの地に」、「嵐山 住めば毎日 観光地 道行く人を 日なたで眺め」、「中ノ島 もっと広げて 神社建て 豪雨被害の なきこと祈り」
●嵐山中ノ島の鵜屋の取り壊し、その3_d0053294_18455475.jpg
今日の写真は今日撮った。背伸びして中を覗いた。嵐山の中ノ島は公園で、観光客の増加に対応してトイレが増えて来た。「風風の湯」の玄関前のすぐ北にある中ノ島小橋を中ノ島にわたってすぐ目の前にトイレのがある。中ノ島にあるトイレでは最新かつ最大で、建って20年は経っていないが、見慣れた今も暗く、また圧迫感がある。そのトイレの利用率は、中ノ島公園のほぼ中央の南端にある2か所のもっと小さなトイレよりも低いはずだ。20年ほど前、その2か所のトイレ付近に有料トイレが出来た。外観が焦げ茶色の円筒形で一名用であった。1回100円だったと思う。すぐ近くに無料トイレがあったので人気はなく、1,2年で姿を消した。それがなくなってから数人が利用可能なトイレが建った。前述の桂川支流に架かる中ノ島橋をわたってすぐのトイレは、大きさがその数倍はあって多くの人が一度に利用出来るのはいいが、その分観光客が少ない時期は無用の長物として目立つ。その思いがあるので、そのトイレの西側に鵜屋が建った時はトイレよりは断然よいと思った。鵜屋は解放感のある構造で、密室が集まるトイレよりは印象はよく、また狭い中ノ島にトイレは3つも不要と思うからだ。鵜屋の東の大きなトイレは中ノ島の東端近くにあって、渡月橋を擁する西端とは違って嵐山観光に来た人はほとんど立ち入らないと思う。中ノ島東端には「日中不再戦」の大きな自然石を使った碑が東向きに建っているが、川面まではかなり緩やかな勾配の石を敷き詰めた護岸になっている。それをさらに下流に拡張することは可能だ。そのようにして中ノ島の面積を増やせば、その土地に新たな何か、たとえば使用に耐え得る鵜屋を建てることは充分可能だ。しかしその工事費までも嵐山通船は負わないだろう。京都市が何かを建てるとして、中ノ島の東方は渡月橋から離れて観光客の目が向かず、それでせいぜい大きなトイレが建った。そう思うと、鵜屋が建った場所はそこしかなかったことがわかる。そこで改めて思うのは、中ノ島は誰の土地であるかだ。屋台を除いて最も古い店は料亭の「錦」と思うが、その西は渡月小橋までトイレを挟みながら大小6,7軒の店があり、東には1990年代に歌手の五木ひろしが最初に営業した「五木茶屋」があった。今は別人が経営するのか、若者相手の料理屋とその門の前でテイクアウトの商品を売る仮設風の店で、たぶん中ノ島では最も流行っている。五木ひろしがその場所での営業権利を得たことは、中ノ島のある部分の土地の権利は誰でも買えることを意味し、何百年も前から営業権が代々同族に譲られて来たとの説を否定しそうだ。
●嵐山中ノ島の鵜屋の取り壊し、その3_d0053294_18462465.jpg 嵐山通船が鵜屋を建てたのは、それらの店舗が並ぶ中ノ島南端ではもう場所がなく、中ノ島東方のど真ん中となった。そのために中ノ島小橋を南からわたった人には渡月橋への視界を遮る形となった。それは仕方なかったこととして、店舗が並ぶ中ノ島の南側とそのすぐ北の歩道から北側は桜や松の植え込みが広がり、さらに北は河岸まで砂利が敷き詰められ、川岸にベンチが点在する。植え込み内の雑草や樹木の手入れをトイレやゴミ箱の清掃とともに京都市が行ない、営業可能な土地は中ノ島南端に沿った細長い土地のみであることがわかる。渡月橋のそばと中ノ島小橋をわたってすぐの屋台はそれらの営業地から外れるので、京都市が管理する土地のはずだが、一昨日書いたように代々地元の親分が営業していることもあって、強制撤去は出来ないのだろう。さて、コロナ禍の時期、中ノ島の砂利が敷き詰められた土地に現代彫刻家の作品が展示されたことがある。それは京都市が許可した。同じ砂利敷きの土地の東端近くに鵜屋が建ったことはやはり京都市が許可したはずで、嵐山通船の鵜屋建設計画を許可する根拠があった。それが真珠のネックレス程度のいわば賄賂の効用ではあり得ないと筆者は思うが、通船の前社長が秋篠宮を味方につけた場合は話はややこしくなる。そこに一市民にいいように利用される宮家の存在の危うさがあり、また鵜屋の件で秋篠宮批判が起こることは理解出来る。それはいいとして、中ノ島南端に並ぶ店舗の主たちは鵜屋の計画段階で反対しなかったのだろうか。砂利を敷いた土地が完全に京都市のものであり、そして京都市から建築許可を得たのであれば、黙認するしかなかったのか。中ノ島南端に居並ぶ店舗もおそらく何度も営業権利所有者が交代し、通船ほどに営業の歴史が古くないのであろう。住宅地や耕作地であればわずか1センチの土地の境界で何代にもわたって隣人同士が揉める。それは嵐山でも同じだが、中ノ島は洪水があれば水に浸かり、人が住むことはおそらく許されず、営業権利が認められているだけであろう。「日中不再戦」の石碑が建った経緯は知らないが、中ノ島東端を20メートルほど拡張し、そこに渡月小橋のすぐ近くにある櫟谷宗像神社の末社の鳥居を建てればいいように思っている。そうすれば景観はさらによくなり、お参りする若者によって新たな観光スポットになる気がする。ただし祠や賽銭箱を置くと管理が問題だ。またすぐ背後が石碑、その背後が大きなトイレとなって、聖なる土地という印象は得られないか。そう思うと20年ほど前に出来た中ノ島小橋をわたってすぐの大きなトイレは鵜屋と同じように更地にしたほうがいい。あるいは中ノ島の中間辺りにある木造の休憩所のように造り変えるかだ。現在はそのごく小さなものがトイレと石碑の間にある。中ノ島は変わらないようでいて、植生も含めて毎年少しずつ変わって来ている。
●嵐山中ノ島の鵜屋の取り壊し、その3_d0053294_18465142.jpg


by uuuzen | 2024-02-19 23:59 | ●駅前の変化
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