「
神社札 眼につく場所に 飾らねば 罰が当たると 畏怖するがよし」、「自転車で 配り回るや 守護の札 要らぬ人には 迷惑がられ」、「お賽銭 五円を投げて 福あるか ただよりましと 神は思うか」、「悪いこと あれば思えや よかったと もっと悪きが なくてましだと」
今日の写真のものは去年は11月末に届いた。今年は2週間早かった。去年は家内が受け取ったのでどういう人が持って来たのかわからなかったが、今年は筆者が応対し、紺色のスーツ姿の20代らしき男性に意外な気がした。外注かもしれない。「平安神宮守護」は写真とは別のもう一包みがある。「節分火焚串」は50本で、14人の自治会長や筆者が個人的に知る人に配って墨書してもらう。1本200円だ。2000世帯ほどあるので50本は簡単に協力してもらえるようなものだが、去年は10本が白木のまま返却され、慌てて知り合いを回って記入してもらった。平安講社の代表としてそんなことまでせねばならない。副代表がふたりいるので彼らにももちろん頼むが、筆者も含めてひとり当たり2本で、やはり大部分は自治会長にお願いするしかない。しかしわずか200円でも支払いたくない人がいて、平安神宮が文化の神を祀ることを説明しても無駄だ。自治会長には平均3本配るが、自治会長、副会長、会計の3名で1本ずつ分担すれば済むのに、副会長や会計に頼むのが嫌な自治会長がいる。自治会長の夫婦で2本、子どもに1本で、3本はわけなく書けると思うが、現実はそうではない。14の自治会に配るのに、火焚串と守護札を世帯数で比例割りしてそれを大きな封筒に入れ、また去年とは文言や日付を書き換えた用紙1枚をコピーして同封し、学区の世帯地図を見ながら配る。ここ1週間ほどは雨天でない限り、嵯峨で鶏頭の花を写真しているが、今日はそれを正午少し過ぎに終え、午後から上記の作業に取りかかり、自転車で2時間ほど要して配り終わった。作業が終わった途端に雨が降り出した。記名された火焚串とあまった守護札の返却期限を来月10日としたが、遅くて去年と同じ来月23日に平安神宮に持参する。2週間ほど余裕を持ったのは、白木で返却された場合、知り合いに頼み込みに行く日数を思うからだ。守護札は去年と同じく自治会加入世帯のみに配った。それでは1500枚ほどあまる。おそらく自治会加入とは関係なく全世帯に配布すべきだろうが、未加入世帯は迷惑がることもある。近所に未加入の大金持ちがいるが、長年ゴミ袋を他人の土地に捨て続けて平気で、今夏筆者は口頭でこんこんと注意してやった。そういう常識欠如の家には守護札は配りたくない。どうせ「勝手にポストに入れるな」と言い、すぐに捨てるだろう。それで今年も1500枚はそのまま平安神宮に返す。去年わが自治会で守護札に対して1000円を自治会長に手わたした高齢女性がいた。その1000円を思い出し、今日返却しに行った。「これは無料です」