「
子どもには 月を示して 早寝させ 宇宙の星の 夢を見させて」、「気にかかる 異性の笑みを 想う午後 会う機会なく 時雨れに気づき」、「湯けむりの ガラスに描く 円相に 気づく人あり 話広がる」、「清水の 寺から光る 一筋の 青き光や 朧の月指す」
今日の写真のように今夜は満月ははっきりと見えず、在り処がわかる程度だ。その朧の満月を青い光の筋が地上から斜め方向に貫いている。清水寺の境内からライトアップの一環で桜と紅葉の季節に限って照射されるが、どういう意味合いがあるのか知らない。その光線がちょうど満月を指しているのは偶然で、雲がなければもっと面白い写真になった。一方で思ったことは、光線は雲を照らし、それを満月と勘違いしているのではないかという不安だ。雲が低ければ光線は雲に当たってそこが朧満月に見えるのではないか。その可能性はあるが、今日の写真はやはり満月が雲の奥にある。話は変わる。半年ほど前か、「風風の湯」で頭を剃った目玉の大きな中年男性の姿に気づくようになった。嵯峨のFさんは言葉を交わし、「仏教大の先生やで」と言ってくれた。筆者とは挨拶を交わすだけであったが、今月3日、脱衣場で会ったので挨拶の後に声をかけた。「仏教大の先生とお聞きしましたが…」「いいえ、工芸繊維大です。建築を教えています」そのことを後日Fさんに言うと、「繊維大は繊維関係のことを教えるだけで建築はないやろう」と無茶を言う。その男性は言葉の訛から東南アジアの人のように思うが、そのことは訊かない。「風風の湯」には電車で割合遅くやって来て30分も経たずに湯から上がるが、どこに住んでいるかも訊かない。今月3日はほとんど人がいない大湯舟で初めて10分ほど話をした。繊維大であるからまずは白井晟一の話題を向けた。それから話が15分ほど弾み、翌日また会ったので今度は庭のことを話題にした。筆者が建築関係で興味あることの質問にはどんなことでも明快かつ詳細に答えてくれる。学生を教えているからには当然だが、アメリカの大西さんがマンハッタンの建築事務所で有名ブランドの店舗デザインをしていると言うと、「ピーター・マリーノですね」と筆者の記憶を呼び戻してくれる。そばにはFさんが湯舟に目を閉じて半ば体を浸しているが、筆者とその先生の話題はおそらく全くちんぷんかんぷんだろう。いい話し相手が出来た気分だが、筆者を何者かと思っているかもしれない。数日前はほとんど大浴場に人がいなかったので、久しぶりに湯で曇る大ガラスに右手で勢いよく円を一瞬で描いた。その直後にその男性がやって来て、筆者にこう言う。「この円相は誰が描いたのですか」「ぼくです」円相という言葉が出て来るところが嬉しい。裏側の露天風呂からから見ると円の歪さがよりわかると言うと、その男性は知り合いが自宅に庭を造り、目の錯覚を利用して広く見えるように設計したと言った。久しぶりの知的な会話が出来る相手だ。