「
骨を折り 感謝されずに 謗られて よけいなこと せぬこと学ぶ」、「人間は ロボット目指し 情を捨て 優しさ不要 無駄は唾棄され」、「AIが AIに告ぐ 命令に 喧嘩始まり どちらも壊れ」、「風呂に行く 夜は月見て 欠けを知る 満月までは もう四五日と」

本ブログを書き始めて19年と1日経つ。多大な時間と労力を費やしながら、ほとんど誰にも注目されないが、筆者の才能ではこんなものだろうと思っている。近年はインフルエンサーと呼ばれて何万、何十万、あるいは何百万、何千万人ものフォロワーを持つ人がいる。彼らがどういう写真や映像、言葉によってそのように有名になっているのかさっぱりわからず、またわかろうとするつもりはない。人の数だけ世界がある。それぞれに見えているもの、見たいものは異なっている。大多数の人が関心を持っている「流行」になびく必要はない。ところで何年か前まで本ブログは読者がコメントを書けるように設定していた。ごくたまに書き込まれることがあったが、嬉しいと思ったことはほとんどない。頻繁に書き込む人がいて、彼はそのことを筆者が喜んでいると思っていたらしいが、実際は迷惑で、相手にするのが苦痛であった。顔も名前も知らない上から目線のある日の書き込みを読んで即座にコメント欄を閉鎖し、今に至っている。これは他者に関心がないからではない。尊敬する仕事をしている人物は大好きだ。しかしそうした人とは作品を通じての一方的な思いであって、当の本人は筆者を知らず、またほとんどは死者だ。生きている人物に興味はないかとなれば、たぶんそうだろう。本当に素晴らしい仕事をしている人は世間には派手に出て来ない。TVやネットでの有名人はみな凡人と思っている。女性は特にそうで、本当に美しい人はほとんど誰にも知られずに生きている。月のように美しい女性はいる。筆者は自分の名前からして太陽が好きだが、太陽と月はペアで、月のような女性がいい。それで毎月満月を撮影し、その写真をブログに載せている。とはいえ筆者は女性と接すること好きな割りにあまり得意ではない。好きな女性のタイプがあるのかと自問すると、よくわからない。初めて見るようなタイプがいるのかどうか、それもわからない。そういう女性は初めて知るという経験あってのことで、そのことは誰にも似ていないことを意味し、知られざる鉱脈のように実際は多くいるだろう。理想的な男性になかなか出会えない女性もそのことを思っているが、時間に限りがあってみんな適当な出会いを運命と思い込む。お互いどこに惚れたのか大いに疑問に思うカップルがいるが、ま、他人のカップルはどうでもよい。初めて会うような女性はある日突然の出来事であるから、いかに常に女性に対して防備していてもどうしようもないことがある。ただしそれは大昔のことだ。今の筆者は満月のような赤ちゃんや数歳の子どもがとてもかわいいと思う。
